皆さん、あけましておめでとうございます。
2007年という新しい一年の幕開けに、「頸損だより」の100号という節目を迎えることができました。100号記念を編集するにあたり「故きをたずねて新しきを知る」その謂われのとおり、過去の「頸損だより創刊号」1983年から約25年分 99冊を紐解いてみました。ときに激しく、ときにやさしく、ときに楽しく、ときに悩み多く。障害者をとりまく社会状況はこの20数年の間に大きく変わったといえるでしょう。その中にあっていつも障害とあるいは社会と格闘し続けてきた当事者の、仲間の横顔と足跡を垣間見ることができました。20数年間の運動のなかで、いつの時代も変わらず言い続けていることはいたって簡単。とにかく「街に出よう!」、障害があっても主体的に「社会に参加しよう!」、このシンプルで、しかし最も重要なキーワードが私たちの運動の原点として今まで言われ続けていることにあらためて気づかされます。それは、当事者である仲間から仲間への訴えかけ。体験を通じて得たものをまた他の者へと伝えていく。また、あたりまえに「街に出る」そのために必要なものを、社会にも訴えかけていく。駅にエレベーターを、街に段差をなくし、車椅子でも住める住宅や、障害があっても働ける場を求め、施設や家族介護だけに頼らなくても生きていける介助制度が必要だと。どれもが、障害があってもあたりまえに社会で生きていける条件整備を求めているだけです。まだまだ条件整備が保障されないなか、少なからずこれまでの闘いにより得られたものもあります。昨年2006年12月に国連で採択された「障害者の権利条約」はその最たるものかもしれません。しかしこれらの手にしたものが“絵に描いた餅”になってしまわないよう、みんなが本当の意味であたりまえに社会参加できるその日まで、私たちの運動は終わりません。
それではこれから大阪頸損連絡会のこれまでの歩みと、今後に掛ける思いを当記念号に綴っていますので、どうぞ懐かしさとあるいは新鮮さを感じていただきながらしばしの間お付き合いください。
事務局長 鳥屋利治
「頸損だより」バックナンバーから、会員の若き日の写真をピックアップ!
今から24年前、1983年に創刊した「頸損だより」。その今日までの道のりは、会員が頸損としていかに豊かに生きるかを求め、闘い続けてきた歴史でもある。記念すべき100号目を迎えるにあたり、バックナンバーの記事と関係した人たちの証言で、機関誌「頸損だより」と頸損連絡会のこれまでを振り返ってみたい。そして、障害者福祉のあり方が大きく変わりつつある今、これから私たちが何をすべきかを考えたい。
これが「頸損だより」創刊号だ!
当時の会名は「頸髄損傷者友の会」。もともと「頸損友の会だより」という機関誌があり、その後、東京頸損連絡会の機関誌(「頸損」)に一本化されたが、大阪独自の情報がほしいという声に応えて、あらためて創刊されたもの。当時は磯崎章一さん、谷川信之さんを中心に、会長の糀谷終一さんたちも加わって、和文タイプ(若い人は知らんやろな〜)による制作で、ほぼ2ヶ月に1回のペースで発行していた。