頸損だより2002夏(No.82)

春のフォーラム

「私が自立生活センターを選んだ理由(わけ)」

〜自立支援に取り組む重度障害者からのメッセージ〜

02.7.3 詳細追加


3/24(日)門真市なみはやドームにて春のフォーラムを開催。今年のテーマは「私が自立生活センターを選んだ理由(わけ)」。昨今、大阪頸損会の会員さんのなかには、それぞれの地域で自立生活センター(以下、CILと略す)を立ち上げたり、またCILのメンバーとして活躍されてる方が増えてきています。

頸損会のそういった方たちが、受傷し、身体にハンディを持ってから、同じようにハンディを持つ仲間の自立支援を行うようになるに至った経過をお話ししてもらおうと、このテーマが選ばれた。

4人のパネリストの個性やこれまでの経過も様々。受傷後20年近くも自宅の四角い天井だけを見つめ外に出れなかった人や、学校への復学に必然的に早期に外へ出ることになった人。また、身体に障害を持ちながら働く場としてCILを選んだ人も居れば、自分が生活していく上で介助の手を集めるためにCILを作る必要のあった人…。いろんな人がいるから、いろんな人が住む地域でいろんな仲間の自立支援ができるのかもしれない。

何よりもこのフォーラムで伝えたかったことは、どんな人であっても、人と人の間にあって、社会的に何かをする役割が必ずどこかにあって、それはパズルの一枚のように、その人でなければいけない何かを必ず誰もが持っている。人として生きていく価値はどんな誰にでもある。

障害を持っていても、何かを受けるだけでなく、何かを提供する人たちの存在を伝えたかったフォーラムだ。

■以上(事務局:鳥屋)

以降に、パネリストへの質問票をご紹介します。

また当日のフォーラムの様子を録音したカセットテープがあります。

聞いてみたいと思われる方は事務局までご連絡下さい。

片野坂 和幸さん

  1. 自己紹介

    17歳のとき(平成3年6月26日)にプールの飛び込みの事故で受傷しました。大阪市大正区出身、現在28歳です。昨年5月より、箕面市で一人暮しをはじめました。

  2. わたしの属しているCIL
    NPO法人 箕面市障害者の生活と労働推進協議会
    市町村障害者生活支援事業部 「ライフタイムミント」
    〒562−0001 箕面市箕面4丁目8番30号
    TEL0727−20−6806
    FAX0727−20−6808
    メールの場合  E―mailmintlife@big.or.jp
    HP http://www19.big.or.jp/~mintlife/index.shtml
  3. CILにたずさわっている年数

    約2年

  4. CILにたずさわるようになったきっかけ

    大学卒業後、専門学校に通いながら、就職活動(福祉関係)をしていたが、なかなか採用に至らず、その当時たまたま耳にした「ピアカウンセリング」について興味を持ったので、ピア大阪でピアカウンセラーの人に話を聞きに行きました。

    そして、そこで開かれていた「ピアカウンセリング入門講座」への参加を勧められ、参加したところに、今の職場のスタッフが隣に居合わせて、就職先を探していることなどを伝えていたところ、偶然、そこが市町村障害者生活支援事業の立ち上げに向けて障害者スタッフ探していたこともあって、後日、連絡を頂いて採用されることになりました。ラッキーでした。

  5. CILの活動をやっていて思うこと、感ずること、考えてること

    とにかく、仕事が持てたことが嬉しい!しかも、あたりまえだが職場での障害者への理解があり(介護面など)、自分のしたいことがやりやすい環境でやり甲斐もあります。しかし、現実として障害者の自立支援ということは本当に難しく、答えが無いように思え、毎日が勉強で、責任も重く、悩みも多いです。

    単に仕事ととして割り切ることができず、一つ一つが自分の生活や生き方にはね返ってくるところがしんどい面でもあり、大きな魅力でもあるように思います。

  6. 皆さんへ一言

    地域で仲間の輪を広げていきたいです(特に頚損の人との出会いが無くて寂しい)。スタッフはみんな個性的でとても真面目です。一度、ミントに遊びに来てください!!

坂上 正司さん

  1. 自己紹介
    ●:障害者情報クラブの事業
    1964年宝塚市生まれ
    1981年ラグビーの試合中受傷(高校1年)
    顎コントロール電動車いす
    1982年復学(高校2年)
    電動のコントロールを顎から手へ
    1984年高校卒業、大学入学
    1985年大阪頚損連入会
    1986年学内の障害者運動に傾倒していく
    大阪頚損連事務局長
    1987年大阪頚損連編集部長(〜1992年3月)
    1988年大学卒業、大学院へ
    1989年第9回車いす市民全国集会・まちづくり分科会事務局長
    障害者情報クラブ設立・事務局長(〜1999年3月)
    1990年大学院修了(理学修士)
    車いすウォーク・ラリー(〜1994年)
    第2回自立生活研究全国集会実行委員・交通環境分科会運営委員
    1991年プロップ・ステーション設立準備委員
    1992年プロップ・ステーション役員(〜1997年11月)
    大阪頚損連会計監査(〜2000年3月)
    1995年阪神大震災
    介助者養成講座(〜1997年3月)
    1996年第2回障害者政策研究全国集会実行委員・まちづくり分科会運営スタッフ
    宝塚市障害者生活支援事業作業部会
    1997年宝塚市障害者生活支援事業準備委員会委員
    関西学院大学非常勤講師(〜現在)
    ILセンター設立(心身障害者小規模通所援護事業)
    1998年アテンダント養成講座開始(〜現在)
    宝塚市障害者自立生活支援センター(宝塚市障害者生活支援事業)が宝塚市社会福祉協議会に委託
    同運営委員
    アテンダント派遣事業開始(〜現在)
    1999年障害者情報クラブ代表幹事(〜現在)
    2000年宝塚市障害者自立生活支援センター運営副委員長
  2. わたしの属しているCIL
    障害者情報クラブ : 市民活動
    ILセンター   : CIL事業
    665−0816
    兵庫県宝塚市平井2丁目1番10号205号室(ハイツ エフ・オー)
    電話&FAX.0797-82-2233
    http://www.butaman.ne.jp/~sakaue/sjc/
    sjcil@anet.ne.jp
  3. CILにたずさわっている年数

    13年

  4. CILにたずさわるようになったきっかけ

    自分の生活を確立するために介助者を確保する必要があったが、知り合いの学生を除くと、地域で介助者を求めるすべがなかったので、自分で作るしかなかった。

    ちょうどその頃、第9回車いす市民全国集会が西宮市を中心に阪神間で開催された。終了後、西宮の中央実行委員会はメインストリーム協会を設立したが、それには参加せず、宝塚で障害者情報クラブを設立する。

    メインストリーム協会がCILの理念を前提にして設立されたのに対し、障害者情報クラブでは仲良しクラブの要素が高かったため、当初はまちづくりを提唱するしかなかった。その中で、車いすウォークラリーを5年続けて開催。5年目の1994年には市の予算化が認められた。1991年には宝塚市からの委託事業として車いすガイドブックを作成。療護施設からの自立障害者を漸く一人獲得できると思った矢先に阪神大震災に見舞われた。

    今まで培ってきたものがすべて崩されてしまったと思った。しかし、翌日、障害者の救援情報を伝えるファックスが届いた。今まで培ってきたつながりがはっきり生きていることを思い知らされた。宝塚が被災地でありながら、神戸や西宮からの避難地にもなっているという特殊事情を考えて、障害者・高齢者への入浴情報提供と介助コーディネートを3日かけて準備。社協のデイサービスセンターや民間の療護施設でガス、水道が復旧しているところと交渉して、震災から6日目にスタートさせた。これを契機に、会員内に介助の問題がにわかにクローズアップされ始めた。しかし、その内容はあくまでもボランティアの考え方が主で、自立という概念はなかなか盛り込めず、「ボランティア(介助者)養成講座」として2年間展開することになる。

    そうしているうちに、市町村障害者生活支援事業が制定され、宝塚でも導入に向けての準備が始まった。当然、障害者情報クラブが委託先になると誰もが思っていたが、宝塚の福祉を金で牛耳っている某懇談会が横槍を入れることになる。彼らの言い分は「自分たちの存在はこの事業のためにあったのだ。そのために20年かけて準備をしてきた」ということだった。市や社協の良識的な幹部は彼らの意見を無視することができず、事業を研究する学習会を障害者に関わる各団体を集めてやることになった。研究が進むにつれ、既存の障害者団体は自分たちの手におえない事業であることに気づき抜けていった。横槍を入れた某懇談会も誰も出席者を出さなくなった。最後は市と社協と障害者情報クラブだけになった。4ヶ月の沈黙のあと、市から突然、「障害者生活支援事業準備委員を選出する」と言ってきた。受託先はいつのまにか社協、次期は翌年と決まっていた。

    こうなったら一から出直すしかない。市に身体障害者小規模通所援護事業を申請し、半年後に受託。事業内容は、「障害者生活支援事業と同じ」としたが、何の問題もなく受理された。これがCIL部門の「ILセンター」になる。まず手始めにアテンダント養成講座を開催。修了者を坂上が利用し、アテンダントの意識を植え付けて、半年後に坂上以外の利用者にも派遣するようにする。

  5. CILの活動をやっていて思うこと、感ずること、考えてること

    幸せになりたい

  6. 皆さんへ一言

    おまえらもっと自分を取り巻く法制度のことを勉強しろよ。

    あと一年もしないうちに、これから10年間の障害者へ提供されるサービスの枠組みが決まってまうんやぞ。

    決まってから、「そんなはずやなかった」とか「そんなん聞いてないよ〜」といったところでどうにもならんねんぞ。

鈴木 千春さん

  1. 自己紹介
    1978.4.30生まれる。
    1992.7.18(3階よりの転落で頸髄損傷になる)
    1年半の入院生活後を経て、中学校へ復学、卒業。
    1994.4茨木養護学校・高等部、入学。
    メインストリーム協会「障害者甲子園」参加。
    京都自立生活問題研究所「自立生活教室」受講。
    リハビリ工業カンファレンス、参加。
    釣りたいクラブ、メンバーとなる。
    1997.4大阪コミュニケーションアート専門学校、入学。
    在宅アルバイト、グラフィック等する。
    2000.7ピア大阪「ピア・スクール」受講。
    2000.11ピア・カウンセリング短期集中講座、受講。
    2000.12〜自立生活センター・ナビ、ILP受講。
    2000.12〜自立生活センター・ナビ、研修。
    2001.7ピア・カウンセリング長期講座、受講。
    2001.11ピア・カウンセラー養成講座、受講。
  2. わたしの属しているCIL
    自立生活センター・あるる
    〒534−0014 大阪市都島区都島北通1−22−26ハイムさとう1階
    TEL&FAX 06−6928−9981
  3. CILにたずさわっている年数

    2001.夏より

  4. CILにたずさわるようになったきっかけ

    あるるのメンバーが出逢ったきっかけは大阪頸損連でした。

    20代のメンバーが集まって、まずは知ることから始めようと勉強会を開催し、一年後、2001年夏に自立生活センター・あるるは(大阪市都島区)設立しました。

    ■あるるメンバー

    代表:安原美佐子、事務局長:鈴木千春、事務局員:太田康裕、事務局員:杉井健祐

  5. CILの活動をやっていて思うこと、感ずること、考えてること

    受傷してから、自分が受け身で生活しなければと思ってきた中で、色々な事に参加していくようになり、今はサポートを提供するという立場になって、まだまだ自分自が勉強していかなければならないことだらけですが、相談に来られた方が笑顔で帰られた時等、ふとした瞬間にやってて良かったって思います。

  6. 皆さんへ一言

    いつでもお気軽にお立寄りください。

    みなさんのお越しを心よりお待ちしています。

東谷 太さん

  1. 自己紹介

    東谷 太(ひがしたにふとし)。男。38才。バツイチ。淋しん坊で甘えん坊。

    受傷年月日:1983年2月17日バイク事故にて受傷。受傷部位C2・3。

    (損傷レベルC5の不完全マヒ)

  2. わたしの属しているCIL
    自立生活支援センター・ピア大阪
    大阪市東住吉区南田辺1−9−28
    tel 06−6622−1180
    fax 06−6622−0423

    日本で始めて100%公的な資金で運営される自立生活センターとして1994年に設立。大阪市の外郭団体である社会福祉法人大阪市障害更正文化協会に委託され運営されている。法人の一事業所でありながらも当事者主体を守るために、「代表・事務局長が障害者であり、意志決定機関の過半数が障害者である。」という運営体制をとっている。

  3. CILにたずさわっている年数

    8年

  4. CILにたずさわるようになったきっかけ

    頚損連の役員会に参加している時に、ピア大阪を設立するための準備会である「自立生活センター研究会」の存在を知り、興味を持ったので、その研究会に参加するようになりました。そして、約1年半後、設立にあたって常勤職員を募集するということだったので、「是非、働きたい!」と手を上げ採用試験を受け採用されました。

  5. CILの活動をやっていて思うこと、感ずること、考えてること

    社会のバリアフリー化が進んできているとは言うものの、重度の障害者が自立生活を獲得するには、まだまだ容易ではないことを実感します。相談にこられた方の生活を現在の制度下では支える事ができない状況に直面した時に、「この人の生活をどうやって支えたらええんや・・・。」と落ち込んでしまうこともよくあります。

    また逆に、ピア大阪との関わりをきっかけとして積極的に社会参加されるようになり、いきいきとした生活を送っていけるように変貌していく障害者を見ると元気をもらえますし何物にも変えがたい喜びとしてあります。僕たちに会いにピア大阪を訪れてくれる多くの仲間が僕のピア大阪で頑張っていける原動力です。

  6. 皆さんへ一言

    僕は研究会に参加し自立生活センターというものを知って以来、自立生活センターというものに惚れ込んでいます。自立生活センターというのは、障害者が主人公となれる場であり、障害者が一人の人間として自信と誇りを取り戻すことのできる場だと思っています。また、障害者自身だけではなく、障害者を取り巻く社会そのものを変えていく力と使命をもっている場所だと思っています。これからも、日本全国にたくさんの自立生活センターができ、そこを通して多くの障害者がエンパワメントされて地域でいきいきと生活できるようになることを切に願っています。

注 写真は省略しました。

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