頸損だより2006秋(No.99) 2006年9月30日発送

頸損ケアマネの誕生!!

〜車いすでヘルパー2級、
そしてケアマネージャー資格獲得までのストーリー〜

坂東 由並子


2005年の元旦、介護支援専門員(ケアマネージャー*以後ケアマネ)になることを決意した。


私は1984年・20歳の時に交通事故で頸損となり、1年間を星ヶ丘厚生年金病院で過ごした後帰宅。以後10年間、自宅で母の介護のもと毎日を過ごした。何年か経った頃「私、このままでいいの?何かできることあるんじゃないの?」と考え始め、30歳の時に玉津の兵庫県立総合リハビリテーションセンターへ入所。何もできなかった私は時々挫折しながらも、2年半の間に日常生活はすっかり自立して車の免許まで取ってしまった。リハセンター退所後は同センターの総合案内所で2年間勤務。その後、『介護用品のあっぷる』へ転職し現在に至る…。


ケアマネ試験を受けるきっかけになったのは玉津でお世話になった訪問看護のスタッフの方の言葉だった。玉津の外来で久しぶりに出逢った彼女の言葉は、「ゆみちゃん、ケアマネになればいいのに…」だった。えっ?頸損の私がケアマネ?無理に決まってるやん…って思ったけど、自立支援法(当時は支援費制度)と介護保険の統合疑惑の話しは時折耳にしていた。そうなった時、誰が頸損のケアプランをたてるんだろうという不安はあった。統合しなかったとしても、私達みんな65歳になったら否応なしに介護保険が優先されてしまう。頸損のプランをたてれるケアマネなんて皆無に等しいだろうな…と、漠然に考えた。

当時の私は勤務している会社での仕事も充実していた。でも、勤務年数も5年を超え、自分のやりたいこと・できることを見直す時期でもあった。福祉住環境コーディネーター2級の資格を取ったり、ピアカンの講習を受けたり…、自分なりには『何か』に挑戦はしていたけれど、もっと違う『何か』を求めてる時期だった。そんな時にもらった「ケアマネになればいいのに…」という言葉。突き刺さった…。今の私にできるのはコレだわ…と勝手に確信した(笑)。でも、障害者の私がケアマネの試験を受けれるのか? 5年の勤務年数は受験資格とみなされるのか? とにかく疑問だらけ…。ここからがケアマネ資格取得への闘いの始まりとなった。

まず、障害者でも試験を受けることに関してはすぐに大丈夫ということがわかった。次は、勤務年数と資格だ。私は国家資格を何も持っていないので5年の勤務年数だと、『社会福祉主事任用資格』か『訪問介護員養成研修2級課程』、もしくはそれに相当する研修というものを受けていないとだめらしい。『社会福祉主事任用資格』は時間が足りなくて無理。『訪問介護員養成研修2級課程』は言い換えれば『ヘルパー2級』。頸損の私がヘルパー研修なんて無理に決まってる。逆に介護を受ける立場なのにね…。残されたのは『ヘルパー2級に相当する研修』というものだけだ。色んなところに電話し、ネットで調べあげたら『福祉用具供給事業従事者研修』というのを見つけた。この研修と現任研修を合わせて受ければ、ケアマネの受験資格として認めて貰えるらしい。…ということで、次は関西で開催される『福祉用具供給事業従事者研修』を探しまくった…。が、現任研修が全く見つからない。従事者研修は月いちであるのに現任研修は東京で1回あるだけ…。

主催者側に問い合わせたら「関西での現任研修は2005年度は予定がない」とのこと…。仕方なく東京に問い合わせてみたら「障害者対応は考えてない…」と、素っ気無い言葉。私はケアマネ受験を決意して2ヶ月も経たないうちに途方に暮れるハメになってしまった。資格がないとなると勤務年数5年では受験ができない。10年の勤務年数が必要だ。あと4年も先??ヤダー。絶対に今年受けてやる!!残されたのは『ヘルパー2級』のみ。とりあえずやれるとこまでやってみるっきゃない!!

まずは、ヘルパー研修を実施している学校へ片っ端から電話してみた… が、どこも対応は冷たい。「車椅子なんですが…」と告げると態度が急変する。その上「頸髄損傷という障害で手も不自由なんです」と言うと、相手は黙り込む…。この国はまだまだバリアフルだね。せめてスマートな断り方ぐらい身に付けて欲しいものだ。大手の学校数社に電話して全て断られ、諦めモードに入っていたところ「どうせまたアカンやろな」と思いつつрオたS福祉学院…。んん?受付の女の子、感じいい〜。今迄とは違う感触。担当の方に変わってもらう。恐る恐る「車椅子なんです…」と言うと、「いくつか教室はあるので車椅子で入れるところを明日見てきましょう」…。うそっ!!一瞬耳を疑った。「え?車椅子で受講できるんですか?」「もちろん。大丈夫ですよ。明日もう一度連絡します」…。捨てる神あれば拾う神あり…。昔の人はうまく言ったね。感謝しつつ翌日連絡を待つ。「一つだけ車椅子で問題なく入れる教室がありましたので受講の手続きをしましょう」…と、またまた夢のようなお言葉。諦めなくてよかった〜。5月中旬から川西教室でヘルパー研修を受けれることが決まった…。が、ここでまた新たな問題勃発。ヘルパー研修には施設実習があるのだが、その施設の受け入れ先が見つからないとのこと…。せっかくここまで漕ぎ着けたのに、実習先が無くて修了書を貰えないなんて悲しすぎる…。そんな時、私のことをいつも気にかけてくれてる会社の先輩ケアマネが「順調にすすんでんの?」と、声をかけてくれた。「実は施設実習の受け入れ先が見つからなくて…」と話すと、なんと、即日に知り合いの特養に話しをしに行って実習させて貰う承諾をとってきてくれた。信じられへん…。S福祉学院の親切なおにいさん、あれだけ探しまわって全然ダメだったのに、なんでこんな簡単に決まるの? やっぱりこの世界はケアマネの力大きいのね…。しかし、この先輩ケアマネと理解ある特養のスタッフ(ちなみにこの方もケアマネ…)のおかげで5月末から私はヘルパー2級の研修を受けれることになった。ケアマネ受験を決心して半年近くを費やしてた。S福祉学院は通学の研修前に通信で学科は終了しておくというシステム。普通は1ヶ月位の余裕があるのだが、私の場合すったもんだあったので通信はたったの1週間でやりあげるという時間の無さ…(泣)。仕事から帰ってきて夜中まで久々に勉強をした。でもこれはある意味いい予習となった。その後のケアマネの勉強とかぶるところが思った以上に多かったのだ。そして夜中の勉強もコレのおかげで楽にクセ付けることができた。何でもいい方に考えれば幸せ幸せ…。

そして始まったヘルパー研修!! かなりハードな2週間だったけど、同じクラスの人達はみんな楽しい人ばかりで落ち込むこともなく毎日ヘロヘロになりながらも笑顔で頑張れた。クラスの中に頸損の友達の親戚の方がいたりして、「世の中狭いわ…悪いことでけへん」って改めて思ったりもした(笑)。研修内容は講義が半分、実習半分という感じ。シーツ交換もやったし片麻痺の方の着替え介助とかもみんなと一緒にやらせてもらった。いつもは介助を受ける側の私としてはかなり新鮮…。シーツ交換は玉津での訓練課暮らしの時に鍛えられたから健常者より上手だったわ。(イェィ) 2週間の研修が終る頃にはみんなすっかり仲良くなって飲み会の話で盛り上がってた…。教室での講義終了後はいよいよ施設実習と訪問介護実習。これがね…、想像以上にしんどかった。施設って、外と中では全然違う…。カルチャーショックを受けた。社会のエグイ部分の縮図を見せられたような感じ…。それでも救いになったのは、おじいちゃん・おばあちゃん達の笑顔。昔の話しをしてる時の楽しそうな顔に毎日助けられた。それにしても大変な仕事だ…。エグイ内情は別として職員の方達すごいと思った。尊敬します…。最終日に訪問介護も無事に終え、私のヘルパー研修は終った。有休は殆ど使ってしまったけど…(泣)、とても大変だったけど…(爆)、貴重な経験をさせてもらったなぁ。お世話になった方みんなにありがとう。


さぁ、この時点で既に6月中旬。これからはケアマネ試験に向けてまっしぐら…の筈だったんだけど、はっきり言ってここまでが大変すぎたから気が抜けてしまった私は夏を満喫するこにとに…?! まわりの友達は講習を受けたり、基本テキストを読み始めるなか、私は遊びまくっていた。これではイカンとやっと焦りを感じ、勉強を始めたのは結局8月末…。少し前から勉強を始めていた同僚の女の子と2人で頑張ることにした。ここからはやる気満々。毎晩仕事が終って帰宅してから夜中まで過去問題集とにらめっこ。飲み会で遅くなった日も、友達とはしゃぎ過ぎて朝帰りした日も過去問の本だけは必ず開いた。(ババァはやる時はやるのよっ☆) 講習も安くて中身が濃いのを探し2人で受けにいった。もちろん模試も受けた…。模試の結果は75点。やるじゃん私!!って、バンザイしかけたけど合格圏内には入っていなかった。(うそん) ケアマネ試験の合格点は毎年決まってない…。とりあえずは80点目指せってことか…。はぁ、気が重い。それでもめげずに頑張った。体調管理にも気を遣った。私たち頸損はどんなことで寝込むかわからない。とにかく無事に試験の日を迎えれますように…と祈りながら勉強に励んだ。

そして試験当日・2005年10月23日。その日はやってきた。寝坊することもなく試験会場の神戸大学へ向かう。教室に入り試験の説明を受ける。「携帯電話は電源を切ってカバンに入れておいて下さい」。うん。当然だよね…。へっ?!私、時計持ってないよ〜。だって、携帯がいつも時計代わりやもん。教室を見回す…。時計が無い。嘘でしょ。嘘と言って…。結局私は時間がわからないまま試験を受ける破目に…(ぐすん)。ま、最初はパニクッたけど途中からは開き直って最後は見直す余裕まであった。けど…、試験の感触は微妙…。自信は全くなし…。試験後は同僚の女の子と近くの居酒屋で昼ビール!!カンパーイ!!お互いよく頑張ったね〜と褒めちぎる。そして答え合わせ…。あぁ、全然違うよ〜。発表まで待つしかないか…と思いきや、試験前にネットでお世話になったサイトを覗いてみると、解答が出てる〜(驚)。でも、不適切な問題がいくつかあったらしく結局のところ発表を待つしかない…。ケアマネの合格基準は全国一律なんだけど合格発表の日は都道府県によって異なる。そこで発表の遅い兵庫県の私はサイトで他県の合格者の書き込みを見て今年の合格点を知ることになる。 しかし自己採点なので間違いがあるかもしれない…。不安で心細い1ヶ月半を過ごした。

12月10日、合格発表の日…。この日も私は遊び呆けてた。結果を知るのが怖くて夜中に帰宅すると両親が起きて待っていた。(オイオイ、老夫婦は寝て下さいよ) リビングのテーブルの上に封書が置いてある。開けなきゃダメ? ダメですよね…。ドキドキしながら封書を開ける。まず受験番号が目に入る。そして名前の下に…【合格】の文字が飛び込んできた。

キャ〜。受かっちゃった〜。うっそぉ〜。一人で叫び続けるおバカな私。だって、あれだけ頑張ったんやもん。嬉しいよ〜。両親は笑いながら「よかったね」と言い、2階へ上がっていった。その後も私はずーっと飽きることなく合格通知を見ていた。にやける…。


何かに向かって頑張ったのは久しぶりだった。いつも走り続けてきた私だけど、この2〜3年は少し自分を見失いかけてた。そんな中で与えられ見つけたケアマネという大きな目標。頑張ってよかった。諦めなくてよかった。たまには努力するのもいいもんだ。沢山の方に支えられ助けられて得たこの資格をどういう風に活かしていくかはこれからの私次第…。まだまだ大きな壁はあるだろうけど、それよりももっと大きな私の夢に向かって進んでいこう。負けへんで〜(^^)v


追伸、ケアマネ試験合格後、半年間にわたりケアマネ研修を受け、2006年8月中旬、『介護支援専門員証』が送られてきました。これで晴れてケアマネージャーです。長かった〜(>_<)



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