頸損だより2003夏(No.86)

シリーズ自立生活あれこれ

太田康裕さんの場合


今回は自立生活センター・あるるのスタッフとして活躍し、自らも自立生活されている太田康裕さんの自立生活を紹介させていただきます。なお、今回は将来の自立の参考にしたいという比嘉さんの希望により、特別にインタビュー形式にさせていただきました。

インタビュアーは、事務局の比嘉昌美と東谷 太です。

比嘉:
なぜ、そんなに太いの?(笑)
太田:
そんなに太ってないよ!
東谷:
さて、気を取り直して(笑)、年齢とか損傷レベルとかを教えてもらえるかな。
太田:
26歳、C5完全マヒ、受傷してから13年ですかね。
比嘉:
自立したキッカケは?
太田:
受傷して退院してから在宅生活が長くて、このままではダメやと思っていて、いつかは自立しようと思っていた。
あるるに関ったことも大きかったと思うけど、自立生活センターの勉強をしていくうに、自分と同じような状況の仲間が居ることを知って、自分が自立する事でそんな仲間に何か伝えることができたらなぁと思った。
比嘉:
自立までの過程で大変だったことは何ですか?
太田:
一人暮らしのイメージというのがイマイチもてなかったのと、一番気になったのが排便(摘便)を介助者に頼むことで、かなり抵抗感があったんですわ。だから、頚損で自立している先輩の家に訪問して、その辺をどうやって乗り越えてきたのか聞いてみたんやけど、先輩はほとんど気にしたことがなかったみたいで、僕が質問したことで「そやったんか・・・。」と初めて気にするみたいな感じやったので、自分は気にし過ぎてるんかなぁ・・。と思うようになって、実際やってみたら気にならなくて、今ではモリモリ出してもらってます。(笑)
他には、介助者確保が大変だった。介助者募集の案内をコンボ(ボランティア情報雑誌)に載せてもらったり、ビラを作って街中で配ったりしたんやけど、なかなか集まらなかったので初めは友達の紹介とかで確保していった。
今までは、母親に介助を受けるだけだったのでイチイチ説明しなくてもやってもらえたけども、介助者には説明しないと伝わらないので、自分に必要な介助を書き出してみたり、ピア大阪にある自立生活体験室を使って他人の介助を受けることを体験したりして準備をした。
比嘉:
自立に向けて動き出してから、実際に自立するまでの期間は?
太田:
約1年半かなぁ・・・。
比嘉:
自立してみて何が変わった?
太田:
生活のすべてにおいて責任を取らないといけないことがしんどいけど嬉しい。自分の好きなスタイルの生活ができる。家族に気を使わなくて済む。今までは親の意見に左右されていたが、今は自分が中心なのが良い。ということかな。
大変な面は、介助者との付き合い。自分の生活に入ってくるわけでプライバシーをさらけださないとならない。介助者とのコミュニケーションが難しい。特に初めの頃は難しかったけど、話し合うことで解消できるように努力した。
比嘉:
1日の生活パターンを教えてもらえるかな。

<図は省略しました>

東谷:
生活の中で工夫していることは?
太田:
まず、ベッドサイドとお風呂にそれぞれリフト(マイティーエース)を取り付けている。(写真1)お風呂のリフトは支柱をボルトで固定しないといけなくて、そうなるとユニットバスではダメなので部屋探しの時に苦労した。入浴はシャワーチェアーに乗り換えてシャーワーを浴びている(浴槽には浸からない)。夜11時以降は介助者も帰って一人で居るから、玄関のドアロックをリモコンで開閉できるようにリモコン対応型の鍵をドアに後付した。(写真2) 寝た状態になると手を使ってリモコンとかを押せないので、棒を口にくわえてリモコンのボタンとかを押せるように、コーナンで買ってきた材木等を加工してリモコンパネルのようなものを手作りで作った。介助者が帰る直前にそのコントロールパネルが顔の前にくるようにセットしてもらう。(写真3) そのコントロールパネルには、玄関ロックのリモコン、エアコンとテレビとビデオのリモコン、携帯電話のホルダーが付けてある。もしその棒が口から離れても大丈夫なように、棒をゴムでぶら下げている。ほんま、コーナンは僕の自立生活にかかせませんよ。(笑)
比嘉:
最後にこれからの目標を教えてもらえますか。
太田:
今まで人との出会いが大切だと感じていて、ここまでこれたのも人との出会いがあったからこそだと思っている。だから、これからは、福祉関係の人たちだけではなく、一般の人たちにも障害者のことを解ってもらいたい。また、在宅生活をおくっている障害者の仲間にも自立生活を伝えていきたい。
比嘉・東谷:
ありがとうございました。
注 写真・図は省略しました。

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