頸損だより2000秋(No.75)

「自立生活 あれこれ」

奧英訓

私は25年前のオートバイ事故による受傷以来、3年間の入院生活を経て、実家に戻って両親の介護で暮らしていました。何もかも親任せ。食べて、寝て、TV観て、他人との関わりも少なく、何の刺激もなく、「何もできない自分は落ちこぼれ」と思いながら毎日を過ごしていました。そんな中、4年前に父が急病で倒れて入院したのです。その時、「入院したのが母だったら、私の介護は誰がしてくれるのか」と不安になりました。それから両親の介護負担や自分の将来を考えるようになり、自立を決意したのです。しかし、自立とは言うものの、公的介護保障もボランティアさんのあてもない状況にあって、民間アパートで両親との同居という形でスタートしたことは、父が倒れたとき以上の不安がありました。

不自由な民間アパートでの生活でしたが、ボランティアさんや多くの人と関わることで様々な情報を得られ、外出の機会も増え、毎日を楽しく過ごせるようになりました。その後、市営住宅(障害者用)へ入居できたことや、全身性障害者介護人派遣事業が開始されたことは、私の気持ちを楽にしてくれました。お陰で、私自身、生きることに前向きになれました。そのことは、「自分にも何かできるのでは」と社会活動に参加する自信にもなりました。現在は、障害者自立支援グループで活動させていただいています。最近は大阪頸損連絡会との交流も始まりました。この4年間で、自立生活への基礎固めができたことで、ようやく両親との同居も解消し、私の介護から解放されたと言えるでしょう。

全面介助が必要な私が自立生活していくには、様々な公的介護保障(市のホームヘルパー派遣<月〜金>・24時間巡回型ヘルパー派遣<月の昼、水/木の深夜>・早朝ヘルパー派遣<水/木>・訪問看護<水/木/土>・訪問及び送迎入浴サービス<火/木>等)を最大限に利用しても、すべてを賄うことはできません。残りの時間はボランティアさんに頼らざるを得ないのです。それも、人数が少なく完全には埋まらなくて、昼間は一人でで過ごしている時間もあります。都合でキャンセルされたり、ヘルパーのように確実ではないのが悩みです。夜間の介護は、全身性障害者介護人派遣事業を利用しています。奈良市では2年前に月100時間で始まり、本年度からは月130時間に延長されました。

身体状況等について。受傷はC−5〜6の脱臼骨折です。肩より上と両腕は動きますが、手の指や下肢は感覚がなく動きません。排便(二日に一度、浣腸)と排尿(膀胱にバルンカテーテルを留置し、二日に一度の膀胱洗浄)は訪問看護で管理。電話は、NTTふれあいホンを呼気(左手首に呼気SWよりチューブを延長し装着)で操作します。食事は、右腕に補装具を着けてスプーン等をセットしてもらえれば、自分で食べられます。パソコンも補装具に棒を固定して、キー操作します。移動は床走行リフトで、ベッドから電動車椅子に移ります。市内の移動にはリフトキャブ(会員制)を利用しています。

重度障害者が公的介護保障だけで完全に自立するには、まだまだ難しい状況です。しかし、難しい状況であるほど、それに挑戦していくことの意義があり、重度障害者でも自立できることを自ら実践していくことが、これからの私の役目ではないかと思います。

注 写真は省略しました。

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