頸損だより2006夏(No.98) 2006年6月24日発送

巻頭言

「気持ちの伝わりかた」

〜見えないはずのものが見える瞬間〜

松崎有己

最近初めて「メイド喫茶」なるものに行ってきました。料金は普通の喫茶店とほとんど変わらないのですが、メイドさんの格好をしたウエイトレスが丁寧な言葉遣いや仕草でもてなしてくれるのが普通の喫茶店とは異なります。

店内に入るとまず「お帰りなさいませ」と言われます(^^;)これはお店が家で主人が帰宅したという設定のようです。オムライスを頼むとケチャップで絵や文字を描いてくれるのが定番で、お気に入りのメイドさんと交換日記ができたり一緒に写真を撮ってくれたりといろいろなサービスがあります。夜になるとメイドバーになるお店もあるようです。長くなってしまいますので詳しい体験記はまた機会があれば書くことにしますが、この後この「接客」という視点から深く考えさせられることになりました。

一般のファミリーレストランや喫茶店などでも当然のことながら店員は客に対して丁寧な言葉遣いや応対をします。しかしそれはどこか画一的で、マニュアルによって決められた言葉をそのまま言わないといけない場面で言っているだけのように聞こえる事が多くないでしょうか?もちろん心を込めて「ありがとうございました」と言っている店員もいるのでしょうがなぜかそうは感じられなかったりします。今回このメイド喫茶に行く前にも、おそらくここでもマニュアルに沿ってばか丁寧な言葉を言わされているだけなんだろうなと思っていましたがその予想は覆され、一般の喫茶店では感じることのないまさに癒されるようなとても心地よい接客を体験しました。これは、単に非日常的な言葉遣いや仕草から感じるものではなくそこに店員の心からのもてなしを感じたのです。たまたま私の行った店の教育がよかったのかとも考えましたがどうも違うようです。

家に帰ってその日彼女達と交わした会話を思い出し、いろいろと考えているうちに気付きました。つまり彼女達はお金の為だけではなく自分がメイドさんの格好をしてお店に立ちそのような立ち振る舞いで客をもてなすこと自体を、「報酬」であると感じているのだろうということです。本来仕事とはこうあるべきなのかもしれません。客を満足させお金を得るということにおいて、まず自分の仕事に自分自身が満足し愛着を感じていなければ、言葉や態度に気持ちが反映される「見えないはずのものが見える瞬間」に出会えるような本当のサービスを提供することは難しいでしょう。これはサービス業に限ったことではなくすべての仕事についても言えることなのだと思います。製造業や販売においてはその商品自体のできやその製造工程、販売方法に対しても同じことが言えるでしょうし、ボランティアだと余計にそうかもしれません。

現在自分が取り組んでいる様々なことに対して彼女達のように感じているのかと考えるといささか疑問ですが、また別のお店にも出向きメイドさんに癒されながら自分自身を振り返ってみたいと思います。


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