頸損だより2005秋(No.95) 2005年9月25日発送

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「自由のない場所」


ノーマライゼーションの理念を掲げ、2003年4月にスタートした障害者福祉施策の支援費制度によって多くの障害者が待ち望んでいた地域での自立した生活が実現しました。この制度の最大の特長はこれまでの措置制度と違って障害当事者自らが利用したい福祉サービスを「自己選択」「自己決定」できる点にありましたが、しかし、今その制度は発展的解消ではなく、強引な解体によって終わりを告げ、新たに障害者自立支援法が導入されようとしてるのはみなさんすでにご存知の通りだと思います。もしこの制度が施行されたら、せっかく前進した障害者の福祉環境が大きく後退してしまうのは間違いないですし、地域で“人”として当たり前に暮らす権利はなくなってしまいます。さて、そのとき僕たちの生活はどうなっているのでしょうか…。

「ナショナル7」というフランス映画があります。公開当時に見たときは主人公の傲慢な態度が不愉快で気に入らなかったんですが、今改めて、ちょっと視点を変えてこの作品を見てみると、「施設」という場所には自由がなくて、そして、それは日本でも同じなんですが、障害者自立支援法が施行されると施設ではさらに負担を強いられる生活になるし、在宅生活であっても当たり前に生きる権利は奪われ、生活そのものが破綻してしまうような気がしてなりません。

映画を見ながら僕はふとそんなことを考えてしまいましたが、この作品は障害者の性と自由に生きる権利を描いたヒューマンドラマなんですね。障害者だって一人の人間だから、筋ジスの主人公と同じように僕たちもSEXがしたいと思うのは当然のことだし、自由に生きる権利だってありますが、施設にいたらそんな当たり前の自由でさえ通りません。何か問題が発生すると職員たちが会議をして、どう処理するかを考えますが、モメ事は避けたい所長と無関心な職員たちに、こんな問題が解決できるわけがない。そこで、結局は障害者は自由を奪われてしまうんですよね。

障害者にとっては大きく立ちはだかる問題で、乗り越えるのは困難な壁、それがSEXですが、障害があろうがなかろうが、欲求、欲望は同じだということを湿っぽく描くわけでなく、サラッと描いてる点が気持ちいいです。ほら、モーニング娘。だって「キスがしたい(というのは)人間の本能」と歌ってるくらいで、みんな同じ、同じなんです。もちろん、障害者には他にもいろいろと壁はありますが…。

それにしても、やっぱり主人公の傲慢さは見ていて不快でした。女性の介護人を「デブ」と罵ったり、ポルノビデオを買わせるというセクハラに近い行為をしたりするというのは障害の有無に関係なく、許されるものではありません。それは「わがまま」ではないですが、せめてポルノビデオくらいは同性の介護者にお願いすればいい。体が不自由な分、その苛立ちをまわりにぶつけたくなる気持ちは解らなくもないですが、彼には相手を思いやる気持ちが感じられないからあまり好感が持てませんでした。ストーリーが進展するにつれ、少しずつ変わっていくんだけどね。ただ、本音で生きる彼はマジでスゴイと思うし、「愛されない障害者」という生き方も僕にはとてもマネはできませんが、すごい勇気だと思います。また、この作品にはモヒカン頭の車椅子暴走青年が登場するんですが、彼には大いに共感しました。モヒカンが隠れるからヘルメットをかぶりたくないという彼のこだわりも微笑ましいけど、そんな自由さえ奪われてるのが現実というのは実に悲しいですね。人間らしく生きたい…そう生きられる社会になることを切に願いたいし、この作品がキッカケとなって「障害の有無なんて関係ない」「みんな同じなんだ」という“意識”が世の中にもっと広まってくれるといいな。そして、改めて障害者自立支援法には反対していきたい。


「ナショナル7」(’00フランス)
監督:ジャン・ピエール・シナピ
出演:オリヴィエ・グルメ(「イゴールの約束」「八日目」) ナディア・カッチ

<ストーリー>

南フランスの国道7号線(ナショナル7)の近くにある成人身体障害者施設に入所してる筋ジストロフィーで糖尿病を患うルネ(オリヴィエ・グルメ)はわがままで傲慢。看護人たちはそんな彼の介護に手を焼いていたが、ある日、彼は新任の女性看護人、ジュリ(ナディア・カッチ)に「売春婦とSEXがしたい」と告白した。この件をどう処理するかで施設の職員たちは会議をするが…。(ビデオレンタル中)


赤尾"映画中毒"広明

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