頸損だより2001春(No.77)

長浜小旅行

吉田憲司

久しぶりに家族そろって長浜まで旅行に行った。

9年ぶり、怪我をしてから丸8年経っている。もういいだろうの一言のもとトントン拍子に話は進んでいった。無論、去年のうちに家族が行ってみて下見はしているし泊まるホテルにも話はつけてはいるもののどうしても不安がつきまとう。ひとつはやはり呼吸器年末に異常音がして別の機械に代えてもらったこともあって神経質になっていたのとあと長浜のほうでは雪が降っているらしい。

1/19はよく晴れていて現地の道路も大丈夫と連絡も入ってきた。それを聞いて用意にかかる。呼吸器、バッテリー2個、吸引機2台、アンビューバッグ他に予備のガーゼやらカテーテルやら、これでもかと積み込み僕を車椅子に乗り換える。そうゆう緊張した空気の中で一人何もせずにいるのはかなり疲れる。福祉タクシーに乗り込むころにはもう行きたいのか、それともはやく帰りたいのか・・・?自分でもわからないときはなりゆきに任せる。こうして9年ぶりの家族旅行は惰性から始まった。なお、今回の参加者は以下の10名。我が吉田一家と叔父の辻一家、祖母、介護にきてもらっている木下、菊川の両名にも参加してもらっている。

走り出して40分、僕の強い要望により大津SAで降りる。展望台から北に琵琶湖を望む。うーん、やはりは大きい。左手に比叡山延暦寺、琵琶湖大橋、それからノなんだろあれ?それはともかく少し不便なスロープを上って建物の中に入る。ようやく目的のソフトクリームにありつく。その時その場でだけ、というのが今密かなマイブーム。再び車上の人へ、20分も走ると雪景色に変わる。

彦根城を左手に見た後、高速を下りて湖岸を走ること数分、ホテルが見えてきたようだ。今回泊まるホテルはエクシブという会員制のプライベートホテル。会員権は叔父が若いころ付き合いで買ったらしい。ぐるーっと一周してエントランスまで周ったが窓の位置が悪く全貌を拝むことはできない。おまけに体もズレてきている。景色を楽しむ暇もなくエントランスをくぐる、と見なれない天井が見える、おまけに場違いな豪華さだ。うーん、病院や家の天井に慣れすぎたのかとも思ったがそうでもないようだ。うまくは言えないがうーん、好感は持てる。しかし宿泊費とつりあわない。あとで今の会員権の取引価格を聞いてなるほど納得。どうやらこれまで見てきたところとは経営、サービスの格が違う場所らしい。ただ部屋へ向かう途中、エレベーターの奥行きと部屋の扉の幅が同じだったので妙に落ちつけた。部屋からは琵琶湖が一望できるし、また叔父の部屋からは生吹山が眼前に迫ってみえる、これはいい。バッテリーの交換と今後の打ち合わせをしている間、ずっと外の景色を眺めていた。これはもういい。

五時半からレストランを予約しているのでぼちぼち移動する。個室が使えるということで中華のコースにしたらしい。全十品書かれたお品書きを見ながらどんな料理が出されるのが楽しみにしていると早速、前菜が運ばれてきた。

まあ、とにかく美味しい。が、こんなに空腹の状態で食べていいものかなー?せっかくのなのに・・・少しくらい腹に入れといたほうがよかったか?朝から用意、用意であまり食べられなかったもんな。これは失敗だったかな。それでもコースを半分も過ぎるころには楽しい晩餐になった。

食事が終わったのが八時半過ぎ、先ほどから背中の震えが止まらずかなりつらい。が、そのままホテル内探索へ。そしてお目当ての売店ノブティックの片隅にみやげ物のスペースが設けてあるノでみやげ物を物色。

部屋に戻ると九時半をまわっていた。ボーイまで動員して降ろしてもらう。畳の上に大の字になってようやく一息つける。そしてみんな自由行動へ移っていった。

なんでも温泉があるらしい。温泉ノねぇ。頭でわかっていても少し悔しい。茶でもすすりながらニュースステーションを聴く。カリフォルニアでは停電らしい。

こうして一日終わってみればそれほど無理なところはなかったように思える。同伴者へのプレッシャーはどのくらいのものだろう?

畳で眠れた喜びもそこそこに朝は身支度でせわしない。あれよあれよという間に体は持ち上げられ車椅子に据え付けられる。体はまだ寝ているらしくすこぶるだるい。朝食はバイキングにしたもののとても元は取れそうにない。和食のコースにすればよかったとこちらではみなの意見はめずらしく一致した。ホテルにしても折箱のひとつも用意しておいてくれても・・・

そうこうしている間にチェックアウト、いいホテルには違いないが今回はあまりにせわしい。せわしいついでに一路、帰途につく。再び彦根で高速へ、そのころから空とお腹の雲行きが怪しくなってきた。大津を過ぎるころには雪は本降りに、体はズレ下がり腹が張って息苦しい。ガス抜き対策も真剣に・・・そんなこと思いながら一時間半車に揺られ揺られそしてお約束のアクシデントは最後に待っていた。市から支給されている高速の割引チケットが使えないと料金所で揉め始めたのだ。料金所の職員(以下、おやじ)の言い分は「業者の車ではこの割引チケットは使えない」というものだった。うちが頼んだ日本タクシーには料金とは別に高速の料金もうちで持つと話はつけている、割引チケットは問題なく使えるはずだと説明しても「業者の車だから」の一点張りで聞く耳は持たないようだ。注意事項にもそのようなことは書かれていなかったがオヤジは聞かない。この高速の割引チケット聞くところによるとかなり不正な使われ方をしているケースもあるようだ。そのためかはしらないがオヤジは露骨なまでに不信感を顕にして見せる。後ろの車椅子の僕は眼中にないようだ。ふとJRの障害者用トイレに鎖がかけられた話を思い出した。なんでもトイレに篭る不埒な輩がいるとかで対抗策とかでJR側は鎖で封鎖してしまったものだから本来利用すべき障害者がとても迷惑しているというお粗末な話だったと思う。本来の当事者である障害者はそっちのけで福祉やら障害者とという言葉が一人歩きしているのは聞いていたがここで現場に出くわすとは思わなかった。ここは負けられん。ただでさえ厳しい現実なのにオヤジの頭の中の安っぽい障害者像なんぞに付き合ってる暇などないのだ。粘ること10分で三人目の上司という人物に謝罪をとりつけたがとうとうオヤジは謝らなかった。すべて理解しろと言う気はまったくない、が・・・この10分はあまりにむなしい。家までは10分、ベットに乗せ替えてもらったときは ほっ、と一息つけた。

今回の旅行を振り返ってみると外泊の要領は掴めたし無事帰れたのでとりあえず成功。しかし外出する時間と距離が伸びるたびにバリアが目につくようになってきた。目に見えないバリアもかなり根が深いようだし、まだまだ温泉はお預けのようだ。

注 写真は省略しました。

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