僕は子供の頃から走るのが苦手でした。とくに持久力がないから長距離走は大嫌いで、中学生のときの体育の授業では冬になると毎回のように1000mのタイムトライアルが行われるのですが、これがもうイヤでイヤで…。いつも授業から逃げ出したくなるのですが、逃げ足も遅いから困ったものです(失笑)。マラソンの高橋尚子選手が42,195キロを走り切った後でも「走るのは楽しい」と笑顔を浮かべているのを見ると僕なんかは理解に苦しむし、箱根駅伝で最も過酷な往路5区の山登りなんて僕には間断なく続く無間地獄のようにしか思えませんが、走ることって何がどう楽しいのだろう。韓国映画「マラソン」は自閉症で5歳の知能しかない20歳の青年がフルマラソンで完走したという実話を基にした作品で、「韓国のアカデミー賞」と呼ばれる大鐘賞で2005年度の最優秀作品賞を受賞したヒューマンドラマです。タイトルは「マラソン」ですが、実はマラソンはこの作品においてさほど重要ではありません。重度の自閉症の青年チョウォンがフルマラソンで完走したから素晴らしいのではなく、その過程で両親(とくに母親のキョンスク)、母親の愛情を渇望するチョウォンの弟チュンウォン(ペク・ソンヒョン)がどのようにチョウォンと関わりながらここまで育ってきたのかのほうが重要で、親のエゴとか家族の絆など、とても考えさせられる内容なのですね。ま、ステレオタイプといえばステレオタイプで、知的障害者はピュアで、彼らと接しているとまわりの人たちは心が洗われるような気持ちになるという演出をしています。意図的ではないにしても、純真無垢なチョウォンの言動に汚れた大人は時に笑い、時に困らせられるのですよね。でも、母親のキョンスクの姿はリアル。チョウォンがまだ幼い頃にノイローゼ気味になってどうしようもなく途方に暮れた彼女は母親失格の“ある行動”をしてしまうし、逃れられない子育てに辟易してしまう。その一方で、チョウォンの最大の理解者で、息子をバカにしたうえに「障害者が社会にいたら迷惑だから施設にいろ」みたいな言葉を吐き捨てた若い女性にカチンときて、「あなたのほうがバカよ」的な言葉をその女性にぶつけたりもするのですね。この場面は見ていてスカっとします。チョウォンは自閉症という障害があっても他の人と同じで何も変わらないと考える母親だからこその行動ですが、その裏には想像を絶するような葛藤と母親としての孤独、さまざまな感情があったのだと思います。実はそういう「母親の視点」が中心で描かれた映画だから、母親が見たらあまりにリアルすぎてツライかもしれません…。
チョウォンはシマウマとチョコパイとジャージャー麺が大好き。でも、意思表示ができないから、表情とか仕草を見てそれらが好きであろうと察することはできますが、ほんとに好きなのかどうかは母親でさえも分かりません。走ることだって本人は「好き」と答えますが、ほんとのところは誰にも分からないのです。それでも周囲にいる人たちは本人が発するメッセージを洞察力で読み取らなくてはいけませんが、母親は自分の育て方が正しかったかどうか、自分のエゴで「走ること」を無理矢理押し付けていたのではないかと苦しむわけで、そのあたりはもう見ていて痛いくらい。先日、僕は発達指導員と自閉症の息子を持つ母親の講演を聴きに行ったのですが、今はもう息子は大人になったから、自分の子育てを明るく笑いながら振り返って語っていました。でも、どのエピソードもインパクトは強烈で、そりゃもう「大変」という言葉では足りないくらい。キョンスクは「自分の願いは息子が自分より一日早く死ぬこと」と言いますが、このお母さんはキョンスクとは対照的で、「私が生きている間に息子が適応できるような(生きやすい)社会にしたい」と話されていたのも印象に残りました。
チョウォンにとって雨、風、草、人の温もりなどを感じてきた「手」が母親との繋がりでもあったわけですが、一人では生きていけない息子をずっと守り抜こうと心に誓ったはずの母親はその手を…。この行為を「逃げた」と言ってしまえばそれまで。でも、一人では生きていけないのは実は母親のほうで、息子は「自律」はできなくても「自立」はできるのです。だから、一人で走り出した息子の表情は清々しいスマイルで、母親の立場でこの作品を見ればツライかもしれないけど、障害のある息子の立場で見たらお涙頂戴映画ではなく、自分の足で歩き出すことの意味を考えさせられ、笑って泣ける感動のヒューマンドラマでした。走ることがサイコーに楽しいから走る。それだけのことなのだけど、そんな単純にはいかないのが世の常。それは障害の有無に関係ないはずですが、障害があるというだけでそれが難しくなるのは何故だろう。まだまだ生きにくい社会ですね。
ところで、今は息切れするほど走ることができなくなった僕は時々動悸が…。お肉が大好きで脂っこいものが中心の食生活をしているだけに、年齢的にそろそろ心筋梗塞とか生活習慣病を気にしないといけないのかもしれない(とほほ)。
チョウォン(チョ・スンウ)は自閉症のために5歳の知能しかない20歳の青年。母親のキョンスク(キム・ミスク)はいつも息子から目が離せないでいたが、走るときは楽しそうな息子が10キロマラソンで3位に入賞したことがキッカケで、母親は息子をフルマラソンに挑戦させたいと考えた。かつての有名ランナーで今は飲んだくれのチョンウク(イ・ギヨン)にコーチを依頼するが、しかし、二人は意見が対立。解雇しようとした母親にチョンウクは「自分のエゴで息子を走らせたいだけじゃないか」と突っ込むが…。(ビデオレンタル中)