11/26(日)、会員ミニ勉強会「異性介助問題について」が大阪市長居障害者スポーツセンター会議室にて開かれました。当勉強会開催の経緯は、今、大阪頸損連絡会ではより身体的に重度な会員の方も会の行事・イベントに参加していただけるよう、当会ボランティア部と連携してサポート体制を作っており、昨今非常に多くの方々の参加が見られます。今後もより一層こうしたサポート体制には力を入れていきたいと思っています。この行事中における会員への色々なサポート・介助の中にはもちろんトイレ介助も存在するのが事実です。
より身体的に重度な会員の方にも、不安無く、またトイレの処理などに我慢すること無く行事参加していただけるように、そして介助をするボランティアの方たちにも自己の合意のもとに介助できる体制作り、いわば介助を受ける側、行う側のお互いの「人」としての権利が守られるコーディネートが会として必要である。この介助を受ける側、行う側双方にキチンとした意識が持てることのきっかけに、またこれを発端として社会の中に存在する「異性介助の問題」にも今後関心を持っていくこと、これらを目的に当勉強会を開くことになりました。
では、勉強会において出された話などを簡単に挙げておきましょう。 まずこの「異性介助問題」の前提は、トイレや入浴、更衣などの性的な部分に関連する介助です。つまり外出介助や食事介助・家事などのような、性的な部分に関係しない介助は当然対象としていません。
○東谷氏は異性介助反対派。障害者がこれまで施設でひとりの性を持った人間として扱われていなかった事実。施設女性利用者の身辺介助を男性職員が行ったケースや、利用者は男性も女性も一緒にまとめて入浴させていたケース。これらの、人間の権利が守られていないような問題を解決するために、障害者の運動は異性介助反対を訴え続けている流れがある。この運動の力に足を引っ張ることのないよう、また後退させてしまうことの無いよう、我々も異性介助反対を強く叫んでいかなければならない。たやすくお互いが合意のもとであれば異性介助も構わないとは言えない。介助が必要なときにまわりに同性がいなければやむを得ないが。との論。
○横須賀氏は、双方合意のもとであれば異性介助も構わない派。つまり「双方の合意」がキーワード。しかし、時としてこの「合意」が正しく行われていない。介助する側にも断る権利がある。その判断の余地を介助する側に与えない、といったケースが時々見られる。本当の意味で「合意」が守られてるなら異性介助も構わない。との論。
二人の発題に引き続き、会場からもいろんな話題、問題提議がなされました。
○24時間の介助で生活を組み立ているある方は、生活上、空きなく介助者を入れる必要性があり、同性か異性かを言ってられない。2〜3時間の一定の決まった時間の中に、家事介助もあればトイレ介助もある。同時に男女両方の介助者を派遣してもらうのは無理。またそうすることに意味があるのか。
○またある方の意見は、病院では看護婦、家庭では母親、といった障害者や高齢者の身辺介助は女性がするものといった社会的な性別による偏見。これが多くの異性介助の現実に影響しているのではないか。
○ある方は、障害を持つようになったのが若い時ではないので、介助を受ける相手が同性か異性かを意識した事はこれまでなかった。今も生活上の介助は、家族にしてもヘルパーにしても皆異性だがそこに異性を感じない。あくまで、介助をする「人間」以外の何ものでもない。
などなど、様々な話題が出されました。筆者の感想としては、勉強会に参加されていた皆さんの生活状況が様々であり「異性介助」の前提条件が話題提供される皆さんで違い過ぎたため、少々、話がかみ合って居なかったように思います。外出応援などほんの少しボランティアを必要とする人と、有料介助で生活全般の介助が必要な人とでは、「異性介助」に関する意味合いも異なってくるでしょうし、家庭内や社会で身辺介助は女性、といった決めつけの性差による問題は「ジェンダー」という問題に話題が広がり、「異性介助」とは別にして話合わなければいけない問題であるかもしれません。しかし、何れにしても今回の勉強会でこうした問題に色々と考えていく良いきっかけになったのではないでしょうか。
この報告はあくまでも、勉強会でなされた話題のごく一部であり、話題提供者の言いたかった事のニュアンスを上手く伝えることが出来たかどうかわかりません。筆者の主観が入ってしまっているかもしれません。勉強会に参加できなかった方で録音テープを聞いてみたいという方は、事務局までお問い合わせ下さい。
11月26日に行なわれた頸損連勉強会に参加させて頂きました。今回は、東谷さんと横須賀さんを総合司会としてお招きし、異性介助問題についてディスカッション形式でお話しして頂きました。まず東谷さんから異性介助問題にお話して頂きました。東谷さんの異性介助を否定する視点としては、以下の項目です。
以上の項目のような視点から異性介助問題についてお話していただいたのですが、ここで100%異性介助を否定してしまうと、環境上生活できない人もいるため100%否定はできない。しかし、あたりまえに異性介助が行なわれているのはどうか。同性介助が保障されつつある現在、異性介助がいいと言うことで、その保障されつつある状態に歯止めをかけてしまうのではないかというお話でした。
続いて、横須賀さんから異性介助問題のお話して頂きました。横須賀さんの異性介助に対する視点は、「合意」しているのであればいいのではないか?お互いの信頼関係で成り立つものであり、第三者がとやかく言うことなのかという視点でした。しかし、この「合意」というものはあいまいであり、どのようなケースが合意しているか、していないかと考えるのは難しいというお話でした。
以上のお2人の視点をもとに、ディスカッション形式で参加者さんの意見交換が行なわれました。しかし、みなさんが想定するケースが、親子関係での介助、対ボランティアでの介助、対ヘルパーでの介助というようにずれが生じたため論点がずれるところも見られました。しかし、このことは異性介助問題の深刻性、多面性を映し出すものであり、とても有意義な勉強会になったと思います。今後、想定するケースをある程度設定しての話し合いの必要性も感じました。今の介助の現状、当事者の方がどのように介助について考えているのか、また自分以外の介助者の介助に対する考えを聞くことができ、一人の介助者として勉強会中考えさせられることも多々あり、とても勉強になりました。