頸損だより2001春(No.77)

特集1

新長田商店街の
ショップ
モビリティ

〜新長田の街に見る
人にやさしい
まちづくりとは〜

聞き手 鳥屋利治

阪神淡路大震災から6年。かつての街並みを取り戻してきたとはいうものの、未だ活気がなくなったままの地域もあるという。そんな中、街の活気を取り戻そうと立ち上がった商店街がある。神戸新長田商店街アスタ。

ショップモビリティのシステムを商店街に導入し、誰もが利用しやすい、何より心の温もりが感じれる商店街をめざした。震災の傷跡が未だ癒えぬ新長田の街に、ショップモビリティと共に活気を取り戻そうと踏ん張った人たちを、あの震災の起きた日に近い1月20日に取材した。


● ショップモビリティはイギリスで発祥した、買い物客の店間(=ショップ)の自由な移動(=モビリティ)のサポートを行おうというシステム。つまり障害者や高齢者で、店内外での移動が困難な人に電動三輪車(電動スクーター)を貸し出し、必要に応じて付き添い、お買い物がしやすいようにサポートしようというシステム。

一昨年前の2000年3月、ショップモビリティシステム試行のためのイベントを同商店街にて実施。大阪頸損連絡会も障害当事者グループとしてイベントに協力参加した。


現在ではお買い物マップをも作って本格稼働。ショップモビリティの利用者も増えているという。新長田商店街アスタに中心となってシステム導入をされた方の一人、新長田まちづくり株式会社営業企画部の東朋治(あずま)氏に、ショップモビリティ導入の経緯などを聞いてみた。


−−−商店街での電動スクーターの貸し出し(ショップモビリティ)をはじめたきっかけは何だったのでしょう。
 99年10月に「復興大バザール」というイベントを開催しました。この時「ユニバーサル」というテーマをイベントに盛り込み、地元の中学生にお年寄りの買い物荷物を運ぶサポートをしてもらったり、車椅子用の簡易トイレを設置するなどしました。そして翌年の2000年3月20日に通産省の実験事業で、長田区の社会福祉協議会と商店街と協力して「ショップモビリティinアスタ」というイベントを開くことになったんです。電動スクーターは、ホンダ技研さん、アラコさん、三浦工業さんが貸してくれることになり、全部で12台。イベントでは買い物もしていただきながらビルなどの施設に入れるか調査点検も行い、最後にアンケート調査を実施しました。アンケートの結果、利用者の反応もけっこう良くて「楽しめた。また利用してみたい。」というものがほとんどだったので、手応えを確実に感じました。

タウンモビリティというのは建設省で既にやっており、通産省のショップモビリティも、何もうちが初めてというわけではなかったんですが、ちょうどやはり通産省の補助事業で「商店街コミュニティ形成支援事業」というのがあり、うちの商店街でこのショップモビリティをもう少し継続してみようやないか。ということになったんです。期間は7月から11月末までの5ケ月間。「人にやさしい商店街づくり」事業のもと、ここでもやはり地元の中学生のとともに調査点検も含めて商店街のマップづくりもしました。

電動スクーター版と車椅子版の2パターンです。電動スクーターではその性質から、トイレの中まで入れるようなものではないし、スペースの問題上エレベータだって同じですよね。そのかわり施設のそばに駐車スペースを設けようだとか、駐車してる間に充電できるようにできたらいいね、とかいろいろ皆で検討したりしました。支援事業の試行期間を終え、ランニングコストも充分検討したうえで、「よし。じゃあこれからも続けていこう。」と商店街の皆さんの熱意で2000年12月1日から本格導入することになったんです。


−−−本格導入から2ケ月、現在どんな様子ですか。
 まず利用していただくにあたっては、会員になっていただきます。これは保険に加入し、安心して利用していただくためです。その他にもユーザーの方が安心できるよう、たとえば町中で電動スクーターの取り扱いに困ったとき、対応できるエスコート役の設置を商店街の人とホンダさんとで取り組んでます。このエスコートには、スクーターのインストラクター講習を3時間受けてもらい修了証を発行しています。現在この講習修了生は46名で内半分は商店の方です。エスコートは、お買い物などのサポートもさせていただいてます。スクーター利用会員は、現在106名います。この中には、もちろんヘビーユーザーの方も居られれば、一度だけの利用の方など様々ですね。それと商店街の中に5カ所ステーションを設置して、ユーザーの方に一番近いところで乗り捨てしてもらえるようにしてます。国道2号線は道幅約100mあるんですけど、信号が青の間に歩いて渡るのが大変なお年寄りの方にも、スクーターを使って気兼ねなく国道を渡り、自由にお買い物を楽しんでいただけたらと思っています。

また電動スクーターはどうしても「お年寄りのもの」というイメージが強いんですが、これからは、主婦の方のショッピングカート的な存在であったり、子供連れの家族の方、もっと誰もが便利で使いやすいものとなるようにメーカーとも協力して工夫していきたいですね。


○取材メモ

東氏を取材したここ「アスタ情報センター」は、町の情報発信の基地でもある。長田区ボランティアセンターの出張所的役割も果たしている。作業所の商品の展示、通販。一人暮らしのお年寄りが増えてきていることもあり、「声のお届けボランティア」なども取り組んでいるようだ。


同じくショップモビリティの導入に活躍された本町筋商店街の金物店ヤマモトヤのご主人山本豈夫氏に、導入にあたっての店主の皆さんの反応や、これからの商店街のあり方、人にやさしい街づくりについて聞いてみた。


−−−震災から6年。街はまだ完全に復興してないと聞きますが。
山本 そうですね。まだまだとてもやないけど完全に復興したとは言えません。震災後、無くなった家や店舗から皆、仮設店舗、家を建てて、移動も含めて全部自費ですからね。自力再建できたところは早かったけど、その後がなかなか埋まらない。今も空き地が所々にあるけど、なかなか戻って来ないですね。商店街に、この店があってあの店がない、全ての業種が揃わないですわ。まあ、そんなこと言ってても仕方ないから、出来るところからやっていくしかないですけどね。


−−−ショップモビリティの導入にあたり、商店街の店主の皆さんの反応はどうでした。
山本 通産省の実験事業の後、「商店街の話題づくりにも面白いやないか。続けてやってみよう。」ってことになって、また「町のバリアフリー化にも役立つんじゃないか。」と皆で話し合い、続けることになりました。ご覧のように新長田の町は再開発の地域と、旧態の地域が残ってる好対照な町で、これは今後のまちづくりにも役立つだろうと考えました。ショップモビリティ実験期間中は通産省の予算内で、スクーターもメーカーの無料貸し出しで皆、抵抗は無かったです。エスコートは商店の一定の方にお願いしてますけど、皆自分の店の仕事もやりながら、快く引き受けてくれてます。


−−−これからの商店街のあり方、人にやさしい町づくりとは。
山本 やっぱり大型店舗、スーパーなんかはよく勉強してると思います。これからは商店街も大型店には無い良さも活かして、モノの売り買いだけやなくて、会話を大事に、情緒、温もりの感じれる、そんなことを大事にやっていかなあきませんよね。バリアフリーは、建物、いわゆるハード面だけではダメ。ソフト面、人の心が優しくならなければ町に住む人にとっては、何にもならない。その辺のこと、どんどん勉強していかなアカン思うて取り組んでます。見ていただいてわかるように、ここの本町筋商店街のアーケードに大きなハート吊り下げてますでしょ。もうこれからは商業主義だけでなくて、心豊かに暮らしていかなければ、という時代です。また、そう考えなくては生きていけないんじゃないかと。お金儲けだけでなしに、地域の人と触れあって町に住む人の心に伝わる、そんな事やっていかなあきませんでしょうね。

お年寄りの方のお話を聞いてると、やっぱり大型店には行きにくいこともあるようです。そんな時、近所の商店街が行きやすければ、お年寄りの方にとって助かるだろうし、我々もこのあたりの事を大事にすれば若い人にとっても良い商店街になり、人が増えてくるように思うてます。ここで子育てをしたい、という世代の人たちに住んでもらえる町づくりをしていかなあきませんね。


−−−エスコートをされている、奥様から一言。
山本夫人 エスコートになるための講習会は、とても熱い講習会でしたよ(笑)。スクーター利用者のエスコートしてるんですけど、皆近所で顔見知りです。おばあちゃんのエスコートなんかをしていても、買い物のサポートだけでなくコミュニケーションも大事にしてます。おばあちゃんなんかは、よく町の昔の話しや、主人の親の昔の話しなども聞かせてくれます。震災の時、仮設で共に暮らした人たちとは、今でも家族のようなお付き合いをしてますよ。

最後にショップモビリティを利用されてる商店街近くの県営住宅に住むおばあちゃんを訪ね、一言聞いてみた。


−−−電動スクーターに乗ってみてどうですか。
おばあちゃん たしか一年ほど前に商店街から、何だかショップモビリティとか言う案内が来ましてね。初めは商店街の送迎タクシーで、近所の若いお姉ちゃんが「おばあちゃん、おばあちゃん、迎えに来たよ。」ってウチまで来てくれて、週に2回病院まで行って帰りに商店街で買い物して帰るんですよ。今は「買いもん楽ちんバス」なんかも住宅から商店街まで走ってて、そんなの利用して行ってます。スクーターに乗るのは全然怖くなかったですよ。それまではずっと自転車乗ってたもんだから。ただバックはちょっと苦手なんで、スクーターで買いもんした後は、いつも金物屋の山本さんのところまで行って、あとはちゃんと山本さんがやってくれるんですよ。


−−−おばあちゃんは、長田に住んで長いんですか。
おばあちゃん もう長田には30年も前から住んでますよ。震災のあと、ポートアイランドの仮設に3年間住んでましたけどね。61歳まで働いて、倒れて病院に入院もしましたけど、今はだいぶマシですよ。主人がまだ生きてた時に死にかけてたネコを拾ってきて、今はネコと二人暮らし(笑)。恐がりなもんだから、お客さんがくるとすぐ隠れちゃうんですけどね。
●取材のあとに

取材の最後が、とっても優しげなおばあちゃんの笑顔でなんだかホッとする心温まる思いがした。今回の取材は、大阪頸損の旅姿三人衆と、(財)共用品推進機構関西会議内の「歩いてみたらグループ」(街のバリアフリーの「良いところ」を歩きながら探していこう、というグループ)と6名で長田の街へノリ込んだ。降りしきる雨の中、傘をさしさし、大変だったがその分一生の思い出に残るかもしれない。取材を全て終え、昨年のイベントでもお世話になった建具屋の田中さんの紹介で、皆で元祖そばめし「青森」へ。小さなお店でボクの車椅子でも入口は通過できなかったが、店のご主人が、さっと扉ごと取り外してくれた。この心遣いが嬉しい。やはり人情の街、長田だ。これこそがバリアフリーなのか。皆でむさぼった「そばめし」の味は忘れそうになさそうだ。またいつか長田を訪ねてみたいと思う。

注 写真は省略しました。

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