頸損だより2001冬(No.80)

自立生活あれこれ

多田佳子

2001年6月中旬。家族と離れて一人暮らしを始めるようになった。障害的には机の上での事が何とか出来る程度で、身体面では全介助が必要なのが現状だ。両親の年齢を考えて、いつかは何らかの決断をしなければと思い始めたのは23才の頃。今年29才を迎える私にとって、この数年は色んな事を学んだ期間だったと思う。

頚損連絡会で一人暮らしをされている方々の勉強会に参加して、感動したのは何時の事だっただろう。それからも様々な企画の中、グループホームの見学や、実際に自立生活をされている方のお宅に突然お邪魔したりと、本当に色んな方から色んな事を教わった。どの方も嫌な顔一つされずに、とても懇切丁寧に私が分からない事や知らない事を教えて下さった。今の私があるのも、そんな皆さんの暖かいご指導のお陰だと心から感謝している。

しかしどんな事にもきっかけはいる。「いつかは家を出なければ」が、「今」になった理由。私の場合は母の緊急入院がきっかけだった。昨年の秋の深夜。病名は腸閉塞で、10日間の入院が必要となった母。幸い父や兄がいたので事無きを得たが、私一人の時だったら母はどうなっていただろうかと肝が冷える思いだった。取り敢えず自分も身の振り方を考えなければと施設のショートの手続きをしたが、その10日で得た答えは大きかったと思う。「家族に何かあってから行動を起こすのは難しい」。支えてくれる家族が元気な間に、自分の新しい基盤をつくる必要性を痛感出来たのだ。それまでにも自立生活支援センターの体験室を利用して、1週間生活を送って大体の自分の生活介助時間は把握しているつもりだった。けれども実際にこれから生活を送る場所を探すのとは訳が違う。行動を起こすとは、そういう意味だった。

そんな折の事だった。母が退院した後の年末に、ある建設中の分譲マンションの広告が目についた。立地条件が良く、間取りも車椅子で動き易そうなつくり。しかも、月々の返済値段が通常の賃貸よりやや低め。どんな所か行ってみようという事になり、家族と相談した結果、契約する事になったのだった。下見に行って決めるまでの期間、僅か半日…。その日の朝まで具体的な事は何一つ決まっていなかった私の今後が、いきなり現実味を帯びて来たのだった。さすがにこんなに大金が動く事を簡単に決めて良かったのかと、その日の夜は胃が痛かったのが本当の所だったのだが…。けれども両親が「自分達が元気な内に、こうやって先の事をしてくれている方が安心出来ていいから」と言ってくれたので、その言葉に甘える事にした。

それからは本当に慌ただしかったと思う。私の介助体制をバックアップして下さる自立生活支援センターと連絡を取り合って、市役所と交渉。実際に住むマンションも建設中だったので、事前に出来る所は改造して頂き、無理な所は部屋の引渡し後速やかに改造出来るように手続きをした。私は直接関わっていないが、税金対策にも両親は苦心してくれたようだ。いざという時に、私に余り相続税が掛からないようにする為だとか。地元市川から姫路の街に引っ越して来て、自分一人で現在のような生活が送られるようになったのも本当に色んな方のお陰だと思う。感謝してもし切れないくらいだ。

さて、では実際の生活はどうなのかと言えば、実は余り「一人暮らし」という実感はなかったりする。介助体制が8:30~11:30/16:00~18:30/21:00~23:00というのもあり、実家にいる頃よりも圧倒的に人と接する機会が増えた事が理由の一つにあるだろう。私は在宅でイラストの仕事を少ししているのだが、元々体力不足の為出歩く事も滅多になく、場合によっては一ヶ月外出しなくても苦にはならない性分だ。貴重な体力は仕事が入った時に備えて温存しておこうと、暇な時はゴロゴロしながら読書が出来ればそれで満足な私。そんな訳だから、一人暮らしになったから家族に気兼ねなく外出できるわ♪とか、夜遊び出来るわ♪とかとは全く無縁な生活を送っているのが現状だ。調理の買出しにしても介助時間の節約も兼ねて、殆どメモで買って来て貰う事が多く、食生活もどちらかと言えば質素(?)だと思う。よく考えたら引っ越ししてからまだ一度も外食していないような…。外食1回分の費用で約1週間分の食費が賄えると知ってしまうと、外食も勇気がいるようだ(笑)。

一人暮らしを始めて大変だと思ったのは、各種生活費に関する手続きだった。光熱費に国民年金、水道に電話料金等。引き落とし手続きに追われていた最初の頃は、マメにチェックしていた料金明細。気が緩んだのと仕事の〆切りに追われていたのとで、すっかり手続き完了気分でいた私に、突然それは降り掛かった。10月、料金滞納による電話切断…。始めは電話の接続具合が悪いのかと説明書とにらめっこをしながら苦戦していたが、介助者の「ひょっとして…」の一言で料金滞納と判明。NTTは滞納していても変わりなく普通の明細表が届いていたので、見落としていたようだ。滞納の場合はもっと分かり易い赤枠か何かで来るものと思っていただけに、ショックだったがいい勉強にはなったと思う(笑)。

私の一人暮らしにおける希望は、「実家にいた頃と同じ生活を送る事」だった。そして今、それが叶った生活だと言っても過言ではない毎日だ。体調が悪い時は休んで、仕事がある時は部屋にこもって。家にいた頃と違う点は、自分の為だけに予定が組める事だろうか。介助時間内という制約はあるが、その時間内であれば、相手の都合を考えずに時間一杯自分の為だけに行動が出来る訳だ。時間ギリギリまで仕事をしていても良ければ、部屋の模様替えのような事をしていても可能。家族だと「今頼んでも大丈夫かな?」「これ頼んでも体、大丈夫かな?」と遠慮が先に立つ事でも、契約介助者には気兼ねなく頼む事が出来る。ある意味、精神面ではとても楽になったのではと、最近思うようになった。そして、自分の時間の充実と共に感じるのが、家族を束縛しているような後ろめたさからの解放。勿論今も何かある事におんぶにだっこの状態で、親のスネかじりまくりの私だが、それでも後ろ向きな気持ちからは一歩前進出来たように思う。

理解を示し、暖かく送り出してくれた両親。生活を支える介助者を派遣して下さるセンターの方々。そして、現場の介助者の方々。私は一人暮らしだけれども一人ではない。色んな方に支えられて、今の生活がある。まだまだ私の新しい基盤つくりは始まったばかりで、これからも色んな事があるだろう。けれどもこの感謝の気持ちを忘れないように、前向きに自分の人生として取り組んで行きたいと思う。

当座の目標は健康管理。一応気を遣っていたつもりだったが、これまた例年通り体調不良にみまわれているこの頃。折角両親が私を信用して送り出してくれたのだから、心配を掛けるような事は極力避けたいものである。まぁ最寄りの素晴らしいお医者様にも巡り合えたので、これも一つの機会だったのかもしれないけれど。

冒頭にも述べたが私が今の生活を送られるようになるまでに、本当に色んな方から情報を頂いた。だからこそ、私の持っている情報でもし参考になるようなものがあればご遠慮なく声を掛けて頂ければと思う。ちなみに現在使っている福祉機器は、テクノロックさんの玄関ドア用オートロックカードキー。ミクニの浴槽用昇降リフト。分離式シャワーキャリー。昇降ベット。はっきり言って殆ど頚損連絡会で得た情報ばかりである…(笑)。連絡会バンザイ♪

注 写真は省略しました。

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