頸損だより2004冬(No.92)

特集1

自立生活センターあるる・ソウル自立生活センター

日韓障害者自立生活会議 in Seoul

ソウルのSoulな街からアニョハセヨ!〜とやっち韓国探訪記〜


これまで、最も近くて遠い国という存在だったかもしれない韓国。2002年の日韓共催ワールドカップサッカー、そして昨年から日本で大ブームとなったドラマ「冬のソナタ」。

その最も近いアジアの隣国との距離は、急速に縮まってきているのではないだろうか。

今年2004/9/13〜15、CILあるるとソウルCILの日韓障害者合同研修会に参加した。韓国にも頸損連絡会なるようなものは果たしてあるのか。ソウルで障害をもつ仲間と交流できることを楽しみに、飛行機でわずか1時間足らずの海を渡った。

韓国の障害者はどういう環境のなかに暮らしているのか。ソウルでの合同研修会の様子、私の見たまま聞いたままを、旅のリポートととして報告します。

【鳥屋 利治】

皆さん、こんにちは。ソウル自立生活センターで働いているパク・チャノと申します。ピア・カウンセリングのなかには、お互いに学ぶという言葉があります。最初に皆さんが韓国の自立生活センターに来られると聞いたときに、ここで何を学ぶことがあるかと考えました。例えばアメリカなどのほうがもっと良いんじゃないかと。しかし、空港からここに来るまで考えたんですが、お互いに学べる事も沢山あるんじゃないかとも思いました。

韓国ではまだ障害者が自立して生活していくには、制度や色々不充分なところが沢山あります。ソウルセンターもまだまだ始まったばかりで不充分なところも沢山ありますが、皆さんと今回の研修会を通して、お互い色んな事が学べる良い機会になればと思います。今回の研修会が一回で終わるのではなくて、これからも日韓の交流会が継続していければと思います。皆さんを本当に歓迎します。

【パク・チャノ ソウルCIL代表】

〜研修プログラム〜

第1日目 9/13/2004 Field Study
9:40  関西空港発 KE722
11:30  仁川空港着
12:30  空港到着ゲート前 集合
14:30  ソウルCILにて研修会参加メンバー自己紹介
15:00  フィールドスタディ〜在宅訪問
 2グループに分かれて  Kim Junwoo(キム・ジュンウ)氏宅
 Kim Seonyoon(キム・ソンユン)さん宅 訪問
18:00  焼肉パーティー(焼肉店ウリソ)

第2日目 9/14/2004 Conference & Dinner Meeting
10:30  カンファレンス会場(ブニエル教会)到着
 ・ウェルカムスピーチ  朴 賛五(パク・チャノ ソウルCIL代表)
 ・ゲストスピーチ  Kang Hwanseong
 ・オープニングスピーチ  東谷 太(NPOあるる代表理事)
 ・実践報告  姜 博久(CILスクラム代表)
 ・実践報告  鈴木千春(CILあるる事務局長)
 ・活動紹介  太田啓子(CILフリーダム21メンバー)
 ・活動紹介  鳥屋利治(頸損連絡会事務局長)
15:00  電動車椅子の健康保険適用拡大に関する公聴会傍聴
18:30  懇親会・クロージング ディスカッション

第3日目 9/15/2004 Sightseeing
10:00  ニューオリンピアナホテル出発
11:00  テクノマートで買い物&ランチ
19:05  仁川空港発 KE721
20:45  関西空港着


研修会1日目・フィールドスタディ(2004/9/13)
在宅訪問にて 〜C3頸損者 Kim(キム) Junwoo(ジュンウ)氏宅を訪ねる〜

■バイク事故、入院、施設での生活

私は今年30才で11年前に交通事故に遭いました。高校3年の時、大学入試が終わったその次の日、バイク事故で首を怪我しました。高校時代にバイク事故を起こす人は「ヤンキー」と言われるんですけども、「ヤンキー」ではありません(笑)。2年間の入院生活の後、家に戻ると外に出られないので入所施設を探していました。入所した理由は行きたくて行ったのではなくて、行かざるを得なかった。施設に行くときには全てをあきらめました。皆さんもご存じだと思いますが、施設では「食べること」「寝ること」「着ること」しか他には何もできません。私は障害者だったんですけれども、その前に人間でした。人間というのは「食べる」だけでは生きていけません。施設では身体は楽だったんですけれども、自分のやりたい事は出来ませんでした。しばらく施設の生活をやめて家に戻ってきました。当時、韓国では自立生活という概念がなかったので、私の介護は家族がしていました。時間が流れるにつれて家族も疲れてきました。そのためボランティアを募集することを始めたんですけど、全てのエネルギーを使いました。

自分のやりたい事をするためにボランティアを募集する活動をしたんですけれども、かなりの時間を費やしました。当時ソウルでは少しずつ自立生活という概念が広まってきたんですけど、地方では全くでした。私は首の3番の骨を損傷したので、首から下は全く動きません。それぐらい重度の障害者が出来ることは、ほとんどありませんでした。

それで自分が何か出来るかという事を考えながら見つかった事が絵を描く事でした。それで口に筆をくわえて絵を書き始めたのです。私は絵を描く事によって初めて障害者としてのやりがい、生きがいを感じました。私は高校しか卒業してないので、もう少し勉強したいという気持ちを持ちはじめました。一般の大学は毎日行かなければならないので、放送通信の大学を今年卒業しました。もう少し余裕ができたら大学院にも進学したいと思っています。


■絵を描くことから自立生活運動へ〜自分自身のことだけでなく他の人と共にやっていけるメリットがある〜

私は自立生活運動というものを知らなかったときは、一生絵を描くということしか考えてなかったです。私が初めて自立生活運動というものと出会ったのは2002年でした。私はもともと相談心理学のほうに関心があります。そのため地方から列車に乗ってソウルに来ました。最初は障害者を対象にしたピアカウンセリングだと認識していました。ピアカウンセリングを通じて自立生活運動ということを初めて知りました。初めて自立生活運動という言葉を耳にしたときには衝撃でした。その時は自立という欲求はありましたけど、何をどういうふうにすればいいかわかりませんでした。自立生活運動ということに参加することによって、私の道はこういう道だということがわかりました。

ソウルで自立生活をするために地方から上がってきて1年半経ちます。ソウルに来てから障害者を対象にした絵描きの勉強をしました。最初は絵描きと自立と並行していきました。今は絵を描く時間がほとんどなく、自立生活が充実しています。その理由の一つは、絵を描くという事は自己満足にはなるんですけれども、他の人には影響がないということです。自立生活運動というのは、自分自身だけではなく、他の人と共にやっていけるというメリットを感じました。私が絵を描いていたときに「出来ること」といえば、絵を描くことしかなかったのです。選択権がほとんどなく、絵を描くだけしかなかった。その点が私には気になったのです。絵を描くこと以外に何も出来ないということが嫌だったのです。最初は他の人から「絵を描いてみなさい」ということを沢山聞かされました。その後、2,3年間は絵を描きたくないと拒否してきました。


■自立生活しか出来ないのでなく、自立生活が好きだからやる

その時、障害者というのは、いろんな分野で参加出来ないだろうかと考えました。それまで韓国で障害者が出来ることは、文学と芸術のみだと考えてました。やむを得ずに絵描きをはじめたのですが、自立生活というのが韓国に普遍化されたら絵を描くだけなく、いろんな活動が出来ると考えています。絵を描くのが好きであれば、絵を描いてもいいと思うんですけれども、そうでない場合もあります。自立生活ということをやってからは、以前はこれが自分の弱点だと思っていたんですけど、その後はこれが自分の長所、強さだと感じました。今は障害者になったことが自分の運命だと感じています。これからも死ぬまで自立生活を続けていきたいと考えています。自立生活しか出来ないのではなくて、自立生活が好きだからやります。現在はソウルの自立生活センターで勤めています。先月、3泊4日の研修に参加して褥そうができて、今、家でちょっと休んでおります(笑)。現在は在宅で勤務しております。ここで今、1年間自立生活しておりますが、韓国の現状で自立生活センターを仕事としてやりながら、他の人になかなか勧められないのは、社会的なサポートがないからです。障害者年金あるいは補助金なんかの全くない状況の中でやってるんですけれども、そういう事を非常に残念に思っています。

私の介助に関しては、ソウルセンターからの補助が2分の1、自分の給料で2分の1で今、自立生活をしています。私は今こうして自立生活をしていますが、自立生活できていない沢山の障害をもっている仲間に対する強い責務感を持っています。日本は韓国よりも先に自立生活運動という活動をやってきたので、日本からいろんな事が学べると考えています。皆さんが韓国にいらっしゃるというのでドキドキして待っていました。お会い出来て本当に嬉しいです。


■今、私は私の仕事に専念できるし、彼女は彼女の仕事に専念できる

事故の後、30人くらいの彼女が居たんですけれども(笑)、スタートはいつも良かったんですが最後はみんな別れていきました(笑)。その時は自立生活も知らなかったし、活動補助というのも知らなかったからです。2年前に別れた彼女が言ってました。彼女は私のことを本当に好きだったんですが、一生私と生活し続けるという事は大きな負担になった、ということです。幸い今も彼女は居ます。今は、私も彼女もそういう考え方が、若干変わってきました。今は私は私の仕事に専念できるし、彼女は彼女の仕事に専念できる、ということです。障害の重い人たちに対しては、そういった活動補助があってこそ、社会生活あるいは例外生活もできると考えています。現在は、彼女と結婚するつもりですけれども、韓国の社会は障害者と非障害者が結婚するということをあまり喜ばしく考えていない。これも時間が掛かると思うんですが、運動を通じてゴールを目指していきたいと考えています。(部屋に飾ってある写真立てを皆に見せてくれながら)これが私の彼女です。社会福祉士をしています。正立会館という大きな障害者団体があるんですけど、そこで教育を受けていたときに知り・u檮auました。

私の話は簡単ですけど以上で終わりたいと思います。質問がありましたら何でも結構です。仰って下さい。


【東谷】先ほどの話の中で、後に続く多くの障害者に自立支援をしたいけれど、制度が無くて難しいと話されてましたが、ジュンウさん自身、ソウルへ出てくるときは全てボランティアでやってこられたんでしょうか?
【ジュンウ】韓国では自立生活するために3つの事が必要だと考えています。まず1つが家、2つ目が介助、3つ目がお金。韓国は今その3つとも支援がありません。私は親戚からお金を借りて、この家を借りました。2年間の契約で6,000万ウォン(日本円で約600万円)親戚から借りたんですけれども返すつもりはありません(笑)。
 介助人は自分の給料とソウルCILセンターからの補助金で今まかなっています。生活費は給料の一部と、家から少し援助をしてもらっています。韓国ではそういう3つの事が、制度として出来ておりませんので「一緒にやりましょう」となかなか言えませんが、これから一緒に運動として作っていきたいと考えています。全てが揃ったときから始めたら、もう遅くなります。韓国の障害者の自立生活というのは、命を懸けてやっています。それは命を懸けるくらい価値のあることだと思っています。
 今現在、1日のうち有料介助の利用は18時間で、その残りの時間はボランティアでカバーしています。日本でも同じだと思うんですけど、お金はあってもヘルパーを見つけるのは難しいです。
【東谷】制度がまだまだ不充分ということで、これから行政に対して闘っていかなければいけないと思いますが、そういった行政との交渉の窓口というのは開かれているんでしょうか?
【ジュンウ】韓国で、日本でいう区役所のようなところに行って色んな交渉をしてるんですけれども、「お金がない」という返事しか返ってきません。
【姜博久】活動補助員の人には1時間どれくらいのお金を払うのですか?
【ジュンウ】1時間3,500ウォン(日本円で約350円)。その中で介助人がもらえるお金は、ソウルセンターが10%の事務手数料を引いた3,150ウォン(日本円で約315円)。この時給3,500ウォンはコンビニで働いている人のバイト料とほぼ同じです。
【鳥屋】私は大阪で頸損連絡会という頸損者がセルフヘルプ活動をやってるグループの事務局をやっています。日本では全体で約800名の会員、そのうち大阪で約180名の会員がいます。韓国で頸損者のセルフヘルプ活動をするグループはありますか?
【ジュンウ】脊髄損傷ということでグループはありますが、その中でも頸髄損傷のグループというのは無いです。親睦を図るというくらいの活動はしてるけれども、セルフヘルプをするには至っていない。
【鳥屋】日本で身体的に最重度であれば人工呼吸器を使うくらいの状態であるが、痰の吸引という医療的ケアの問題などで、地域で家族以外のヘルパー介助だけで暮らしていくのは、まだまだ難しい。韓国では呼吸器を使うくらいの状態の人は、家に居るのか、病院に居るのかというとどちらですか?
【ジュンウ】私が知ってる範囲では、私より重度で呼吸器を使っている人は、呼吸器を着けてから7年間、まだ病院のベッドの上にいる。
【東谷】日本では昔「青い芝」運動など激しい障害者運動がありました。韓国でも障害者運動の激しさとか聞いたりしますが。
【ジュンウ】韓国では障害者運動ということでは大きく2つの柱がある。1つはアクセス、移動権に関する流れからきている運動。これはかなり激しい運動です。もう1つはサービスの提供や制度についての交渉などをやっていく運動。私の考えではこの2つのどちらも大切で、片方だけでは成功しないと思っています。
【鳥屋】ここの住宅は日本でいう市営府営住宅のように見えましたが、このようなバリアフリーになってる住宅は、韓国には多いのですか?
【ジュンウ】このマンションは1988年韓国ソウルオリンピックのときのパラリンピック選手団が泊まる村でした。そういう目的で作られたものですが、それが終わってから一般に開放してる市営のマンションです。このマンションは、障害者も健常者も住めるが、バリアフリーなので障害者が多いです。韓国の中で、電動車椅子がそのまま入れるスペースのお風呂があるマンションは、ここにしかないと思います。日本では市営や府営住宅の1階部分は障害者用住宅などになっているようですが、韓国ではそのようになっていないです。それと韓国では一般のマンションの改造は難しく、普通、一般のマンションに住んでいる障害者は、入り口にスロープを付けたりはしますが、部屋の中に入るとトイレの扉が狭かったりする場合、車椅子から降りてトイレの中に入ったりしなければならない。国からの改造に関する補助はなく、全て自己負担です。
【岡本】韓国の障害者の保障制度は何もないとのことですが、ジュンウさんも?
【ジュンウ】韓国で生活保護者のなかで障害者は、障害者手当50,000ウォン(日本円で約5,000円)があるが、とても少額でそれも生活保護対象者だけで、それ以外は何も無いです。私は生活保護を受けていないので何も無いです。
【ジュンウ】今日は皆さんとお会いして色んな話ができて嬉しかったです。


研修会2日目・カンファレンス(2004/9/14)
ウェルカムスピーチ 〜朴(パク) 賛五(チャノ) 氏(ソウルCIL代表) 〜

おはようございます。遠いところからソウル自立生活センターまでお越し下さいまして有り難うございます。皆さん、昨晩はよく眠れましたか。私の経験から、海外へ行くと寝つきがあまり良くなくて疲れが残ったりするんですけど、皆さんはどうでしょうか。皆さん韓国での1日目は楽しく過ごせましたか。今日は2日目になりました。今日午後から、電動車椅子を健康保険から補助してもらう運動に参加することになりまして、準備していた予定が急に変更しなければいけなくなり、本当に申し訳ありません。

今日、私が皆さんに話したい事は、我々ソウルのメンバーの歓迎の気持ちと、それから、皆さんが韓国に来られてどういうことを韓国から見ていただけるといいか、お話ししたいと思います。


■福祉の発展は当事者が社会を変えようという運動に対する意識と行動があったから

韓国は最近、経済的な発展をしてきています。しかし、そうした経済的発展と共に障害者の生活や福祉全般に関してはあまり発展していません。私はなぜその福祉が発展しないか、理由をずっと前から考えていました。日本の場合も1980年代に経済的発展がありましたけれども、福祉の部分に関してはあまり進まなかったという経緯があったと思います。でも今は日本の障害者福祉を見ると、24時間の介助サービスであるとか、障害者が受ける年金などの制度とか少しずつ整ってきているように見えます。そういう変化には一つの理由があると思います。これは我々当事者が社会を変えようという運動に対する意識と、行動があったからだと思います。私はそういう日本の現実を見て理解したし、そのためには韓国にも自立生活に関する運動が必要だと考えています。日本では1960年代から障害者運動が行われており、韓国でも昔から障害者の運動は行っています。しかし、今までの運動だけでは我々が望んでいるような社会にすることは難しいんじゃないかと思います。その理由は、運動というのは何かを貫く我々の要求だけしているからです。でも自立生活運動は少し違うと思います。それは我々自身が地域生活している障害者にとって必要なサービスを提供したり、彼らの権利を擁護するために活動できるからです。韓国ではいくつかの障害者自立生活センターがありますが、まだ国からの色んな制度や支援が不充分な状態です。だからこそ日本のケースを見て自立生活運動をしていけば、韓国のほうも発展していくんじゃないかと考えています。世界の色んな国のケースを見ますと、こういうふうに頑張って障害当事者が運動していけば、障害者の権利や福祉は進んでいくと思います。


■韓国と日本、当事者の今の闘い

今日午後に皆さんが参加する予定である、電動車椅子の健康保険適用拡大は、国から障害者が生活の支援を受けることができる初めてのこととなります。それができたら、介助サービスとか年金に関する運動などもどんどん進めていきたいと考えています。皆さんは今日、そういう韓国の歴史的な現場に行くことになりますので、これからも韓国の障害者自立生活運動に応援していただければ嬉しいです。日本も最近は障害者の支援費制度と介護保険制度の統合問題で闘っていると聞きました。それで10月20日に全国の障害者が厚生労働省に集まって抗議行動すると聞きました。その皆さんの闘いにソウル自立生活センターも心から応援していきたいと思っています。障害者の運動というのは、弱ければ我々の権利を守っていくことができませんから、皆さんと力を合わせて頑張っていきたいです。障害者の運動という事においては、韓国よりも先に進んでいる日本も、今から頑張っていく韓国のほうも、どちらもすごく大事なことをしていると思います。そういうすごく大変な運動を続けていけるということは、皆さんや我々のような一緒に活動できる仲間が居るからやっていけるのではないかと思います。仲間というのは、ソウル自立生活センターの皆それぞれであり、今日の研修に集まっていただいてる、日本のCILあるるやCILスクラム、皆さんのことです。


■ソウルCILはこうして立ち上がった

では、ここから少しソウル自立生活センターのことについて紹介させていただきます。ソウルセンターは、社会福祉法人で1998年から韓国に障害者自立生活センターを導入するために、色んな運動やプログラムを進めてきました。その活動や運動のおかげで2002年11月に、ソウル市から5,000万ウォンの援助を受けてソウルセンターが設立されました。市からの資金と、共同募金会という団体からの資金援助で、介助サービスや色々なプログラムを実施しています。まだまだソウルセンターの活動はこれからですが、こういう活動をしながら成長していくのではないかと思います。ソウルセンターは、韓国のこれからの障害者自立生活センターの素晴らしい見本となるために、こういうような活動やサービスの提供にこれからも頑張っていきたいと思います。皆さんからも沢山の応援お願いしたいと思います。有り難うございました。



ゲストスピーチ 〜Kang(カン) Hwanseong(ファンソン) 氏(ソウルCIL利用者) 〜

続いて、ソウル自立生活センターを現在利用しているカン・ファンソンさんから自立生活センターを利用しながら感じたことなどお話していただきました。


■施設を出て自立生活「自己決定」がすごく大切な事

皆さん、こんにちは。カン・ファンソンと申します。私はこんなに大勢の皆さんの前でお話しするのは初めてです。私は6才から今年の3月まで施設で生活していました。これまでの施設生活で感じたことは、毎日同じような生活が繰り返されることと、決まったルールに束縛されるということでとても大変でした。そういう障害者施設での生活の中で、一人で自立して生活をしていきたいという思いがあり、今年の3月にソウルに来ました。韓国での障害者支援団体とか機関を訪ねて、自立への思いとか、これからの生活に関することを色々と相談しましたけど、どこも自分にあった支援や対応をしてくれるところはありませんでした。そんな中、韓国の脳性麻痺者協会を訪ねたときに、ソウル自立生活センターを紹介してもらい、パク・チャノのところへ行きました。それで、チャノのところで色んな援助をしてもらって自立生活を始めました。

自立生活を始めてから感じたことは、施設ではあまりにもルールが多く不自由だったが、一人で生活するようになってからは、色んな事が自由に出来たり、自分の意志で決定できることが非常に嬉しいです。自立生活が出来たから感じた「自由感」とか、色んな事を自分の意志で決める「自己決定」がすごく一番大切な事であると思うし、私だけでなく色んな障害者が自立生活を望んでいますけど、あまりにそういう事を知らない障害者も多く、ソウル自立生活センターだけでなくもっと沢山、障害者自立生活センターが韓国にも増えて、多くの障害者に支援が出来たら良いんじゃないかと思います。有り難うございました。


【パク・チャノ】カン・ファンソンさんへの質問に入る前に、ソウルセンターがどういうサポートをしたかを少し話します。カンさんが色んな社会福祉機関を訪ねたときに聞いたことは、今の韓国のコミュニティセンター、地域福祉課と言いますが、そういったところをみると大抵はプログラム中心でした。つまり、彼らがそこに行って何かを受ける、というものでした。しかし彼に今、必要なものはそういうことではなく、生活する場、例えば部屋であるとか、介助サポートだとかがまず必要だと思いました。でも韓国の福祉施設とか、こういったサポートをする団体や組織などは皆プログラム中心で、彼は今必要とする情報や支援を受けることが出来なかった。それでソウルセンターでは、まず彼に少ない金額ではあるけど支援し、住むための部屋探しとか出来るように、またその他の事などサポートしてきました。初めはソウルセンターから資金の援助を受けて、今は生活保護を受けて生活しています。韓国では31万ウォン、国から援助を受けて生活しています。
【東谷】日本でも施設から地域での自立を支援するという、地域移行を取り組んでいるんですけども、僕たち「あるる」でも数名の方の地域移行を応援しています。その支援をするときに一つの大きな課題として、施設を出てからの日中活動の保障というのが、僕たちの課題としてあります。カン・ファンソンさんは今、自立生活をされて、普段日中活動としてどういうことをされていますか?
【カン・ファンソン】今一番悩んでいるのは、経済的なことです。自立生活をしたら、まず仕事探しが一番大事なことだと思いますが、色々仕事探しの活動で難しい問題もありました。今は福祉センターで、パートタイムでリサイクルの仕事を頑張っています。経済的に厳しい状況が、私みたいに自立生活している人や、自立生活をしていこうと思う人にとって、大変な問題じゃないかと思います。それで、そういう経済的な援助をしてくれる制度や国の支援が早く整ってくれればと思います。
 最後に、私にこういうような素晴らしい研修会で、スピーチの場を準備してくれたソウルセンターの皆さんに感謝します。そして、ソウルセンターのように色んなサポートをしてくれる自立生活センターがこれからも、韓国の障害者が自立していけるように支援していければいいなと思います。有り難うございました。
【パク・チャノ】自立生活を支援するための一番の課題と思うことは、こうして地域へ出るまでは何とか出来るんですけど、その後日中活動としてすることがない。仕事であるとか、彼らが毎日過ごすなかで、自立生活で出来る事が何か、ということが課題であり、作業所作りから始めないといけないとか話しもありますが、そういう一番の課題を皆さんと話し合っていければと思います。


オープニングスピーチ 〜東谷 太 氏(NPOあるる代表理事)〜

■日本のCILの現状

私は、日本の「自立生活センターあるる」というところから来ました東谷太と言います。「太(ふとし)」という名前は「太い」と書いて「ふとし」と呼びますけど、一度も太ったことはありません(笑)。今回は日韓合同研修会ということで日本から寄せていただきましたけど、昨日から素晴らしい歓迎をしていただきましたソウルCILの皆さんに御礼申し上げます。

それではオープニングスピーチということで、私のほうからは日本のCILの現状について話をさせていただきます。先ほどチャノさんの話にもありましたが、日本では30年ほど昔から障害者運動がありました。この自立生活センターというのが日本に入ってきたのは80年代になってからです。それまでは「青い芝の会」という脳性麻痺者の人たちの運動が盛んで、日本の障害者運動を引っ張ってきたという経緯があります。日本に自立生活センターというのが入ってきて20年余りになりますが、今では日本全体で100ヶ所を超えています。そして、その自立生活センターを通して、多くの障害者がエンパワーされ、自立生活を獲得していくことが出来ています。


■CILは「障害者でないと出来ないこと」が沢山ある

僕がこの自立生活センターを知ったのは13年ほど前のことでした。それまでは何の知識もなかったんですけども、そのことを知っていくうちに僕は自立生活運動に深くのめり込んでいきました。なぜ、僕が自立生活センターを好きかというと、僕たち障害者というのは健常者社会の中で「障害者でも出来ること」というものを与えられてきました。でも自立生活センターという場では「障害者でないと出来ないこと」というのが沢山あるからです。また自立生活センターというのは、地域社会で生きる障害者の拠点でもあり、障害者の権利と誇りを取り戻すことが出来る場所だというところが好きなところです。日本に自立生活センターというのが入ってきて20年程経ちますが、今の若い障害者たちが過去の運動を知らずに自立生活センターで働いてるということが多く、自分が運動の一翼を担っているという意識が薄く、就労の場の一つとしてしか考えられていない場合があって、少し寂しく思います。あと日本のCILでもう一つ大きな問題となっているのが、日本では昨年から支援費制度という介助制度が出来ました。そこで自立生活センターに加え、介助派遣する事業所が沢山出来てきたんですけれども、そこに多くの健常者スタッフが生まれてきました。自立生活センターのスタッフとしての障害者と健常者の人数の比率が変わってきて、健常者のほうが多くなってきている。障害者運動とは何かとか、歴史を知らない新しいスタッフが増えてきて、CILとして大切な当事者主体とは何か、というのが崩れ始めています。しかし先ほどチャノさんの話しにありましたように、今、日本では私たちの先輩障害者たちが30年命を懸けて勝ち取ってきた制度を、行政がまた振り出しに戻してしまおうとしています。その闘いが今、日本で起ころうとしています。

10月20日に行われるこの闘いは、今までで最大の闘いにしなければいけないと思っています。先ほどから僕が言っている、今の若いスタッフに足りないことがこの事をきっかけに、またみんなで力を合わせて闘って、自分たちの権利を勝ち取るという事を与えてもらえる良い機会だと思っています。残念ながら、今の社会では、「主張のないところに権利はない!」ので、僕たちは生きるための権利をこれからも訴え続けていきたいと思っています。そのためには、僕たち障害者が元気でなければいけないです。そして、元気でいるためには、人生も楽しんでいなければいけないと思っていますので、運動も楽しみながらやっていかなければいけないんじゃないかと思っています。これから韓国の障害者運動もどんどん盛んになっていくと思いますが、皆さん楽しみながら運動していただけたら嬉しいなと思います。一人でも多くの仲間が結集することで、頑固な行政も動かすことが出来ると僕は信じています。これから韓国も日本も一緒に、楽しく頑張って権利を勝ち取っていきたいと思います。今日はどうも有り難うございました。



実践報告 〜姜(カン) 博久(パック) 氏(CILスクラム代表) 〜

「日本における障害児教育の現状と課題」

皆さん、こんにちは。自立生活センター「あるる」と同じように、大阪で地域での障害者の支援をしている自立生活センタースクラム代表の姜博久といいます。東谷さんと同じように、僕が自立生活センターを作ろうと思ったのは、まだまだ地域の中で埋もれている障害者が沢山居ると思っていました。施設に入っていて、何も情報がなくて未来へ自分の可能性を追求できない障害者も沢山居ると思っていました。そういった障害者に少しでも実際に会って色々と思いを聞いていきたい、どうしたら自分の可能性を信じれるのかを一緒に考えていきたいと思ったからです。


■障害をもつ子供達へのアプローチ

そんな中で今僕が目指そうと考えているのは、障害をもつ子供達へのアプローチとしてどんな事が出来るかということ。日本では今、人生はだいたい80年だと言われています。その中で障害者が何年寿命があるかというと、少なくとも同じくらいかそれに近い歳まで生きるということなんです。その中で、生まれてから20歳までの20年間は、その後の人生を決定づけてしまうほど重要な時期だと僕は思っています。そこで障害をもつ人達が自分の未来を信じて、自分の可能性を信じれるという思いを抱けるかどうかが、本当に大きなことだと思います。その20年間には色々と問題があると思っています。一つは学校の問題。学校が障害のある人を受け入れるのかどうか。もう一つは親の問題。親が自分の子供を信じてその可能性を追求できているのかどうか。障害をもつ本人に併せて、この3つの方面にアプローチをかけないと、この20年間の支援は成り立たないと僕は思っています。


■いかに失敗するかが次のステップにつながる

私は今、大阪でNPO自立生活協会というところが引き受けてやっている、学校とNPOとの協力で障害者の支援をする授業があります。その授業に私も関わらせてもらっています。その中であらためて思うのは学校の閉鎖性です。子供達にまず危険なことは絶対にさせない。これは一見当たり前のようですけど、実はそうでないのです。僕達障害者の自立生活プログラムではいかにどのように失敗するかが、大きな次のステップになるというのが明らかですから、学校でもそういうことをやっていかなければいけないのですが、そうなっていないのが現実です。確かに学校の先生達は皆、障害をもつ子供達に対して一所懸命に関わろうとしているし、その子のために何か新しいものを身につけさせようとしているが、僕達の目から見たときにどこか何か違うと感じています。もう一つは親の問題です。親は学校に対して、とにかく障害をもつ自分の子供に何か一つでも自分で出来る事を増やして欲しい。その親の考えはともすると、当事者の経験を奪ったり、他の人たちとの関わりを失う結果になっているのではないかと思います。その学校と親に対するプローチを、僕達外部の者がやろうとすると、本人に関わる以上に力を要すると最近感じています。ついついその授業に参加し考えていくと、学校や親にアプローチをかけるしんどさに負けそうになるんですけど、これを抜いてはこれからの障害者の自立生活は大きくなっていかないと僕は思っています。それと、障害をもつ子供達に対しても二つのアプローチが必要ではないかと思っています。一つはとにかく友達をつくること。健常者も障害者も含めて出来るだけ多くの友達をプライベートにつくること。それとは別に、介助を受けて自分の生活をちゃんと作っていくこと。小さいときに友達を持てなかった障害者が、今、介助者に対して友達を求めてるという現実があります。僕は、あくまでも介助はサービスを受けることであって、自分のプライベートな関係ではないと思っています。そういった2つの関係をちゃんと別々にもてるような障害をもつ人へのアプローチが小さいときから必要なんじゃないかと思います。できるだけ多くの障害をもつ人たちが、友達とお酒を飲むとき、友達は友達、そこに介助者は別に連れていくという関係が一番良いんじゃないかと思います。


■学校や親へのアプローチも含めてこれからもやっていく

先ほど言った、学校へのアプローチ、親へのアプローチ、そして今言った障害をもつ人自身へのアプローチ、この3つをちゃんと含めて具体的な形でやっていくにはどうしたら良いか、ということを今考えています。そういった支援を僕のセンターがきっかけに始めていければなあと思っています。そしてできれば僕のセンターだけでなく、他の自立生活センターでもそういったアプローチを広めていってもらえるようになればと思います。それが社会を変える一つのきっかけになればと思います。なかなか道程は険しいと思いますが、これから日本でそれを進めていきたいと思っています。今日この場で発表できた事を光栄に思います。有り難うございました。



活動紹介スライドショー

●CILあるる事務局長 鈴木千春さんから
 「CILにおける権利擁護活動〜まちあるき」
※実際には、鈴木さんは日頃の疲れからか初日でダウンし2日目は寝込んで しまい、代わりに東谷氏からの報告となりました。
●CILフリーダム21メンバー 太田啓子さんから「フリーダム21の活動について」
●そして私、鳥屋利治から「日本における頸損連絡会の活動について」
をそれぞれスクリーンに映しながら、その活動の様子を紹介しました。


チャノ&まりさん ご結婚おめでとう

我々がソウルに降り立った9/13から、ちょうど偶然にもパク・チャノ氏と大野まりさんの結婚生活もスタートした。8月まで東京にある日本障害者リハビリテーション協会で働いていた大野まりさん。以前、チャノ氏が自立生活に関する研修を東京で受けていたときに二人は知り合ったそうだ。遠距離恋愛の果てにソウルで新たな人生のスタートを切った二人へ我々から、研修会ランチタイムの場でささやかなお祝い。直前まで内緒にしていた「慈しみ深き」のコーラスをプレゼント。思わず我々もグッときた。おめでとう!チャノさん・まりさん。



〜旅のおわりに〜

今回我々とソウルCILのメンバーとの良き出会いを縁組みしていただいた鳥海さん、現地での通訳や旅のコーディネートに駆け回っていただいた蘇珍伊(ソ・ジニ)さん、力強くサポートして下さった皆さんに感謝します。そしてこの研修会で知り合えた日本や韓国のみんなと、今後も永くつながりが続いていくことを願っています。

この旅を終えて、韓国の障害当事者がおかれている現状は、国の保障制度の無さや色んな面で、日本より遙かに厳しい状況にあると感じました。しかし、そんな中ソウルの仲間が言っていた次の言葉が印象的でした。「全ての環境が整わなければ出来ない、というものではない。」「韓国での障害者の自立生活は命がけであり、命を懸けるだけの価値のあることだ。」今の韓国の障害当事者はまさしくその中にあって、日々を格闘していると感じ取れた。だからこそパワーがあり、エネルギーに満ち溢れているようにも感じた。これからも他国を見つめ、自国を見つめ、色々と知っていきたいと思う。(鳥屋)

注 写真は省略しました。

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