頸損だより2003秋(No.87)

「自立生活あれこれ」

前田 哲司

一人暮らしは何年か前から考えてたのですが、なかなかきっかけがなく、具体的には何も考えてませんでしたそのことを急に考えなければならなくなったのが、母親が大病して余命わずかとわかってからです。100パーセント身の回りのことを母親にしてもらってましたから、私にとっても重要な問題です(滝汗)。親が元気なうちから、ある程度自立生活のことを・・・急いで大阪の知人に声をかけ、自分でも不動産屋を何軒か回りましたが、なかなか見つからず、8ヶ月が過ぎました。半ば諦めモードの時、大阪頸損連絡会のメーリングリストで三戸呂さんのカキコでコレクティブハウス「しまんと荘」が紹介されてました。これしかないと思い、連絡先も記載されてたので、早速、次の日連絡をいれ見学に行くことにしました。風呂、トイレ、キッチン、洗面所が共同というのが気になりましたが、他を探す気力もなく、悩んでる暇もなく、新築だし、駐車場もついてるし、あまり深く考えず、まぁ、なんとか住めそうなので、即決しました。

一旦淡路に帰ってからは、引越しの準備と役所関係の書類の移動。父親に、「大阪で一人暮らすでぇ」と報告。父親には、この時初めて一人暮らしをすることを言いました。「しまんと荘」に一番近い、在宅ケアセンターのヘルパーさんも確保でき、見学から約1ヵ月後の11月1日、晴れてめでたく大阪市民になりました。施設ではないので、基本的に自分が依頼したヘルパーさんが帰ったあと困るようなことがあればどうしようという不安はありましたが、よほど困れば、管理人に連絡するか、「しまんと荘」の住人にお願いすれば助けてもらえると思います。

全部で8室あるのですが、今のところ4室入居されてます。自分の意思が伝えれる方なら、老若男女、誰でも入居できます。今のところ、全員障害者です。暮らしだして感じたことは、ヘルパーさんとの人間関係が一番のポイントだと痛感しました。これが上手くいかないと、生活に支障をきたします。今まで利用したことがなかったので、コミュニケーションが上手くいかず、最初は、週2日だけの派遣で、ほとんど自炊でしたが、4月の支援費制度になってからは、毎日来てもらって助かってます。あと訪問リハビリが週3、訪問看護が週2、訪問診療が週1です。淡路島にいた時は、通院にかなり時間を使ってましたが、引っ越してからは、通院は泌尿器科だけになりました。あと不便なところは、浴槽に入れない(爆)、まだ浴槽には浸かったことがなく、シャワーしか使えない。インターホンが出入口にあるので、ベッドにいると来客があってもすぐに対応できない(爆)。洗面所の水道が水しか使えない。特に冬場が・・・(涙)

あと実家の建設業を手伝っていたので、その仕事をやめるわけにいかず、最初のうちは、週2回帰ってました。帰ると役所関係の仕事、銀行、取引先との打ち合わせ、支払日、集金日の管理。etc。港区では、請求書、領収書、伝票の整理、パソコンに入出金の入力などしてます。今は週1回帰るだけで落ち着いてます。今は元気に帰れてますが、そのうち体調が悪いとかで帰れなくなる日も来ると思います。

まぁ、それはその時考えればいいかぁ!とまぁ、相変わらず安易な考えで、気楽な日々を送ってます(核爆)。最終的に、一人暮らしをして大正解だったと思います。今を思い切り生きてるので先のことはわかりませが・・・。私の場合は、一人暮らしのためのお金が準備できてたので、勝手に住民票を移し、家を出てしまいました。一人暮らしをするに当たり、一番重要なことは「一人で暮らすんだ」という強い意思と行動力だと思います。この意志が強ければ強いほど、自立生活への道は近いと思います。とはいいましたが、障害者が一人暮らしをするには、大きな壁がいくつもあります。住める家の確保、ヘルパーさんの確保、お金の準備、役所関係の書類の移動、親を説得しなければいけないとか、やらなければならないことは、たくさんありますが・・・

現にここ「しまんと荘」にもたくさんの障害者が見学に来られますが、9割の方は何らかの問題で入居をやめてしまいます。誰でも、簡単とは言いませんが、一人暮らしができるはずだと思います。いざ始めてみると、抱いてた不安も徐々に解消でき、なんとかなるものです。とりあえずは、決断と行動です。皆様も、自立生活にチャレンジしてください!

注 写真は省略しました。

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