頸損だより2000冬(No.76)

春の花(二)

翠月

池の向こう岸へ早く渡りたいときや、より水辺に近づいて水中の様子を見たいために利用するなどの中央分離帯と、日本画のような美しさと高く吹き上げる強さをもった噴水がはるか遠くに見えてくると、本当に見事だと思う。太い桜の満開の花との取り合わせの美しさに思わず見とれていると、気が付くと子供達まで見入っていた。

「さぁ、場所を造ろう。」皆、こぶしを振り上げて「エイエイオー!」とその手で天を刺したのが面白い。孫と級友達で5人、世話役にいつのまにか収まってしまった娘(孫の母)、立てない車椅子の私の総計7人。花見の宴はどの家も同じようなことをして家族で楽しんでいる。この子達も娘を中心に、見様見真似で池のそばの地面にゴザを敷き、お隣との境界に網戸など張り、なかなか手際よい。娘は冷たいお茶やおやつ、余分のゲーム、無心に働く子らの動きにカメラをのぞいたりと気を配る。


気が付くと、子供達はもう準備ができて来た様子。ゴザに座って何か娘を交えての相談中。次第にさんざめく声に私は、つと座席を離れた。周囲はまだまだ明るい昼下がりで、やや遠くに桜の大木を包む形に、噴水が見える。場所作りの人が増えてきたようだ。だが相変わらずジョギングの人達は隙間を縫って元気に走っていく。その中で私は邪魔をしないように分離帯への道を運び、娘が来てくれるのを待つ。


しばらくして、何か「楽しさに胸一杯」というような、うれしそうなさんざめきが聞こえて来た。あ、あの声は先程の・・・!。子供達と座席作りをしていたとき、俄に騒がしくなった、あのお花見の一行だ。明るく上気した顔のお年寄り男女の方々で、めいめいお弁当の風呂敷包みらしきを抱え、中には大きな「名札」をくくり付けたりの人もあり、しきりに大声が聞こえてくる。お年寄りの後ろにちょうど娘も来てくれて、ようやく私たちも何とは無しに、フラフラと行列の後ろについていく。池の中程で、先の噴水がまた見えた。もっと大きく見えたような気がして何度も振り返っては見、圧倒された。石造りの太鼓橋の上を列の後ろから娘をたよりに車椅子のブレーキを操作しながらそろそろと渡ると誠に絶景。橋の真ん中頃の「欄かん」には「おじぞう様」が左右におわし、みんな歩をとめて心を込めてゆっくりとお参りしている。やっと列が動き出すと突然、かしましい鳥の鳴き声、水鳥達だ。橋桁をのぞくと、水鳥の一群が隅っこで、ひしめき合い、鳴きたてている。羽根の美しい水鳥もいるが、中には「おしどり」もいて、そろってアベックで泳ぎに出て来た。誰かのご寄贈による物とは思うが、お年寄りの心はどれ程慰められることか、池の中までおりてえさを与え、食べたのを見て大喜び。頭をなでなでしてぬれることもいとわず、声をかけ、遊んでやるお年寄りの姿を見て思わず心を打たれた。


足元に注意しながらようやく休憩場所に到着、円形になってヤレヤレと腰をおろすお年寄りたち、まずは一杯と、アルコールを少しずつ配られる。とたんにあっちこっちに「用心やで。気いつけや。控えめにしいや。・・・」と、こちらはお茶らしい女性軍。気遣いの声が飛び交うのはさすが。どっと笑う和やかさである。そして見せびらかした一杯がのどをすべり降りた。のどが、ひくひく動き出したようだ。早くも一番手が拍子を取り出した。手先の泡の水が美声に震え、続いて手拍子がさっとそろい、全員が声をはり上げて一番手の呼吸に合わせ、のびやかに繰り出した。♪ヤーレンソーランソーランソーランソーランソーランハイハイ・・・♪もう何年も歌い馴れ磨き馴れた歌だろう。10人余りの人の声は身震いするような艶やかな、老いた男女の歌声にうっとり聞き惚れた。次は独唱に早くも演出は三番を終了しているが、誰ひとり、アルコールやお弁当、飲み物などを口にしていないのには驚いた。それ程の緊張感の走る、真剣勝負の気分だったのだ・・・。そこで皆さんは一息入れて、一段と澄み渡る声を首を振りつつ勉強している人もあればますます高度になる歌声やこぶし、歌い廻しをどんとこいと喜ぶ人も、一方では三味線の音色を遠慮がちに合わせて乗ってくる人、いろいろ構えて皆が我を忘れて勉強している。老いてまだまだこんなに楽しく打ち込めることがあるしあわせを自覚したお年寄り達は偉いと思う。そして恵まれた正常な判断力を駆使して幸せな人生をお送りくださいと祈り、己も斯くありたいと強く思ってこの場を離れた。花見席は少しずつ増えて来ている。桜の花びらが」、時折頭上に固まって舞う。少し風が出て来たようだ。今年のお花見はやはり今日で終わるらしい。

終わり


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