頸損だより1999秋(No.71)

『オヤジの独り言』


最近、『歴史』ということをよく考えるようになった。とは言っても学生の頃にやったようなことではなく、人間一人一人にある、生きてきた過程のことである。

それぞれの人には、ほかの誰とも違う『歴史』がある。長く生きてきた人にも、まだ若い人にも、記憶にあることだけ、そして記録に残るようなことばかりではなく、それぞれに。<./P>

しかし、その『歴史』は当人にとって、どのような意味を持っているのでしょうか?過去の栄光?それとも忌まわしい過去?現在ある自分との比較の対象になることは、少なくないように思える。

私自身は、昔を振り返ることがいやなことが多いように思えるときと、とても懐かしく思るとき、そのときの気持ち次第で、都合のいいように考えている。

頚損になって最初の3年目ぐらいまでは、あの頃はよかったとしか思えず、ただ現在の自分が情けなく思えていた。それがいつしか現在自分と向き合えて、懐かしむようになっていた。

今の自分は都合のいい解釈をして、『今』を生きている。

過去がどうであれ、今の自分はただそれだけだとも思える。それでも『歴史』は存在しているわけで、それがどのような意味を持っているのかが知りたくて仕方ない。でも考えたところで、わかりそうにもない。

ただそれだけなのだが、もっと考えていると、これから先のことが知りたいと思った。それもこれから刻まれる私の『歴史』なのだと思った。

どれもきっと一生知り得ないことだとは思うけれども、知りたいと思わなくなることも一生なく、人の『欲』というのは限りなく続くものなのでしょう。

怖いです。今あることだけではなく、過去も未来もと望む心が限りなく続いていくことが。

今の自分にあるものすべてに満足できず、なくすことにも臆病になっている、自分のちっぽけさに気がつくことも。

舘花久

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