頸損だより2000冬(No.76)

人工呼吸器を使った生活あれこれ

〜吉田憲司〜

人工呼吸器というやつは


93年の5月に受傷して頚椎のC4、5をやってしまった。そのときはできていた自発呼吸も手術後止まってしまい呼吸器をつける羽目になる。24時間365日休まず肺に空気を送り込んでくれるありがたいアイテムだか人道的な機械とは思いたくはない。

胸、肩、背中、首、腰とところかまわずパンパンに張るし今でこそ慣れたがコンプレッサーの音が耳元で鳴り響くは慣れない呼吸のタイミングには悩まされつづけた。他にも外出するにも呼吸器とバッテリーと僕を乗せた車椅子の上でバッテリーの残量のことばかり気にしてしまう。一体何のため外に出たのやら。

でもなんだかんだいってもここまでは我慢できるがしかし根性論が通用しない現実もあったりする。中でも

とても悩ましい現実だ。

今なんとかショートステイをしたいと思っている。在宅で療養を始めてからずっと僕の介護は家族が中心でやってきたがさすがに疲れがでてきているからだ。しかしたいていの病院は呼吸器をつけているからと断られてしまう。

最近でこそよく呼吸器の事故の記事を見かけるようになったがそのような事故を嫌ってのことだろう。

確かに僕も何度か危ない目にあっていて病院という場所が呼吸器をつけている人にとって怖い場所だと知っている。悔しい話だけど呼吸器なしでは五分と持たない。呼吸器が外れたとき周りに誰もいないと恐怖する。この感情だけは何年たっても克服することができない。病院の呼吸器への拒絶、そんな病院の態度に対する不信感それに僕自身の恐怖への不安もあいまってショートステイに向けて思い切った行動がとれずにいる。


しかし現実にはショートステイをして少しでも家族を介護から解放する時間を作らないと共倒れになりかねない。つくづく呼吸器をつけていても暖かく受け入れてくれ、なおかつこちらが安心していけるショートステイ先があればと思う。欲をかけば今すぐにでも国費でどのような重度障害でも受け入れてくれるグループホームのモデル事業を始めて欲しい。最悪の場合、自分の行く場所があるということはそれだけで大きな救いになる。


介護保険よりも人生の保険の一つもほしい、今日この頃。


呼吸器は今日も僕の命をつないでくれている。

注 写真は省略しました。

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