頸損だより2003夏(No.86)

シリーズ

車輪の一歩

退院したあのころ、車イスで外へ出るのが不安でした。

なぜだかわからないけど・・・・・。でも今は違う。

車輪の一歩を踏み出すことで自分の世界の何かが変わりました。

川畑 勲

僕は今年でプールでの事故で車イスの生活を送るようになって20年になります。2年間病院に入院し、退院したころは外に出るのも、電車に乗るにも不安がありました。病院では体温調節が出来ないので夏や冬などに外に出ることがなく過ごしていましたが、退院するとそんなことも言っておられず、外の空気に慣れる必要がありました。それに周りの者は僕が元気なころの姿を知っているので、わざわざ障害になった姿を見せなくてもいいと言われたのですが、この考えには納得できず、障害があろうとなかろうと外に出る権利はどんな人にも平等にあり、当たり前の権利なのだと思ったので、退院してすぐに毎日家の回りを1時間ぐらい散歩することに決めました。毎日散歩をしていると小さな子供からお年寄りまでいろんな方々と出会い、初めは周りの人も僕の姿を見るとどう接してしていいのかわからず声をかけづらいと思うので、こちらから積極的に挨拶をして声をかけ合っていると、向こうも当たり前のように挨拶してくれるので、知り合いが増えていき自信も付いていきました。毎日の散歩はこの20年間欠かすことがなく続けていて、そのおかげで体力もつき、気温の変化にも付いて行けるようになり、急な外出もできるようになりました。

電車に乗るのは付き添いの人と一緒に乗っていましたが、頸損会の行事などに参加すると、僕よりももっと状態の悪い人が1人で電車に乗ったりする姿を見ていて、僕にもできるのではないかと思い、チャレンジすることにしました。初めは乗り過ごしてしまったらどうしようと思う不安がありましたが、電車では駅員さんがエスカレーターの介護をしてくれ、ホームで電車に乗せてくれた後、到着する駅に連絡をしておいてくれるので、到着したときにはホームで駅員さんが待っていてくれるので助かります。たまにホームに駅員さんが来ていないときもありますが、その時は周りの人に頼んで降ろしてもらえばいいので、今まで1度も電車を乗り過ごしたことがありません。4月からは支援費制度が始まったこともあり、外出の介助も時間を多めにとってくれていたので出て行く機会が増えました。ヘルパーさんとは病院の送り迎えやよく映画や絵画展を見に行ったりし、頸損会の役員会や行事なども今までは頸損会のボランティアさんに頼んでいたのを、移動介護の時間を使ってまかなえるようになりました。

僕は音楽が大好きで時々ホールやライブハウスにコンサートを見に行くのですが、その時はヘルパーさんに頼むと、ヘルパーさんの分もチケット代を払わなければいけないので、その場合はインターネットのアーティストの掲示板で最寄りの駅から会場まで車イスを押していってくれる人を探すことにしています。何ヶ月か前に掲示板にそのことを書いておくと、たいがいコンサートまでには一緒に行ってくれる人が見つかると思います。前の日には会場に電話をして車イスで見えるような席や台などを用意してもらうことも必要だと思います。

障害者になったからといって悲観的に生きるよりも、毎日楽しく生きていくほうがどれだけ人生がプラスになるかわからないので、皆さんも色んな事に挑戦していってほしいと思います。


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