2002年10月15日(火)〜18日(金)札幌市で「第6回DPI世界会議札幌大会」が開催されました。4年に1度開催される世界会議が今回は日本で開催されるということで、札幌はちょっと遠いけど「この機会を逃したら2度と参加でけへんかも?」という思いで思い切って参加してきました。
ちなみにDPIというのは ↓ です。
DPIとはDisabled Peoples' Internationalの略であり、日本語では「障害者インターナショナル」といいます。1981年、国際障害者年を機に、身体、知的、精神など、障害の種別を超えて自らの声をもって活動する障害当事者団体として設立されました。世界本部はカナダのウィニペグにあります。現在加盟団体は世界150カ国以上。 DPIは国連の社会経済理事会やWHO(世界保健機構)、ILO(国際労働機構)といった組織に対して影響力を持つ障害当事者による国際NGO(非政府組織)として、多くの活動を行ってきました。
【DPIホームページより】http://homepage2.nifty.com/dpi-japan/dpi-japan.htm
この大会は、世界の障害者の「完全参加と平等」を実現し、この社会が「すべての人々が等しく価値ある存在であり、すべての人々が尊重される社会の実現」をめざすことを目的とします。また、大会テーマは「すべての障壁を取り除き違いと権利を祝おう!!」であり、大会スローガンは「なくそうバリア!ふやそう心のバリアフリー!!」でした。なんと今回は、109カ国3,113人もの参加があったそうですが、いろんな国から、いろんな障害の仲間たちが参加されていて、大きな力を感じました。
15日の朝、いよいよ開会式が、山田昭義(DPI日本会議議長)さんの挨拶から始まり、最前列に陣取って「カブリつき」状態で観ていた僕のボルテージは上昇していきました。特に、今年亡くなられた世界のリーダーたちの追悼式の冒頭で、ADA(アメリカ障害者差別禁止法)の父と言われるジャスティン・ダートさんの亡くなられる直前のメッセージが、ADA制定に向けた当時の障害者運動の記録映像とともに映し出されたのですが、その時の「We are peopple!!」という叫び声が僕の胸を貫きました。「われわれは人間だ!!」という、ただそれだけの主張! それこそが、われわれ障害者が置かれてきた状況であり、今なお続く現状であると感じます。だからこそ、全世界の障害者が集まり、力を合わせ、権利を主張する必要があるのだと感じました。現に、僕が参加した分科会は「生命倫理」がテーマだったのですが、その中で、ある日本の女性障害者がスピーカーとして発言されていました。彼女の話の内容は「自分は昔、施設に入所していて、20歳になった時に施設側から生理の時の世話が大変なので、生理を止めるために放射能を浴びせて子宮機能を停止するための処置をさせるよう迫られた。家族も私が施設に居れなくなると困るので手術を受け入れて欲しいと私に執拗に迫った。その時の私は、生理が無くなると子供を産めなくなることを知らなかった・・・。」というものでした。また、出生前診断で、お腹の中の赤ちゃんが、障害児であると判明した時に中絶しても構わないという優生保護法の問題を議論していた時に、会場のある60歳過ぎの男性が「自分には、筋ジストロフィーの子供が二人居て、長年の世話で疲れ果てた。だから、もし自分の子供が障害児を身ごもったと判った時は産むなと言うだろう。」という発言がありました。その男性は、「みなさんから非難されると思いますが・・・。」と言った上で発言されました。障害者の人権を主張するこの大会で、このような発言をしなくてはいけないほど、このお父さんは苦しんできたのだろうと想像できます。しかし、だからと言って障害者は排除されても構わないのだろうか!? 障害があるからといって、殺され(中絶)ても構わないのか!? そんな事は決してない!! そのお父さんが悪いのでも、障害をもった子供が悪いのでもなく、障害者を支えるシステムの無い社会の側が悪いのです。
その時、その会場に居た、ある筋ジストロフィーの女性が、そのお父さんの後にこんなことを言っておられました。「自分は筋ジストロフィーという障害をもって生まれ、20数年間生きてきました。これから先、自分に子供ができて、その子供が筋ジストロフィーだと判ったとしても自分は産みます。産んで、自分が生きてきた生き方を子供に伝えようと思います。」というものでした。僕はこの言葉に救われました。この発言は、その当事者だから言える、当事者だから説得力のある言葉として伝わってきたのだと思います。だからこそ、「われわれは人間だ!!」と、われわれ自身が声を上げなければならないんだ!と、あらためて感じさせられた大会でした。
《硬い文章になってしまったので、それ以外の報告はやわらかく・・・。(笑)》
僕はJTBのDPIツアーを利用したのですが、伊丹空港から新千歳空港まで、なんと1時間半で到着しました。変な話ですが、電車とか自動車で来たら何時間かかるねん!というのがある程度分かるだけに(アメリカとかだと想像もできないからね。)飛行機の凄さというのをあらためて認識しました。と同時に、北海道まで、これくらいで来れるならどこでも行けるやん!などと妙な自信を持つこともできました。(笑)
新千歳空港に着いて、札幌まではDPIの用意してくれたリフトバスで札幌まで向かったのですが、その待ち時間の時に「低血糖状態」になってしまったので、「何か食べる物はないか?」と遠のく意識の中で探していた時、空港の売店で見つけたのが「イクラ弁当」で、食べながら北海道に来たんやなぁ・・・。と実感しました。(笑)
この車での移動が飛行機に乗っていた時間と同じ1時間半かかったのにも驚きました。
大会の始まる前日に札幌に乗り込んだので、着いたその夜は、札幌ラーメンを求めて街に繰り出しました。僕が泊まったのは、大通り公園の側のホテルだったのですが、そこから、地下鉄で二駅目(乗り換え有り)が「すすきの」の街でした。すすきのと聞くと歓楽街というイメージがありますが、梅田や難波と同じような、普通の大きな繁華街でした。ただ、普通では無い所が、普通の繁華街の普通の飲食店が並んでいる中に、突如として「ソープランド」があることです。これには、かなりビックリしました。(笑)もちろん、そんな所には入らずに、ラーメン横丁で「味噌ラーメン」を食べました。(友人にはラーメン横丁に行くのは素人だと言われましたが・・・。)
あと、三日目には「カニ料理」を食べ、四日目には、せっかく北海道に来たのだから観光もしようと、小樽まで行き「ホタテ」を食べました。
この大会を迎えるために、何年も前から交通アクセスの改善に力を入れたらしく、札幌の地下鉄は多くの駅にエレベーターが設置されていたので、移動は簡単でした。
小樽まで行くJRの車両にも、車イススペースがあり、快適な旅でした。ちなみに、
JRの札幌駅、新千歳駅にはエレベーターがあり、小樽はエスカレーターがありました。また、全体の印象としては、札幌は大都会すぎて大阪とあまり変わりがない(交通量も多く空気も汚れている)ので、あまり良くなかったです。
以上がDPI報告でした。