頸損だより2001春(No.77)

必殺!仕事人!

青木宏克

今思えば、親父に言われた「1円でもいいから稼げ、それが社会に貢献していることやから」この言葉が今まで僕の頭の片隅にあったから社会人になれたのかもしれません。確か病院を退院して自宅療養していた頃やったと思います。しかし、自宅療養をしている頃は自分でリハビリを続け少しでも身体の状態を良くしたいと思う気持ちのほうが強く、自己導尿さえできなくて働きたい気持ちは二の次になっていたように思う。

そんなこんなの約5年の自宅療養が経った頃、兵庫リハの訓練課への入所という道が開けた。というのも訓練課が重度更正訓練課と名前を変え身の回りのことをすべて出来ない僕でも入所できるということを聞いたのがきっかけだった。しかし、入所の条件で自己導尿ぐらいは出来るようになってきてもらわないとということだった。それからどうすれば自己導尿できるかを考え始め、玉津で訓練を受けた友達が延長コードを使えばもしかしたら出来るのではと教えてくれたことから何とか出来るようになった。(今ほどスムーズには出来てなかったけど)そのおかげで無事入所、ADL(日常生活動作かな?)訓練が始まった。ここでの3年半はいろんな意味で僕を成長させてくれたと思う。日常動作は同じような状態の仲間が出来たことにより教えられたり教えたりしながら出来ることも飛躍的に増え、これは良いことか悪いことかわからないが受傷前吸っていたタバコも自分で吸えるようになったし、呑みに行ったり、カラオケに行ったりする楽しみをここで教えられた。そして、この訓練課で僕が就職への気持ちを高め、道を切り開いてくれた二人と出会った。一人は故 大木剛史君だ。彼が入所して来た時からやけに気が合い、また彼の頑張りが僕にいろんな面でどれだけ影響を与えたか言いきれません。彼が退所後に担当PTに見放された自動車運転を自己の努力でものにし、訓練校に通い、そして就職したことは僕に勇気を与え、就職への気持ちを高めてくれました。そしてもう一人は訓練課のある指導員で僕は実は神戸の訓練校に一度落ちて次の年もう一度挑戦するつもりがある事情から断念する事になり、どうしていいか悩んでいたとき「君が頑張れる自信があるなら大阪市職業リハビリセンター(訓練校)を勧めるし、力にもなる」と言ってもらったのがきっかけでそこを受けることになり、運良く入校が決まった。この時僕の中でひとつの葛藤があった。自動車の運転をあきらめた僕が自宅のある鳴尾から訓練校のある喜連瓜破まで通うには電車通学しかなく、その為には僕が受傷以来どうしても受け入れる事が出来なかった電動車椅子に乗らなければ通えないという現実とそれを受け入れることだった。しかし、乗ってみれば行動範囲も広がり快適な移動手段へと変わっていった。

入校当初指導員の皆さんは通学距離の遠い僕が毎日通えるか不安だったみたいだが、そこで出来た仲間はみんな気が合いそのメンバーと毎日会えることや訓練することが楽しかったこと、また通学で使う地下鉄の谷町線で乗り合わせる大阪教育大学付属の1,2年生ぐらいの小学生が定期を使って混んでいる電車で大人にもまれながら通学をしているのを見ていると俺も頑張らないという気持ちにもなり皆さんが思うほど苦ではなく、2年間は楽しく過ぎました。

そして、これを読んでくれている皆さんが一番聞きたいと思っている就職についてですが、合同就職会とかに行ったわけではなく、ただ訓練校にきた求人を指導員に勧められ2度の実習を経て平成12年4月に入社しました。この不景気のなか運が良かったこともありますが、入校の時から僕は無年金なので僕が出来る仕事なら業種などこだわらないと指導員に伝えていたこと、そして、2年間あまり休まず訓練と通学を頑張ったことを認めていただいたからだと思っています。ただ2年間訓練校に通って今後就職したいと思っている人達に言いたいことは、出来るならどこでもいいから訓練校に行ってほしい。これは僕も受傷時から仲良くしてもらっている木村佳友(介助犬の活動で有名な)さんに言われたことだが、企業側からしても面接などで自宅で勉強して頑張っていますと言われてよりも、どこそこの学校または訓練校に行って頑張ってると言われるほうが受け入れやすく採用しやすいのではないかということからです。それと出来るだけ多くの資格を取れるよう頑張ってほしいということです。理由は上記と同じです。

では、僕が勤務している会社を紹介します。大阪メディアポート株式会社といい、電力系の第一種電気通信事業者です。詳しくは http://www.omp.co.jp/recruit/index.htm を見てください。そして、勤務している部署は料金センターで業務は各種サービスをお使いいただいているお客様への料金請求・収納業務をしています。障害者を雇用するのは今回が初めてだったこともあり、実習中からどうしたら勤務しやすいかを考えてくれて、身障者トイレの設置、エレベーターへ身障者ボタンの設置その他いろいろ考えてくれています。社員の方に手伝ってもらわないと出来ないこともありますが、みなさんに支えてもらい頑張っています。社会でもまれているからストレスもたまりますが、僕は在宅勤務より外に出て働きたいという希望があり、それがかなっているので仕方のないことだと思っています。

最後に僕が今持っている今後の不安を書きます。朝7時に出て行くわけですが、時間がなく着替えやその他でも多分に親に手伝ってもらっているので、親が倒れでもすれば、今のようには通勤できなくなると思うし、働き続けるのも難しいでしょう。まあ、今は少しでも長く働けるように頑張るだけです。体調に気をつけ頑張んぞ!!

注 写真は省略しました。

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