頸損だより2001夏(No.78)

『東京タワーは、とうだいもとくら
灯台下暗しだった』

木下かおる

相棒がかかった“脊髄空洞症”と言う病気について調べていて、どうしても一度お会いしてみたい医師がいました。そのために、車椅子の相棒と新幹線を使った旅を思い立ったのです。思いつきです。“脊髄空洞症”は、キアリ奇形や脳底部くも膜炎などの病気が原因になることもありますし、相棒のように頚髄などの損傷を受けてなることもあるのです。MRI(磁気共鳴診断装置)が発達するまでは、診断がつかずに奇病として扱われていた病気です。閉所恐怖症や、あの道路工事中のようなうるささが嫌な方それに、流される音楽が気に食わないと言うこだわりのある方にとっては苦痛ですが、痛みを伴わずに空洞の診断を下せることができるようになりました。造影剤を使った検査もありますが、通常の検査で、診断はつきます。少し“脊髄空洞症”のこと、お話しましょう。脊髄の中に隙間(空洞)ができて、その中に脳脊髄液が溜まってしまいます。流れなくなった水溜りは、周りの組織を圧迫して、年を経るにしたがって、組織を損傷していきます。脳脊髄液は普段は少しずつできて、少しずつ吸収されています。脳や脊髄の周囲をゆっくり淀みなく流れていますが、なにかの原因で流れが障害されて脊髄内分の少しず空洞ができるようです。

昨年、SSシャント術という短いチューブを入れる手術を相棒が受けたのですが、事故で損傷を受けた部分が癒着していて、麻痺事態は進行していますが、空洞は解消されいます。空洞症を多く手がけておられる医師のお話を伺うことと、麻痺が進行していくなかで、久しく出かけていない、二人での旅行という甘い誘惑が勝って、私がお膳だてして、散歩を嫌がる『ぽち』のような相棒を道ずれに(ほんとは彼が主役ですが)東京行きを決めました。

まず、車椅子を新幹線でどう載せたらいいのかから始まりました。なにしろ、体験したことがないんですもん。車椅子専用の車両は思いつきで直ぐチケットを取れるわけではないですし、相棒は杖でなんとか移動もできるので、普通車両を選びました。JRの窓口でも言われることはばらばらで、車両図をインターネットで検索して各車両の最後尾の座席の後ろに、畳んで置けるスペースがあることがわかりました。これも、あるだろうと言う希望的観測だけでした。行きも帰りも、そこをキープしました。JRの職員は、連結されている通路において置くようにとか、持ち去られても仕方ないとか、トンでもないことを言う人もいたのですが、まずは大丈夫。ただ、その座席だとトイレが遠くなることは仕方ありませんでした。車椅子も、乗り込む入り口を間違うと、中では畳んで押さないと座席の間をとおりませんでした。彼の車椅子は、旅行用ではありません。私達は“のぞみ”に乗ったのですが、あれでも座席間はゆっくりなんだろうか。ほかの特急などに乗ったことがないので、わかりませんが。

駅のホームにエレベーターがあることを確認して行ったのですが、場所がひどく遠かったり、わかりにくい場所にあったりしました。それに、乗り込む駅から声をかけないと、降りる駅で荷物用のエレベーターが使えないのにはびっくりしました。『声かけておいてもらわないと』と言われたのですが、それって、設備があれば人手も要らないことなのにね。

新橋の駅では、車椅子の昇降機を動かしてもらったのですが、下から徐々に上がってきたリフトが、途中で止まってしまったのです。そう、駅員さんがボタンを押し捲っていますが、動きません。定期的にでも、動かしたことが無いんじゃないだろうかという疑問を残して、結局車椅子を駅員に抱えてもらって、相棒は手すりと、私の肩で降りました。

東京の歩道は、車椅子を押すにはしんどい道が多かったです。傾斜も急でしかも歩道と車道の段差が高く、なにしろがたがたでした。少し残った桜を楽しむ余裕は、最初の5分ほどで無くなってしまいました。息を切らしながら進むといった具合で、ホテルが見えたときは、正直うれしかったです。荷物はまえもって行きも帰りも宅急便で送り、かかっている病院からお借りしたMRIのフィルムを抱えての旅行でした。

ホテルは、病院近くのビジネスホテルを予約していました。事前に車椅子を使用していることをお話しておきましが、泊まったのは通常のお部屋です。車椅子用の部屋(バリアフリールーム)があると言う事で見せていただきました。ほかの部屋より広く空間がとってあり、バスルームとトイレが車椅子仕様になっていました。でも、何が一番大変かというと、そうです、ホテルの床が総カーペット貼りだったことが、車椅子にとって一番しんどいことでした。介助する私が、病気のため握力などが落ちている性もあるのですが、一息すって腹をくくって押さないと、にっちもさっちも行かない。思う方向へ進んでくれませんでした。

受診の前日は、少し病院の下見もかねて、近くの散歩をしましたが、なんと、ビルを曲がったところに東京タワーがあったのに、まったく気がつかなかったのです。二人とも頸が悪くて、上を見上げる習慣がなかったのと、いつもお金が落ちてないかどちらかと言うと視線を下に向けている性と、あまりに近すぎてビルや建物にかくれて見えませんでした。東京タワーを見た感想。『きゃああああ、ちゃっちいいいいい。』ゴジラはどうして、こんなの倒しにきたんだろうねえ、わざわざ。でも、展望台にあがると、お台場も、観覧車もフジテレビも、皇居もいろいろ見えました。大阪より確実に緑が多い。それに、大きな木のある公園が多いと言うのが感想です。

お会いした医師は、患者の目を見てしっかりお話していただける方でした。延髄のところを触る難しい手術ですが、空洞が悪化したときは手術をしましょうとおっしゃっていただいて、お会いできたこと良かったと思いました。事故の損傷部は、手がつけられない状態でしたが、もう手術の仕様がないと言われる患者にとっては、希望を持たせていただく言葉でした。

多くの難病と言われる病気が、少しずつでも治療法が確立して良くなるように願っています。医療機器の発達もそうですし、医師の技術の確立もあると思います。けれど、やはり、患者と医療関係者と家族が病気を治そうと言う目標に向かって、手を携えてチームプレーができる風通しの良い環境ができていくことが必要だと思いました。

心残りは、東京の蕎麦をたべることできなかったことです。『帰りたいよお』という声に負けて、受診し終わったその足で、新幹線のチケットを取り『のぞみ』の中で駅弁を食べて帰りつきました。次はどこへ行こうかなあ。

注 写真は省略しました。

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