われわれ車椅子を使い生活している者にとって「住まい」の問題は大きい。
あるとき頸髄を損傷して、入院生活を経て自宅での車椅子生活を始める場合、これまで生活していた自宅を何らか改修しなければならないことがほとんどである。ある人は家の建て直しや、暮らしやすい家に引っ越しすることさえもあるだろう。
また親元を離れて自立生活を始める場合も、車椅子で暮らしやすいその「住まい」探し、あるいは自分に合った「暮らし方」選びは重要なテーマの一つでもある。持ち家、賃貸マンションの改修、また共同住宅としての福祉ホームやコレクティブハウス、様々なスタイルがあり特徴がある。
われわれにとって暮らしやすい「住まい」とは。頸損者の住宅設計、改修を幾つも手がけられた建築士の立場から岡村英樹氏に話を聞き、また実際に持ち家、賃貸マンションに暮らす頸損当事者に、改修や工夫のポイントを紹介してもらいました。このほかコレクティブハウスや福祉ホームも、共同住宅の概念を取材したその様子から紹介し、そこに暮らして居られる方の話もあわせてレポートします。
これをきっかけにして、頸損者と住まい、その暮らし方をこれからも考えていきたいと思います。
先日、兵庫県立総合リハビリテーションセンターの自立生活訓練センター設立10周年セミナーで、シンポジストの三戸呂克美さん(兵庫頸損連絡会)がこんなことを言っておられました。
自立生活を営んでいくためには、次の4つの条件がある。それは、(1)拠点となる住居、(2)生活を支えてくれる支援者(家族、友人、ボランティア、ヘルパーなど)、(3)生活を支えてくれる制度・法律、(4)本人の意欲、だというのです。
私は、建築士として今までいろんな方の環境整備に携ってきた中で、4番目の「本人の意欲」がいちばん重要ではないかと思っています。意欲があれば、それに沿った形の住環境なり、道具なり、支援者なりはくっついてくるのではないでしょうか。
何のために環境整備をするのか。私は次の4つに分けて考えようと言っています。
(1)移動手段を確保すること
家から外に出る、外から家に入る、そして家の中を自由に動ける環境をつくることです。
それから車いすからシャワーチェア、ベッドから車いすへの移動など。左右の移動もあれば上下の移動もあります。
(2)生理的欲求
排便、排尿、食事、睡眠といった生物としての最低限必要な営みを確保することです。
つい見落としがちなのが温度調整の問題です。建築の図面では、廊下の幅やスロープの中勾配などはある程度読み取れますが、温度管理の情報は出てきません。でも、頸損で体温調節が非常にしにくい人の場合は重要なポイントになってきます。
(3)生活上のニードを満足させること
たとえば顔を洗うこと、歯を磨くこと。自分の服を自分の気に入ったところに収納したり、必要な時に取り出したりできること。
それから外に出かけるには、家から外へ出られればOKではありません。人前に行く時はちょっと顔を整えたり、服装の乱れを直したり、それがちゃんとできているかを鏡の前でチェックしてから出かけるわけですから、スロープさえあればいいのではなく、鏡が要るし、顔を整える場所が要ります。そのほか、車で乗り降りするときの雨よけや、カーテン・窓・雨戸の開け閉めなどです。
(4)その人らしさの追求、暮らしを楽しむ工夫
やはり人間は、基本的な生活が満足されると、その上が必要になってきます。楽しみとか、生きがいとか、何のために生きてるんだろうとか、生きてて何が楽しいんだろうとか。
それはその人その人でちがってくるはずで、他人が押しつけるものではなく、「自分はこれがしたい」と中から出てくるものです。旅行かもしれないし、ゲームかもしれないし、ギャンブルかもしれない。外で一服たばこを吸うことかもしれない。こうした生活を楽しむ工夫が必要です。
以上のことを全部実現するのは難しいことで、現実にはいろんな条件があります。家の構造的にできない。予算的に無理。制度が使えない。助成金が使えない。身体の状況的にそこまでの整備は追いつかない。そういう大がかりな改造はしたくない、あるいは自分はしたいが家族が許してくれない。将来的に別のところに引っ越すかもしれないから、今、あまり大がかりな改造はしたくない…など。
その人その人のいろんな住み方やライフスタイルや人生設計があるはずです。その中で現実的に何をしていくかというと、ひたすら調整作業です。こういう障害の人だからこういう改造をする、という決まった答えはありません。その人に合った環境をいかに作るかは、ゆっくり話し合いをして調整していかなければなりません。
住まいの環境整備を考える時に、注意しておきたいポイントを4つ挙げておきます。
(1)スペースのゆとり
入院中の方によく聞かれます。「今度帰って家で生活するんですが、ベッドを置いて、いったい何畳ぐらいの部屋だったら快適に過ごせますか」と。でも、一慨には答えられません。どれくらい物を持ってらして、どういう生活をされるのかというイメージがないとわかりません。
ゆとりがあるほど車いすは動きやすいですが、広すぎるとスペースがもったいないし、エアコンの効き具合が悪くなります。かといって狭すぎると「もうちょっと広かったら」と後悔が残る場合もあって、どれくらいゆとりをもたせるかは難しいんです。
自宅にしろマンションにしろ、スペースの制限があります。どこにどんな物を置くのか。車いすで回転できるようにするなら、廊下でも回転したいのか、廊下は直進でも部屋で回転できればいいのか。どこでゆとりを持たせてどんなふうに生活するのかをよく考えなければなりません。
(2)建具
建具とは、一般的に言うとドア、扉、窓などです。よく考えてやらないと使い勝手が悪くなります。使い勝手が悪いと、たかだか自分の部屋から出るだけでひと苦労します。いつでも楽に出られて、簡単に閉められて、すきま風もあまりないのが快適なドアです。
車いすで生活するには、廊下から部屋に入る時、部屋から部屋に移動する時の通路幅が気になるところです。ドアをできるだけ広くしないと通れないと思いがちですが、実はそうでもありません。車いすの幅は人によっていろいろです。それに、けっこう狭い幅でも、そのドアのところだけの一瞬だったら、ちょっと壁を押すようにして通れないことはありません。でも廊下から90度曲がろうと思えば、それなりのゆとりが必要です。
車いすの人が通れるドアの幅って何センチと聞かれても、簡単には答えられません。その人に応じてどれくらいのゆとりを持たせるかです。その中で、やはり少しでもドアのところを広くしたいという時の現実的な解決方法をひとつお示しします。ドアを1枚の引き戸にせずに、2枚の引き戸が連動するようにします。すると1枚の時より広くなります。
(3)スロープ
建築業者には、車いすの人といえば即スロープという安易な発想をしている人間が多い。ところが、スロープはかなり注意して考えないと、あとあと大変なことになる場合があります。
家の床は、特に一戸建ての場合、たいてい地面から高くなっているので、高いところまでスロープで上がるのはけっこう大変です。また、上がりきったところにはフラットな部分も作っておかないと、ドアを開ける時に困ります。そうした問題を考えると、スロープではなく段差解消機を入れた方が現実的だったりします。
スロープの角度は当然、ゆるい方が上がりやすい。ところが、ゆるやかにするには長いスロープにしなければなりません。広大な敷地の中に家が建っていれば、いくらでもゆるいスロープできますが、ほとんどの日本の住宅事情はそうではありません。限られた敷地の中で、どれくらいのスロープが作れるかを考えなければなりません。
もう一つの条件は、ご本人の上れる能力です。それも、体調がいい時に全力を使えば上れる勾配、まぁそこそこがんばれば上れる勾配、風邪引いてしんどい時や外に遊びに行ってくたくたで帰って来た時でも上れる勾配、とちがいがあります。この方だったらこれくらいの勾配は上れる、それでOKというのは絶対あり得ません。敷地の広さとその方の上りやすさを考えて、どこで妥協点を見いだすか。これも調整の問題になります。
(4)洗面台
洗面台ってたかだか顔を洗ったり、歯を磨いたり、手を洗ったりするだけと簡単に考えがちですが、実はけっこう難しいんです。
何が難しいかというと、洗面台の下にひざが入るかどうかです。これも個人差があって、かなりひざがしっかり入らないと使いづらい方、浅く入ってもまあまあ使える方、横付けでも使えるという方と、使い方と障害レベルによっていろいろあります。
ひざ下がしっかりと入らないと使えない方には、きちっと調整してあげないといけません。洗面台自体の高さの調整と、もう一つは床下の排水管です。一般的な施工のしかただと、排水管にフットレストのところが当たってしまい、完全にひざが入りきらない場合が出てきます。そうならないためには、配管を足が当たらないような方向に寄せて施工する必要があります。
失敗例として、設計の段階できちんとひざの高さを計って作ったが、工事中に車いすのクッションを替えたためにひざの位置が高くなり、ひざが入らなくなったケースがあります。こういうことはけっこう頻繁にあって、ご本人のひざの高さが変わることもあるし、はいている靴の厚み、乗っている車いすの大きさ、クッションの材料によっても変わるし、夏と冬で着ている服の厚みがちがうこともあります。職人さんが間違えた位置に設置してしまう場合もあります。いろんな要因があります。
かといって余裕を持たせるために高めにしすぎると、今度は使いづらくなるというジレンマがあります。どれくらい余裕をみるかはけっこう微妙な問題です。
こういった、いろんな細かい調整を具体的にどうするか。私の場合はよくシミュレーションをします。図面でいくら書いてもわかりませんから、実際にやってみましょうと。そして実際にものができてから、もう一度確かめて、だめだったらまた手直しをする。こういう試行錯誤を重ねないと、一発ではなかなかうまくいかない場合が多いですね。
以前、このミニ・フォーラムで松崎有己さん(大阪頸損連絡会)が話されたことが、とても印象に残っています。それは、介助者の手がたくさんある場合は環境整備は最低限でよい。逆に介助者が入るのをできるだけ少なくしよう、少しでも自分の残存能力をたくさん使おうと思うなら、環境整備をけっこうたくさんしないといけないということです。
一慨には言えませんが、けっこうこういう傾向があります。たくさんヘルパーさんを使われる方は、環境整備はわりと最低限でよかったりする場合もあります。ここに個人差もまた出てきます。これはどちらがいいとか悪いとかではなく、それこそ、自分がどういう生活をしたいかというバランスの問題になってくると思います。
1984年8月、交通事故で受傷。レベルC−6。手動車いす使用。
20年前に自宅を改修しました。築40年以上の木造の家だったので、改造はできないと言われて建て替えになりました。設計者は車いす用の設計をするのは初めてでしたが、いろいろと話し合ってよくしてもらいました。
改修は、とりあえず最低限のことだけやっておいて、後は臨機応変に変えていけばいいと思います。スロープなど最低レベルの部分は専門家と相談して最初にちゃんとしておかないといけませんが、それ以外の部分は自分の生活スタイルに合わせてその都度変えていったらいいと思います。
建物の床を一般より低くすることによって、スロープの角度をゆるやかにして上りやすくしている。スロープの勾配を決定するにあたっては、当時セラピストと一緒に十分検討した。
※玄関の外のスロープは1/16、玄関の中のスロープは1/13でした。(岡村)
リモコンで開けられる。自動ドアをつけるまでは、自分で出入りできなかった。出る時も帰って来た時も誰かに開けてもらわないので、時間的な制限に縛られていた。夜遅く帰ってくることもできなかった。
「飲みに行ったら明け方とかに帰ってくるので、そういう時、家族に開けてもらうのは心苦しい。今はいつ出かけて、いつ帰ってこようが自由。動機は不純だが、QOLが上がった」と延澤さん。
※自分の好きな時に出入りできる環境…って当たり前のことですもんね。こういうのは、ぜいたくとはいわないと思います。(岡村)
当時のセラピストの勧めで、部屋の入り口は全てアコーディオンドアにした。しかし開閉がしにくいことや、すきま風が入りやすいこと、使っているうちにマグネットが弱くなってくることなど問題点が多く、使い勝手はよくなかった。そこで自分の部屋だけでも出入りがしやすいようにと、いろいろ検討した末、折れ戸に変更した(構造上、引き戸にするのは難しかったので…)。その結果、出入りの時の開閉動作もしやすくなり、すきま風の問題もかなり解消された。
※アコーディオンドアというのは、金額は比較的安いですが、使い勝手はよいとは言いにくいものです。これから住まいを考えられる方は、できるかぎり軽い引き戸にされることをお勧めいたします。(岡村)
設計者の勧めで、自分で開閉できるように、電動シャッター雨戸を採用している。スイッチはベッドに近いところにあり、寝ている状態でも操作できる。
※設計者の方の感性に感動しました。障害者の家の設計は始めてなのに、そういったニーズを汲み取れるというのは、かなりのセンスですね。それも20年前…ですから驚きです。(岡村)
自分の部屋の壁面に、オーディオ・テレビ・本などが完璧に収納されている。知り合いに親切な建具屋さんがいたので、どこに何を置くのかなど細かく打ち合わせしながら作ってもらえた。
※収納の問題はとても重要…でありながら、とても難しい。お一人お一人に合わせて、じっくりと相談に乗ってもらえる人が必要ですね。「おまかせ」では、満足のいくものにはなりません。(岡村)
自分自身が使いやすいように広いトイレにしたが、現在では排便は人工肛門、排尿はバルーン使用のため、自分はトイレに入ることはない。でも、友だちが遊びに来た時に使ってもらえるので、広くしておいて良かったと思っている。
※そうですね、友だちに来てもらいやすい環境づくり…も、無理のない範囲で考えておかれるとよいのではないでしょうか。(岡村)
余裕をもって廊下の幅を110ンチにしておいたが、結果的にはそこまでの広さは必要なかったと思っている(直進できればよいので、途中でターンすることはないため)。今では、廊下が物置きになっている。
※廊下の幅を何センチにすればよいのか…など、これも人それぞれです。途中でターンできるくらい広くしておいて良かったという方もあります。(岡村)
いちばん失敗したのはこれ。洗面台の高さがわずかに低かったために、膝が入らなかった。でも洗面台に対して、車いすを横付けしたら使えるので、結果的には大きな問題にはなっていない。
※設計の時点ではそこまで頭が回らなかったと言われていましたが、それは普通だと思います。図面だけではイメージしにくいものですからね。(岡村)
こだわるところはこだわって、でも、全体的にはおおらかに考えられているというバランスのよさが、延澤さんの住まいに対する考え方の根底にあると思います。「最初から完璧など無理」と言い切られるのは、この20年間に、部屋の入り口をアコーディオンドアから折れ戸に替えられたり、玄関には自動ドアが必要だと感じて付けられたりしながら、その時々の気持ちや生活の仕方に合わせて住まいを改善してこられた中で見つけられた真理…という気がします。
退院、退所の時点では、家での生活のイメージが湧きにくいものですから、最初から絶対失敗をしないようにと考えると気が重いものです。しかも(身体機能や家族の形態、生活スタイルなどの)状況は時とともに変わっていくのが普通です。そこで、できるだけ、後々の変化に対応できるように、ゆとりを持たせた設計ということが、よりよい住まいづくりの鍵になりますね。
1989年8月、プールの飛び込みで受傷。レベルC−5。電動車いす使用。
約2年前に実家を出て、一人暮らしを始めることにしました。まず最初に突き当たった問題は、家探しです。障害者であるというだけで、断られる大家さんも多く、今の住まいを探すのには大変苦労しました。一戸建ての住宅(持ち家)と違って、賃貸マンションは改造がなかなかできない点も苦労したところです。
家を探すにあたって、(1)部屋まで段差がなく出入りできること(エレベーターがあること)、(2)お風呂にリフトをつけられること、の2つが必要条件でした。リフターの専門会社の方に相談した結果、浴室用リフト(マイティーエース)をつけるためには、壁の強度が必要だということがわかりました。つまりユニットバスではなく、モルタルかタイルの壁である必要があったのですが、最近のマンションはユニットバスが多く、(1)(2)の条件を両方満たす物件にはなかなかめぐり合えませんでした。
今住んでいるマンション(築13年)は、入り口付近の段差はスロープで解消されいるし、僕の部屋がある2階まではエレベーター(少し狭いですが、なんとか電動車いすでも乗れます)で上れます。そして、懸案の浴室もモルタル壁でしたので即決しました。
僕の場合は、一日のうちほぼ常時、介助者が入っているので、大げさな改造はなく、(不便な点は介助力でまかなわれていますので)改造した点といえば、(1)寝室の床、(2)お風呂のリフター、(3)ベッドへの移乗用リフター、(4)ベッド上で寝たまま使える「便利リモコン」ぐらいです。
ベッドの頭の上のところにつけている「便利リモコン」。環境制御装置をつけることも考えたが、価格が少し高いし、この部屋にずっと住むつもりでもなかったので、何とか自分自身でできないかと考えて作った。材料はホームセンターのコーナンで買ってきた。
板の裏側にリモコン一式がセットしてあり、ベッドに寝ている時に口に棒をくわえて、ビデオ・テレビ・エアコンの操作や、玄関の電子錠の開け閉めができるようになっている。緊急時に人が呼べるように携帯電話の充電器もセットしている。
電動車いすで移動しているので、重要なのは段差がないこと。寝室(畳部屋)の入り口の敷居の上にカバーをかけて、スムーズに移動できるようにしている。また畳を傷めないように、畳の上に合板を敷き、その上にさらにクッションシートを敷いている(一見、フローリングの部屋に見える)。
※これらの材料は、全てホームセンターのコーナンで買ってきたものだそうです。手軽な材料で、住まいを改善。お見事!(岡村)
入浴はシャワーチェアに座ってのシャワー浴のみ(浴槽には入らない)。ただし、チェアーに座ったままだと、お尻などがちゃんと洗えないため、リフターを使って身体を浮かせる必要がある。これなら、1人でも入浴介助は可能。
※こんなリフトの使い方もあるんですね。(岡村)
やはり、物件を探す事自体がとてもご苦労だったと思います。でも、太田さんの場合は、お金をかけずにいろいろと工夫するのがけっこう嫌いじゃないようです。その辺の余裕がいいなと感じました。
施設や在宅から地域自立への移行が進む中で、注目されているのが、施設と一人暮らしの中間というべき共同生活の住まいだ。グループホームや福祉ホーム、そしてコレクティブハウスという新しいスタイルも生まれてきている。
こうした共同生活の住まいは、自宅を出て自立したいが、完全な一人暮らしはまだ不安という人への有効な選択肢となるだろう。その暮らしぶりはどんなものか、大阪市内の2つの住宅をたずねてみた。
2003年7月にオープンした「あいえる」は、大阪市内で初めての身体障害者福祉ホームだ。大阪府内では、山直ハイツ(岸和田市)、しののめホーム(堺市)に次いで3件目。施設や在宅から自立生活に移行するための“ステップの場”として作られている。
身体障害者福祉法で「低額な料金で、身体上の障害のため家庭において日常生活を営むのに支障のある身体障害者に対し、その日常生活に適するような居室その他の設備を利用させるとともに、日常生活に必要な便宜を供与する施設」と規定(第30条の2)。
本来は比較的軽度の障害者を対象にした制度だが、「あいえる」では、介助者の共同利用の仕組みを採り入れ、重度の人に対応できるようにしている。
施設や在宅から地域移行をしようという時、まず介助者を使ったり、外出したりという自立生活の体験を積むことが必要だと考えました。そこで、いったんここに入り、やがて一人暮らしやグループホームに移行していくステップの場をつくろうと生まれたものです。自立生活に移行するまでの期限を3年としています。自立支援のプログラムは、大阪市内の自立生活センターと連携しながら進めています。
8畳程度の居室が10室。すべて個室で、各室にトイレ、シャワー、洗面台、ベランダを備えています。トイレは、入居者の必要に応じて、日常生活用具などの制度を利用して手すりやウォシュレットなどをつけています。
部屋を貸すというスタンスなので、ベッドや電気製品は入居者の持ち込みです。ただしベッドは日常生活用具の特殊寝台で申請できます。
共用の設備は、食堂・談話室、共同浴室(男女別にそれぞれ2つの浴槽がある)、洗濯コーナー、エレベーター(フットスイッチあり)、玄関の自動ドアなどです。
現在、9人が入居しています(男性6人、女性3人)。全員が車いす使用です。1種1級の重度の方が多く、身体と知的の重複障害の方もいます。在宅の制度(支援費と生活保護他人介護料の併用が多い)を使って、個々でヘルパーと契約して生活しています。
ヘルパーを共有できる点が強みです。現在の介護制度では、1対1の対応だと、常時介助を必要とする人をカバーできません。「あいえる」では、必要に応じて対応できるように、利用者によって介助者の共有を行っています。夜間の泊まり介助は男性2人、女性1人と、利用者3人に対してヘルパー1人を配置。各入居者はペンダント式のコールを持っていて、ボタンを押せばヘルパーを呼ぶことができます。
一人暮らしの要素と、グループホームなどの共同生活の要素をあわせ持っています。
一人暮らしの要素は、個々が在宅の制度を使って生活している点。全室個室で、外出の制限はなく、ご飯を自室で食べるのも自由で、プライバシーが保たれている点。
共同生活の要素は、ヘルパーの共有のほか、月〜土曜の夕食は、入居者が考えたメニー(当番制)に基づいて調理員さんがみんなの分をつくります。浴室は共同なので、入る順番を入居者同士で調整しなければなりません。
家賃4万円、共益費(共用部分の電気・ガス・水道代)1万2500円。各居室の電気代は、部屋にメーターがついていて、個々別途徴収します。
3年後に地域自立に移行するといっても、受け皿がまだ整っていない状態です。これから、退所先としてのグループホームや福祉ホームをつくっていこうと検討を進めています。
ここへ越してきてまだ1年たっていませんが、少しずつ生活に慣れてきて、ひんぱんに朝帰りをし、生活をエンジョイしています。介助は、朝は「あいえる」の介助者に入ってもらい、夜は他の事業所と契約して入ってもらっています。
困ることといえば、最近は夕食を自分で作る入居者が増えているので、台所が時々つかえてしまいます。悩みのタネは風呂。脱衣室があまり広くないので、1人ずつ交替で入ることになっていて、自分が入れるまでにかなり時間がかかります。
生活は基本的に自由です。ステップアップのための施設だから、自分なりの生活をつくるために、自立生活センターの人たちの協力を得ながら、もっとみんな生活をエンジョイすべきだと思います。でも、入居者一人ひとりが本当に自由に遊びまくっているところまではいっていません。
新築のケア付き府営住宅に当選したので、平成18年から入居します。「あいえる」に入っていちばんしんどかったのは、介助を受けて生活するようになって、以前は親がかりだったことが一挙に自分にふりかかってきたことです。今ようやく生活のイメージがつくられつつあります。介助者を使って自分なりの生活をどう組み立てていくかは、自立してみて初めてわかりました。
みんなで記念撮影(5月16日 街に出よう)
所在地:大阪市西成区天神ノ森2−9−18
南海高野線「岸里玉出」駅から徒歩5分
障害者だけを対象とせず、シングル、高齢者、ファミリー、学生など、自立生活ができる(介助者の助けを得ながらでも自分の意志できちんと生活できる)人であれば、どんな人でも安心して暮らせる住まいをめざしているのがコレクティブハウスだ。2002年10月にオープンした賃貸コレクティブハウス「しまんと荘」。ここには、大阪頸損連会会員の前田哲司さんが暮らしている。
コレクティブとは「共同の」「集団的な」という意味。個人の自由とプライバシーを前提にしながら、生活空間の一部を共用化し、一つ屋根の下で集まって助け合いながら暮らすスタイルのこと。
「しまんと荘」では、3階建ての建物のうち、2〜3階を個人スペースとして8室の個室を設け、1階を共有スペースとしてリビング、台所、大浴場などを設けている。
あくまでも一般の民間賃貸住宅であり、国の福祉制度の中での位置づけはない。介助サービスは提供しないので、介助者は入居者が自分で契約し、管理して生活しなければならない。
淡路島の親元で暮らしていた前田さんは、2002年11月に大阪へ来て、ここで自立生活を始めた。
前田哲司さん(左)と、オーナーで管理人の山崎恵子さん
持ち家と施設のちょうど中間の段階ですね。自宅だと、自分が家にいるかぎりは外部との接触がほとんどない。かといって施設だと、周りに人はいても、食事の時間も決まっていて、プライバシーが守られない部分もあります。
ここなら、食事は自分の自由でするし、プライバシーもある程度はある。それでいて、建物の中にいる人と顔を合わすこともあり、外部の人との接触があります。
マンションでまるっきり一人暮らしするのは不安があります。もし車いすから落ちたりした場合、どうしようかと。実際に落ちた時、他の入居者のヘルパーさんがいて助かったことがあります。これが一人暮らしだったら、外部との連絡が取れない場合、次にヘルパーさんが来るまで気づかれないかもしれません。
現在、障害者が4世帯入居していて、各自にヘルパーさんがついています。3世帯が同じ事業所なので、みんなたいてい顔見知り。自分のヘルパーさんがいない時に何らかの不都合が生じたら、よそのヘルパーさんに声をかけて助けてもらうことができます。そういう意味では安心ですね。
洗濯場や台所が共用なので、特に食事は時間帯がみんなだいたい同じだから、他の入居者とかち合うことがあります。僕が台所で食事をしているところへ、他の人が料理しに来られて、早く食べようかと思ったり。自分だけで生活しているわけではないので、その辺は気を遣いますね。
家賃が5万円(個室賃料2万5000円、共用室賃料2万5000円)、駐車場代が5000円。それと光熱費です。光熱費は共用室の分は各世帯の頭割り、個室の分は各部屋にメーターがついていてそれぞれで払っています。
基本的な生活ができればまず合格と思って、ここに決めました。普通のマンションみたいに廊下が狭くて入れないとなれば問題ですが、車いすで部屋に入れて、ベッドが置けて寝ころべて、テレビなりを置けたらそれでよかった。100%満足できるところはまずないから、譲るべきところは譲る。実際に住みだすと、実家よりはるかに使いやすかった。
とりあえずやってみて、だめだったらまた次を考えるというのが頭にあります。100%そろっている物件はないから、条件をがちがちに固めてしまうといつまでも見つからないと思います。妥協できるところは妥協して、とりあえず住んでみて、その後は話し合いで直せるところは直してもらえばいいのではないでしょうか。
前田さんのお部屋。プライバシーが保たれた約7畳の個室。
ベッドから届く位置に設置されたインターフォン。その人の状態に応じた改造も可能。
洗面所と廊下。車いすで使いやすいバリアフリーの造り。
入居者が集って談笑したり、読書したりできるリビング。
車いす対応、介助者といっしょに入れる広々とした大浴場。
所在地:大阪市港区市岡2−13−57
JR環状線「弁天町」駅・地下鉄中央線「弁天町」駅より徒歩15分
弁天町駅バスターミナルより5分(港区役所前下車、徒歩3分)
今(2004年)から遡ること6年前、障害を持つ者が助け合いながら生活をする、そんな住宅を造ることを目指して「コレクティブハウスを考える会」が出来た。当時、私は兵庫県立リハセンター内にある自立生活訓練センターに入所中だった。訓練センターの入所期間は最長5年だが、多くの利用者は2〜3年で退所していた。しかし、重度の頸損者は年々入所期間が長くなっていた。その主な理由の一つが住居の問題が解決できていないことだった。生活の拠点となる住宅は大袈裟に言えば一生の住家を決めることになる。改造、新築、新たに探すなど、選択肢は多くあるがなんといっても大きな資金が必要となる。
さて、コレクティブハウスだが北欧が発祥の地といわれている。一つ屋根の下で他人同士が助け合いながら日常生活をする。我が国で言えば知らない者同士が助け合いながら生活をしていた江戸時代の長屋であろうか。現在では隣に住む人すら知らない、またお互い干渉しないことが常識となっている。確かに誰からも干渉されず自分の世界を作ることで自由を得たと思っている人も少なくないだろう。しかし、それが本当の自由なのか、と疑問に思う。まして、重度の障害を持つ者にとって誰からも干渉されずに地域で生活をすることは出来ないだろう。
介助が、「逃げることの出来ない地獄の毎日」といわれていたころ(今も大きくは変わらないが)、家族や身内の世話になることが、精神的、肉体的な苦痛であり、そこから逃れたいと思っていた当事者は多かっただろう。そんな現状はもう無くしたい。家族や身内の者に楽をさせてあげたい。不安や心配の日々を無くしたい。そんな思いや気持ちをコレクティブハウスに求めたのである。
多くの思いや気持ちを凝縮すると、「施設や病院ではなく」「自分の部屋を持ち」「プライバシーは守られ」「24時間の支援体制がある」など、理想も含め住宅環境の構想があがった。しかし、賛同する人は現れても大きな資金を出して建築するために参加するという人は皆無だった。(今現在まだ実現出来ていない)
ところで、我が国では障害者の住宅は持ち家率が高いといわれている。それは、生活し易い環境にするためには新築や改造が必要となり、公営、民間いずれにせよ賃貸住宅では満足な改造が出来ない現状がある。また、大きな資金を使い住環境を整備するが親や兄弟との同居が前提となっているのも現状である。
現在、コレクティブハウスといわれている住宅は、公営、民間の賃貸住宅に登場し様々な問題点を抱えながらも確実に良い方向に歩んでいる。大阪市弁天町にある民間賃貸住宅「しまんと荘」はその一つである。
最後に、重度の障害を持ちながらも一人暮らしをする人が増えている。制度や当事者を取り巻く環境の変化が社会をまた人の心を変えつつある。助け合うということは出来ないことを補うだけでよい。重度の障害を持ったことで今までの生活を変えなければならない、と考えているのならそれは大きな間違いだろう。的確に環境を整備することで今までどおりの生活が出来るのである。変えるのは自分自身だろう。