頸損だより2006夏(No.98) 2006年6月24日発送

特集

カナダの四肢麻痺障害者の自立生活

〜何でもやってみよう!ケビン・ロジャース氏から聞くカナダ四肢麻痺者の状況〜

韓国の交通バリアフリー獲得への道

〜自由な移動は自立の一歩!ペ・ユンホ氏に聞く韓国交通バリアフリーへの取組み〜


今年に入り、海外の障害当事者を招いた集会、交流会に二つ関わった。

一つは、2/5 に開かれた当会の国際交流学習会。カナダ対マヒ者協会のケビン・ロジャース氏から、自身の生活の話、また仲間の頸損者たちの状況などを写真や映像をもとに詳しく聞かせていただいた。カナダでは四肢麻痺者のレクリエーション分野も進んでおり、様々な取り組みをしている当事者たちがいる。自分がやりたいことなら道具や何らかの工夫をして「何だってやってしまうぞ!」という意気込みが感じられた。学習会でケビン氏が見せてくれた写真を中心に、講演の内容を振り返る。

もう一つは、3/11〜12の二日間に渡って開かれた交通バリアフリー全国集会。韓国では昨年2005年1月、障害者など移動弱者の権利を明記した「交通弱者の移動便宜増進法」が制定された。その交通バリアフリーに関する法成立に向けて取り組んでこられた電動車椅子ユーザーの便宜施設研究センター政策室長のペ・ユンホ氏が、その経緯や運動の中身について講演された。韓国障害当事者の運動は、気迫に満ちている。折しも日本では今年2006年交通バリアフリー法が、ハートビル法(建物に関するバリアフリー法)と一本化する形で、見直しの年となっている。「移動の自由は自立の一歩!」韓国での運動も参考にしながら、われわれ日本社会全体のバリアフリー化をさらに進めていかなければならない。全国集会でのペ・ユンホ氏の講演内容を紹介する。

【鳥屋 利治】

カナダの四肢麻痺障害者の自立生活

〜何でもやってみよう!ケビン・ロジャース氏から聞くカナダ四肢麻痺者の状況〜

2/5大阪頸損連絡会 国際交流学習会 ケビン・ロジャース氏講演録


このような場に非常にこのように歓迎していただきまして、とても嬉しく思っております。皆さんには、今日は私自身の生活を紹介すると共に、私の仲間がカナダでどのようにして自分たちの自立した生活をしているかということを、どういうふうなことでそういったことが可能になっているのかをお話します。

私は23年前のダイビングの事故によって頸髄損傷になりました。首の骨の5番目と6番目を損傷しました。23年間のことを振り返ってみますと、10年前に大学に通いまして、その後フルタイムの仕事を続けております。カナダの対マヒ者協会の仕事です。カナダの対マヒ者協会は頸髄損傷者と、それと同じくらいの状態の障害者の社会参加を目指す目的を持って活動しています。私たちのサービスは、情報を提供する、それと就労についての相談を受ける、それとそれぞれの障害者どうしの交流を図る、それとヘルパーの方たちの支援をする、そういったことをしています。今日特にお話ししたいのは、実際にどのように、福祉機器、レクリエーション、保養、あるいは自宅での生活が前進したかを話したいと思います。

これは私が住んでいる住宅です。これは補助によってサポートプロジェクトによって造られた住宅で、障害のある人もない人も一緒に住んでいます。24時間介助が受けられて、車椅子で全て移動可能になっています。自動ドアがまずあります。キッチンも全て一人でできるようになっています。全てが低く設定されています。こちらは寝室ですが、枕の上にあるバーで体を引き起こしたり支えたりできるようにしています。シャワールームも車椅子で使えるようになっています。


彼は私の友人で、1968年にフットボールの試合で頸髄を損傷しました。その後30年間は施設で暮らさなければいけない状態でした。しかし、6年前にこちらに移ることができました。これが可能になったのも、このような環境制御装置のおかげです。環境制御装置で、テレビとか電話とかパソコンなどあらゆる電化製品を操作することができるようになりました。それとコンピュータプログラムの仕事もできるようになりました。


この方は23年前に頸髄を損傷したんですけれども、医者からは「残りの人生は病院で生活することしかできないですね」と言われていたそうです。しかし、今は人工呼吸器を使って自分のアパートで自立した生活ができるようになっています。そして、パートタイムで仕事をしています。それと同時に社会参加もして他の仲間の人たちの助けになるようなこともしています。


こちらは、肢体障害者であっても操作できる草苅機で、トラクターへの乗り降りがリフトによって可能となっています。こちらはフラットエスカレータで、車椅子で移動できるようになっています。こちらはATMで操作しやすく工夫されていて、カウンターが低くボタンも押しやすいもので、手に障害があっても使いやすく、カードも差しやすくお金も取り出しやすくなっています。


カナダの交通は、地域で移動しやすいコミュニティタイプのバスです。家の入り口から行き先の入り口まで運ぶことができるサービスをしています。しかし、大変利用者が多いために、なかなか利用できないこともあります。その代わり、公共のバスでスロープ板があり利用できるものもあります。現在では70%が車椅子対応のバスです。


これは、地下鉄を利用するためのエレベータです。しかし地下鉄はまだまだ車椅子対応が進んでいません。タクシーのなかにも車椅子対応のものがありますが、すぐに利用できる状態になっていないことが残念です。普通だいたい24時間待ちぐらいです。


これは私のオフィスですが、マウスの代わりにトラックボールや、音声入力を使ったり、バインダーなどを取り出しやすく工夫しています。


この方は、6年前にバイクの事故で脊髄を損傷しましたが有名なシェフです。受傷後もやはりシェフの仕事に戻りたいということで、このように工夫して頑張っておられます。これはオーダーメイドの、立って移動できる車椅子で、長時間立った状態でいられて疲れにくいものになっています。これを使ってシェフの仕事をしています。


この人はカジノで働いています。はじめはカジノのオーナーが彼を雇うのを非常に躊躇したようです。ところが彼が居ることによって、他の障害者たちも非常に来やすくなったということで、かえって店にとって良かったということです。

写真の左の彼は、国会議員として働いているC2の頸損の方です。彼は、ぜひ次の厚生労働大臣になりたいということで頑張っておられます。

私は普段、電動車椅子を使っていますが、ときには手動の車椅子でこういったリレーの競技にも参加しています。カナダで非常に発展したのは、レクリエーション部門ではないかと思います。重度の障害者でもレクリエーション部門でいろいろと余暇を楽しめます。障害をもつ前にやっていたダーツですが、障害をもったその後もやりたいなと思ってました。それで、マリリンさんが紹介してくれたのが口で吹くダーツです。肺の運動にも非常に役立ちます。ビリヤードも補助具を使うことで可能になりました。マリリンさんと私は、海の中でのスポーツにも興味を持っていまして、スキューバダイビングの講習も受けています。この講習は、四肢マヒ障害者にも開かれており、たくさん参加されています。グライダースポーツもやっています。このグライダーは手で操作できます。これは20年前にアメリカで開発されたものなんですが、今ではライセンスを取ってパイロットになったり、インストラクターになっている四肢マヒ者もいます。このグライダーは、障害者も健常者も隔たりなく満喫できるスポーツです。この経験は本当にある意味では、鳥になったと感じることのできる非常に素晴らしい経験です。

これは山登りに適した、狭いところや坂道でも数人で補助しながら登っていける車椅子です。非常に軽く造られているので、キリマンジャロに登ったという四肢マヒ者もいます。

この方は、ロッククライミングで頸椎の6番と7番を損傷した方です。その後もロッククライマーにもう一度戻りたいと強く願われて、この機器を開発されました。ブリティッシュコロンビアのこのすごい崖ですが、そこに挑戦しています。


スキーは私も受傷する以前から好きでしたが、その後していませんでした。しかし、5年前にやり始めました。スキーは障害者のボランティア協会の方の手助けでこのようの滑ることができます。

以上でパワーポイントを用いた私のプレゼンテーションを終わります。ありがとうございました。今から何かご質問あればディスカッションいたしましょう。


韓国の交通バリアフリー獲得への道

〜自由な移動は自立の一歩!ペ・ユンホ氏に聞く韓国交通バリアフリーへの取組み〜

3/11 DPI日本会議 交通バリアフリー全国集会in大阪 ペ・ユンホ氏講演資料より

移動権を闘い取る運動から移動便宜増進法の制定まで

「 隆昊(ペ ユンホ)

障害者便宜施設促進市民連帯政策室長・障害者移動権連帯共同代表


【プロフィール】

障害者便宜施設促進市民連帯(以下、便宜施設連帯)便宜施設研究センター政策室長。

1965年1月、韓国ソウル生まれ。高校までの課程を独学し検定試験を受け卒業資格を得る。94年、長老会神学大学院卒業。95年にオーストラリア留学し、そこで現在の連帯の事務局長であり人生のパートナーである田正玉さんと出会う。現在は便宜施設連帯を中心に、障害者差別禁止法制定推進連帯常任執行委員、障害者移動保障法共同対策委員会共同代表、国際障害者権利条約制定韓国推進団執行委員、保健福祉部(厚生省)便宜増進審議委員会民間委員、大統領諮問貧富格差差別是正委員会専門委員、国家人権委員会資料選定委員会委員などを務め、多忙を極めている。


去る1月28日から「交通弱者の移動便宜増進法」が施行されたということは、障害者の移動権が法的に保障されることになったことを意味する。この間、多くの抵抗と死と闘争を経て勝ち取った結果だけにその意味はさらに大きい。


韓国の移動の現実と移動権保障法制定運動の始まり

1999年度の時点で、ソウル特別市の場合、横断歩道のカーブカットがされている所は全体の36,145ヵ所のうち32,752ヵ所で90.6%の設置率を表しており、点字ブロックの設置もやはり全体の37818ヵ所のうち、32,818ヵ所で86.8%の設置率を見せている。しかし、道路の有効幅や傾斜角度など、今だに障害者が利用するには困難を伴うことも多く、大多数の道路が狭かったり、傾斜がひどかったり、工事中だったり、でこぼこして、歩きにくい状態が残っていた。

当時、車いすを利用する障害者が利用できる公共交通は地下鉄程度であった。バスの場合は低床バスや車いすリフトが装着されているバスが一台も無く、タクシーの場合もやはり車いすユーザーが車いすに乗ったまま利用できるタクシーは一台も無かった。

地下鉄の場合は、いくらか事情はましなほうであったが、やはり利用には多くの困難がともなった。ソウル市地下鉄公社で運営する第1期地下鉄(1〜4号線)の場合、2001年7月現在、140の駅の中でエレベーターが設置されている駅は13ヵ所、車いすリフト(ギャラベンダー)が設置されている駅は61ヵ所、障害者用トイレのある駅は68ヵ所、点字136ヵ所であることがわかった。また、ソウル市都市鉄道公社で運営する第2期地下鉄(5〜8号線)では、2001年7月の時点では、130の駅の中で、エレベーターが設置されている駅は56の駅、車いすリフトは72の駅、点字ブロックは130の駅、障害者用トイレは126の駅にそれぞれ設置されていることがわかった。結局全270の駅の中で40.37%である109の駅には、車いす用リフトやエレベーターがどちらも設置されていないことが明らかになった。

このように、公共交通と道路の問題は、障害者の移動を制限することとなり、移動の制限は障害者に重大なもう一つの差別となる。車いすを使用する障害者は、市内バスに乗ることができない差別を受け、地下鉄を利用するたびに手伝いを求めなくてはならない差別を受けることになる。さらに一歩進んで、こうした公共交通と道路の要件は、障害者の外出と移動を妨げる差別をもたらす。そしてこの結果は、雇用や教育、社会活動全般にわたる参画と活動の制約という差別となって現れてくる。

そうした中、障害者の移動権を闘い取る運動に火をつけることとなる事件が発生した。2001年1月に京畿道(ソウル市の隣の「県」)にあるオイド駅という駅で、垂直型の車いすリフトが墜落し、それに乗っていた障害者が死亡するという事故が発生したのである。直接の原因は垂直型車いすリフトに対する定期的な安全点検がされていなかったためであるが、その裏には、垂直型車いすリフトがエレベーター製造及び管理に関する法律によって昇降機として認定されていないため、正確な基準なしにきちんとした手続きを踏まずに作られたという点に、より大きな問題があった。


この事件を契機に、障害者の移動権がどれだけ軽視されてきたか、障害者の移動が生命権と直結しているのかを認識した障害当事者の団体(NGO)が、オイド駅事件について「オイド駅障害者垂直リフト墜落惨事対策委員会(以下、オイド対策委)」を構成し、障害者便宜施設促進市民連帯(以下、移動権連帯)が幹事団体を引き受け、対策を進めていった。そしてこのオイド対策委は「障害者移動権を闘い取る連帯(以下、移動権連帯)」を結成することになる一番大きな要因となった。

また、オイド対策委の活動を進める一方で、障害者の移動権を保障するために移動権保障法制定運動を展開していくことになるのである。


移動権保障法案が作られるまで

「移動権」とはその言葉通り、移動することができる権利をいう。だれでも他人の手助けなしに行きたいところに行けるべきであり、障害者であるために老人であるために挙動が不便であるということで移動に制約を受けてはならない。人は誰でも自由でなくてはならない。しかし、今まで障害者の移動権はあまりに多くの制約を受けてきており、「障害者・老人・妊婦の移動の便宜増進の保障に関する法律」さえ、実質的に保障してはくれなかった。2001年度の新年早々に起こったオイド駅のリフト墜落事故による障害者の死は、障害者の移動権の現実を如実に代弁してくれる事件であった。この事件を契機につくられた移動権連帯は、地下鉄駅のエレベーター設置運動から始めた。しかし、便宜施設連帯は、移動権がそっくり全部保障されるため、そして障害者も差別されること無く移動するためには、地下鉄だけ利用することはできないと主張し、障害者にとってバリアだらけとなっているバスを移動権確保のための運動の拠点としなければならないという意見を移動権連帯に提示した。

こうして、移動権連帯のバス乗り込み運動と低床バス導入運動は始まったのである。しかし、低床バス導入の道は遠く険しかった。毎月一回ずつバス乗り込みを始めると、警察などはバスに乗れないように障害者を取り囲み、何とかバスに乗った日には降りられないようにバスを包囲した。8時間もバスにとじこめられて警察署に連行されたこともあった。そうした闘いを行い、便宜施設連帯は単純にバス乗り込みの次元ではなく、低床バスを国家及び地方自治体が義務的に導入するようにする法律の制定を夢見るようになった。便宜施設連帯は、移動権連帯に対してバス乗り込み運動とともに、移動権保障法を作ることを提案し、2001年度に日本でまず「交通バリアフリー法」が制定されたということは、法律制定の希望をさらに持たせるものとなった。

2002年度から、便宜施設連帯は移動権連帯の法律制定部門を担当することになり、移動権連帯所属団体であった民主労働党の人権弁護士チームのイ・ミンジョン弁護士とともに、移動権保障草案作りの作業に入った。全体的な内容構成と枠は便宜施設連帯が提示し、法的及び権利救済についての部分と法律的様式についての諮問は、イ・ミンジョン弁護士が担当した。

便宜施設連帯は、移動権保障法案をつくりながら、単に地下鉄やバスに対するアクセス保障ではなく、障害者を含むすべての人の総体的な移動の保障を目標とした。よって、初めの作業は可能な限り多くの交通手段を入れ込むことであり、バスや地下鉄、鉄道などはもちろん、航空機や船舶そしてケーブルカーまで全て案文に入れ込んだ。そして2番目の作業は、移動権の保障のために必要な歩行の権利の確保、バスなどの公共交通に対するアクセス保障、特別交通手段の導入による重度障害者の移動の保障、最後に自家用車運転者の運転の権利の保障のための支援などを入れこんだのである。

移動権保障法の草案が初めて公開されたのは、2002年の11月19日に開かれた第一回目となる公聴会であり、以後、移動権保障法関連の質疑書を大統領選挙の候補者に伝達しながら同法制定の運動は本格的な動きを見せはじめた。12月には、同法制定について、ミレニアム民主党とハンナラ党、民主労働党、社会党などの同意を引き出すに至ったのである。ソウル・京仁、光州・全南、慶南、釜山、忠北地域の60あまりの障害者、市民、社会団体等が連帯してつくられた「移動保障の法律立法推進共同対策委員会(以下、共対委)」は、設立とともに2003年12月、国会に「障害者等の移動権保障法制定に関する請願」を受理させた。当時は、12月の第16代国会において、ハンナラ党のウォン・ヘリョン議員の代表発議を経て移動権保障法を発議する予定であったが、法律案について法律の名称とバスの部分が抜けていたということ、行政訴訟や告発権といった懲戒の部分において核心的な内容が欠けていたという点、法律を守らなかったときの対案が無いという問題が指摘され、当該会期には立法化しないという結論を下した。


建設交通部(国土交通省)が提案した移動便宜増進法案の意義と内容

共対委は、12月26日に移動権保障法制定の検討等のために第2回目の公聴会(共対委の設立後としては初めて)を開催し、以後数回にわたって懇談会や会議を持ち、第17代国会での立法化を目標に、法案の修正と補完作業を続けた。そうした中、4月20日に建設交通部が「交通弱者の移動便宜増進法(案)(以下、移動便宜増進法)」を提案してきて、法制定のための公聴会を開催した。障害者の移動問題を保健福祉部(厚生労働省)の所管として後回しにしてきた建設交通部が、交通弱者の移動を制度的に保障するために動きを見せたことは、障害者など交通弱者に対する意識が高まったこともあるだろうが、より具体的には、第2次障害者福祉発展5カ年計画から障害者の移動についての政策を建設交通部が担当することになったことで、必然的に法律制定が具体的な事案となったものである。しかし建設交通部が出してきた移動便宜増進法案は、この間、便宜施設連帯と移動権連帯、共対委などが強力に主張してきたものとは違い、核心要素とも言える低床バスの導入義務化、懲罰的損害賠償制度などが抜け落ちており、障害者などの移動弱者が実際に移動権を保障されないようになっていた。公聴会に討論者として参加した便宜施設連帯の「隆昊(筆者)はその法案の内容に対して「10年以内に低床バスを10%導入するという案は、低床バスの完全導入のために100年待たなければならないということ」と強く批判した。また、「建設交通部で準備した移動便宜増進法案が、地方自治体への法律違反等に対する罰則、懲罰的損害賠償制度、市民請求権など、核心の事項として共対委が主張している内容が抜け落ちている」として、障害当事者・団体の要求が盛り込まれた実質的な法律の制定を強く求めた。この後、便宜施設連帯はこれに関連して2つの声明を発表し、建設交通部が移動保障のための法律制定の意思を見せた点については賛同するが、法案には賛成することができないということを強く示唆した。


核心の内容を盛り込んで通過した法案

共対委は2004年6月17日に3回目の公聴会を開き、政府案を発表した建設交通部の担当者及びその時期にちょうど開院した第17代国会における各政党の政策担当者等が出席した中で、移動保障法案を発表し、建設交通部の発表案に盛られていなかった内容を指摘した。続いて7月19日、民主労働党の玄愛子(ヒョン・エジャ)議員の代表発議を通して、正式に国会立法発議するに至ったのである。国会で代表発言をした「隆昊(筆者)は、「障害当事者の手で作られ、政府が机上で座りながら作った行政便宜的なほうではなく当事者の意思と要求が盛られた法」であることを強調し、立法の意味を明らかにした。

こうした過程を経て、移動保障法は、昨年末に紆余曲折の末、臨時国会の終わる間際に政府案として上程された移動便宜増進法と内容をすり合わせることとなり、名称は政府案を、内容の核心部分である低床バス義務化と移動権の明示等に関しては、共対委の案を受け入れた折衷的な形態として国会を通過した。今後残された課題は、この法律の正しい施行のためを施行令と施行規則を作ることである。また、長い間の闘いの結果が無駄にならないよう、まともな施行令と施行規則を作る過程に障害当事者や団体の声が積極的に盛られていくべきである。


移動便宜増進法の制定はどのような意味があるのか?

2004年12月29日に国会本会議で、小委員会の意見を受けて建設交通部より提案された対案としての「交通弱者の移動便宜増進法案」を通過したことによって、移動権の保障のための第一歩を踏み出したといえる。しかし、今回に通過した「交通弱者の移動便宜増進法(以下、移動便宜増進法)」が果たしてこの間、共対委が主張してきた移動保障法と同じようなものなのか、さもなくば、今回の移動便宜増進法が障害者の移動権を保障してくれるものなのか今も疑問に思っている人も多いであろう。

移動便宜増進法は法律の名称から政府の法案名にそのまま従ったものであるため、あたかも政府の法案がそのまま通過したもののように誤解をおこす。しかし、対案としての移動便宜増進法は、政府法案としての移動便宜増進法と何点か基本的に違う点を含んでいる。


第1点目として、「移動の権利」の明示である。移動権が法律に一つの権利として明確に明示されているかいないかは、とても大きな差がある。移動権が明示されていない場合、損害賠償請求訴訟や行政訴訟等において、移動権は具体的であり且つ基本的な権利ではなく漠然とした権利としてのみ認められるに過ぎない。移動権の明示は、移動権が障害者を含む全ての国民の重要な基本の権利であることを明らかにするものである。この移動権はもともと政府の法案には含まれていなかったが、共対委の移動権保障法案を受け入れて今回の移動便宜増進法第3条に書き込まれたのである。

二つめは低床バス導入義務化である。低床バスの義務導入は、共対委案と政府の法案との違いをはっきりとさせてくれる代表的な事案であった。政府案は低床バスの導入を勧告事項としてあり、共対委案は低床バスの導入を義務事項として規定していたためである。この問題は、国家及び地方自治体の予算支援の義務化と運送事業主に対する過度な負担という問題が妥結する前には解決がむずかしい課題であった。しかし、移動便宜増進法では、低床バスの導入を義務化し、国家及び地方自治体が義務を果たすこととした。予算支援も「予算の範囲の中で」という但し書きを付けはしたが、予算支援を義務化することにより、運送事業者に対する負担を減らすということで、結局共対委の案を受け入れたのである。

しかし移動便宜増進法は、移動権と低床バスの義務導入における意味のみをもつものではない。政府案がすでに共対委案を多くの部分で受け入れているためである。政府案は共対委が主張した法の対象とすべき交通手段の中で、タクシーを除外した大部分の交通手段(船舶、航空機等)を対象手段として規定しており、障害者コールタクシー及び移動支援センターを通じたドア・ツー・ドアサービスの支援、自家用運転者に対する制度の改善及び技術開発等の支援、移動保障のための政策も大部分受け入れられている。ここに、政府案で追加された歩行設備の整備などは歩行権の確保に寄与するものと見られ、障害者の移動は今までとは違い体系的且つ具体的に保障されることと思われる。


反面、移動便宜増進法で一番弱い部分は、罰則と権利救済部分である。もちろん、強力な罰則だけが万能というわけではなく、罰則が強力な法律が必ずしもよい法律ではない。しかし、共対委が主張していた国民の是正請求権や懲罰的損害賠償制度等は、障害者等の移動権を国民の権利として具体化し保障する法律的に新しい試みであった。しかしこれらの制度は国内法に事例が無く、あるいは賛否がわかれるということで、全てが受け入れられはしなかった。

しかしこうした残念な部分もあるにせよ、今回の移動便宜増進法の制定は、低床バスの導入、特別交通手段の導入、歩行権の確保、移動便宜増進計画の立案、自家用車運転への支援など、多くの部分で障害者などの交通弱者の移動の環境を改善してくれるものと期待している。


しかしこれからが始まり

法律が制定されたといって、すべてのことが達成されたのではない。移動便宜増進法は制定されたが、解決すべき課題はいまだに残っている。

まず、低床バスの導入など、移動権関連業務の地方自治体への移譲に伴う地方自治体の意思である。

地方自治体に移譲された事業は中央政府では施行できない。事業の優先順位や予算立ては全て地方自治体の意思にかかっている。したがって、低床バスの導入が地方自治体に移譲された事業となるため、地方自治体で積極的に予算をつけて導入を推進しなければ、中央政府が強制的に施行することができなくなる。もちろん、移動便宜増進法によって地方自治体は「移動便宜増進計画」を策定しなければならず、そこで必ず低床バスの導入計画を策定するように定められており、ある程度は地方自治体の低床バス導入を強制化しているが、これは、低床バスをまったく導入しない場合はわからないが、消極的に少ない数の低床バス導入を行ったとしても、強制的に更なる導入をさせる方法が多くないのは事実である。特に、低床バスの導入についての認識が高くない地方自治体と財政自立度が高くない地方自治体であるほど消極的な計画を策定する憂慮が高くなる。したがって、地方自治体に対する広報啓発と支援が必要である。

二つめ、「均衡発展特別会計」にともなう国庫支援の追加支援政策の必要性である。

今回、移動便宜増進法では国家及び地方自治体の低床バス導入に対する予算支援が義務化されたものの、この支援は、均等発展特別会計法により、マッチング・ファンド(国庫と地方自治体が50対50で負担する支援政策)によって支援がされ、支援を要請した地方自治体に限り支援が可能である。しかし、マッチング・ファンドによる支援もやはり追加支援がされるべきである。ソウル市のように財政自立度が高い地方自治体の場合には、マッチング・ファンドだけで十分であるが、財政自立度が低い地方自治体の場合にはマッチング・ファンド移譲の支援がなされなければ低床バスの導入ができないためである。なので、財政自立度による追加支援政策の導入が必要なのである。

三つ目、国民の監視と参画の機構を構成することである。

低床バスの導入に関しては、地方移譲事業であり、均衡発展特別会計による国庫支援政策であるため、地方自治体の施策遂行の意思が大きな影響を与えることになる。よって、消極的な移動政策を取ろうとする地方自治体には、市民の圧力と監視がいつにも増して要求される。しかし、移動便宜増進法の規定には市民及び当事者の参画を保障する機構の構成が不足している。したがってこの部分は地方条例の制定などを通して、障害者などの交通弱者の参画と監視が保障される構造を作り出すことで、地方自治体における移動保障政策の活性化を模索していかなければならないであろう。


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