頸損だより1999冬(No.72)

〔頸損連絡会:秋の文化イベント〕

夢幻のMessage顛末記

藤澤正幸

まず、作品展に足を運んで下さった多くの方、ボランティアや協力会員、出展協力、また、仕事を休み朝早くから、脚立の上で飾付けの下準備に頑張ってくださった『河内あきない塾』の皆様に御礼を申し上げる次第です。

そもそも、この企画は、赤瀬君の個展がきっかけでした。「多くの人に僕の絵を見てもらえて、とても嬉しいねん!。今度はみんなの文化祭をやりたい。」会長からは「やろ!、やろ!、」「やれたら、いいね。」くらいの私を含め、木村節子さんをうまく引っ張り込み、実行委員会なるものが結成、“タイトル”は“場所”は“経費”は、はたして“作品は集まるのか??”問題山積みのまま準備??が進んでいきました。

開催場所、日程、後援、スタッフの確保など、結果的に出展作品の制限という誤算まで、不安ばかりが先走る中、出展希望者の方々にご迷惑をおかけした事にお詫び申し上げます。

絵画・書・詩・押し絵・版画・CG・陶芸や木目込み人形、刺繍から木彫、レザークラフト、etc・・・。これ程、多くの出展を考えていなかったスタッフにとっては嬉しい誤算も、文化イベントの日程がせまり、参加者の作品をうまく展示できるのか・・・、スタッフはどうする?不安ばかりがつのる中、開催当日、時間前から、あべのベルタの文化教室がえりの方々などが「これは、何処の教室の発表会?。」と来られはじめ、身体の不自由な人達がこのような作品を、との反応に満足と、それまでの不安がどこかへいってしまったのは私だけでしょうか。

「障害者の作品と云う事で、ある種の先入観を持って来ましたが、でも、これは障害者の作品展と称する必要のないレベルである。」との嬉しい御言葉。目の不自由な方がヘルパーと見学に来られた時、作品に触ってもらおう、という会長の判断で、絵画など額に入ったものは説明を、陶芸や木目込み人形や木彫、レザークラフトや刺繍を、なっとくいくまで“手”で見ていただけたのも“私達の作品展”ならでは、サロン形式の会場は語らいの場となり、交流会としての役目も果たせたと思います。 次回は、いつ開催できるのか、会員諸氏の御協力をお待ちしております。

注 写真は省略しました。

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