頸損だより2000夏(No.74)

春の花

ペンネーム:翠月

四月の京都は桜の都となり、「薄くれない」の花の群れは咲きにおう。春の日差しに輝き、あたたかな光をふりまきながら、楚々とした一折れの風にはかなく舞落ちるその寂しさは、千年の文豪の一説によく現れていると思えた。

さて私は、しばらく大阪市内の娘宅に世話になっているが、時あたかも花びえの頃、少々寒いが花見どきはこの週しかないとのうわさに、思い切って風邪に気を配りつつ、車椅子を引き出し、娘が後押し、学校がえりの孫の友達を説き伏せ、午後はお花見をしないか、ちょっともう用意はできているがと、娘が笑いながら話をしたようだ。側に友達のクラスメートもいるし、午後は学校のない日、なんだか先客もあるらしい。難色を示す子もいる様子。まだ幼な顔をした子らは僅かにヒソヒソ声が高まり夢中になる。わたしは、車椅子上でウーンと腰を伸ばした。

大空は桜の幹がいくつも重なり、空間およぐような姿が上へ上へと大きく雄大な姿で見下ろしていた。(ただし、この木は平安神宮のようなくれない枝垂れ桜ではなかった。)

彼たちの相談が成ったのか、娘を中心にそそくさとランドセルを置いて、子供達はそれぞれに自転車に乗ってさわやかな池の中央辺り、ビニール布を敷き皆一応座って少々座の加減を確かめ、子供達三人と我々二人が顔を見合わせフフフフ・・・。この辺りは娘の活躍場である。

子供達は、幼稚園の頃から園でまた周囲で遊び、今は小学生になって多少離れてしまってもまたくっついて遊ぶ。少しづつ成長して道で出会っても、私たちの時代のように顔を背けたり知らん顔をしたりかくれたりしないで、手を振り、大声をかけ、きわめて社交的で楽しい。幼稚園教育も実に見事であり、指導者の立派さにご苦労様と心から申し上げたい。

小二のあどけない子供達は、素直な言葉や、行き届いた家庭教育に包まれて、この池の周囲を、人に迷惑をかけないように、それぞれの「子供自転車」で、友達を精一杯さがし回り、連れて来てにぎやかに遊んでいた。

桜の空は、仰げば大きすぎて、高い高い空に吸い込まれていきそうな気がした。

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