ついにJRでチェアメイトの転倒事故がおきました。以前よりその危険性が多くの障害者より指摘され、東京などでは次から次と廃止されていたにもかかわらずJR西日本の時代遅れの対応、もう、怒りが爆発です。ステッピングカー(チェアメイト)からの転倒は正確には階段を上りきった後、そのステッピングカーからの地面へ降車の際にスロープから脱輪、電動車イスごと転倒です。
被害者のM君は頭部を強打、脳シントウでしばらく意識不明。救急車で病院へ直行。留置カテーテルも引っ張り抜け、多量の血尿。病院ではカテーテルの入れなおし。CTスキャンなどの検査。取りあえず、腫れなどがあるものの脳内は異常なしということで、その日に帰宅はしたのですが、その後、2日間にわたり38度以上の熱と血尿が続いたそうです。左肩打撲、顔面なども強打しており、食事をとるとコメカミやアゴがズキズキと痛み、夜も眠れず大変に不自由な思いをされました。
精神的なダメージも大きく。もう二度とJR姫路駅は怖くて利用できない、かなり離れてはいるが新幹線を利用する際には「エレベーターがある新神戸駅にする」と言っていました。彼のトラウマはしばらく続きそうです。もちろん、電動車椅子は修理が必要です。
さらに問題なのはJR姫路駅ではステッピングカーの危険性を全く理解しておらず、エスカレーターより安全とこれからどんどん使うつもりでいるのです。
説明に来た助役が逆に「ステッピングカーが危険」と障害者団体などが今まで要望された例があるのですか?と聞き返される始末です。
ホント、ふざけていますよね。
拝啓、平素より、貴社におかれましては、公共交通事業にご尽力くださり、心より敬意を表します。
当会は、頸髄損傷者を中心とした当事者団体です。(詳しくはホームページをご覧ください。)
去る、10月26日(日)午前11時40分頃にJR姫路駅新幹線ホームにて、ステッピングカー(キャタピラ式階段昇降機、別名チェアメイト『写真参照』))を使用中、当会会員のM氏が電動車椅子ごと転倒落下し頭部を強打、救急病院へ運ばれるという大事故が発生いたしました。すでにそちらにも連絡が入っていると思います。
さて、当会ではこの事態を重くとらえ、ステッピングカーの危険性を指摘し、改善を求める必要があると考えます。多くの障害者よりその危険性が指摘されているのです。東京の障害者団体からは要望書が提出され、JR東日本を始めとする関東の鉄道各社では具体的対応策が取られております。ステッピングカーは、すでにその危険認識のもとに、過去の遺物とさえなりつつあります。
よって、以下について当会は要望します。
JR東日本を始めとする関東鉄道各社がステッピングカーについてどのように対応しているか調査してください。さらに約50台のステッピングカーがJR西日本管内に配備されていると聞きましたが、それらの駅で何の問題もなく使用されているかどうか。何度も使用されている駅であればあるほど危険な事実があったはずです。障害者からは危険であるとの不安の声はなかったか。また階段昇降中に「滑り」やまた危うく転倒しかけたなどの事実がなかったか。
全ての駅にエレベーターの設置がもちろん最善策ですが、それも諸事情ゆえに直ちにその実施も難しいと理解しております。その場合、暫定的な対応としてエスカル(階段斜行リフト)の設置をご検討ください。なおエスカルは関西では阪神三宮駅や阪急河原町駅に設置されています。
(参考資料)
http://www.kotukodo.com/syoukouki.htm
2月7日あの日が甦る!約7年前、この場所、東京の駅長室。私たち3人は大阪府立身体障害者センターで、共に1年余りを過ごした仲間である。15,6年のブランクを於いて再会してからは年に1回、1泊旅行をするようになっていた。最高11人で城之崎の蟹づくしの旅などもあったが、この時は3人での潮来(茨城県)からの帰りだった。新大阪で新幹線の切符を買った時のように、東京駅で切符を受け取った途端、手動車椅子の1人を見てその切符は引っ込められてしまった。窓口の向こう側から駅長室で待つように言われる。脳性麻痺の2人と松葉杖だった私たちは窓口と駅長室を行ったり来たり、その内に見ていた若い女性が一緒になって抗議をしてくれたが、待つこと延々。もともと早い時刻ではなかったのだが、駅長室に駅員が来てくれた時は、もう新大阪着の新幹線が名古屋乗り換えしかなくなっていた。結局は困った駅側からの手配で夜行バスに乗って夜明けの大阪に帰った。3千円という安上がりは良かったものの、車椅子が1台で付き添いがいないという理由からお金を突き返された事は納得のいかないものであった。電動や車椅子の仲間をいれた当時の私たちは、自分の事は自分でまかない、お互いに助け合いながらも介護者を必要としていなかった。
ピア・カウンセラー養成講座を終えての帰り、電動車椅子に乗って、いま介護者と娘との3人連れ、おなじこの広い障害者トイレ付きの駅長室に来た!
少し離れて向かいの切符売り場の窓口を見て、当時の私自身を思い出し妙な気分に襲われる。1種の1級でも歩けたあの頃との違い、表面的ではなく実感として感じる。指を黒豆大福でねばねばにしながら、置かれた長椅子が以前とちっとも変わらないような気もしていた。
重度障害者の移動手段は公共交通機関のみといっても過言ではない。それは、安い、安全、早いと言えるからだ。多くの障害者の先輩が移動確保の運動をして今の移動の形ができた。乗車拒否や対応の遅さ、まずさで、乗りたい列車に乗れなかったと言う話もある。今でこそ、重度障害者が一人旅をできるようにもなった。しかし、前述の吉田さんの記事は、障害者の自立が理解されずに厳しかったときのことを思い出されたものだ。また、田村さんの記事は先日のことだ。JRになり体制は変わったといわれるがまだ旧国鉄時代の考えで仕事をされている人がいるのが現在の実態である。要望書を出しても何の返事も無い。「まだこんなことをやっているのか」、と移動問題に取り組んでいる仲間は言うに違いない。
兵庫県内の鉄道ネットは寂しい限りだ。南から北に行くのは2本の路線しかない。福知山線と播但線だがそれも車椅子だと入り口が狭く、おまけに列車の中に階段があり乗れない列車もある。都市部を走るのは電車だ。電化され多くの乗客を運ぶのだが、地方に行く列車はディーデル車だ。当たり前だが、電化がされていない路線に電車は走れない。高速道路はたくさんできた。まだまだ作ろうとしている。六甲山のお腹は多くの自動車用トンネルで蜂の巣状態だ。しかし、鉄道の路線は無くなる一方。高齢社会が迫っていると言いながら道路ばかり作っている。将来誰が通るのだろう。
JR明石駅にある看板には、「速さはJRのあかしです」と書いてある。速さだけでなく、安く、安全、を目標にしていただきたい。我々は今一度、「安全な移動の確保」という会設立時の目的に立ちかえる必要がある。