6月9日に行われた兵庫頸髄損傷者連絡会主催の市民公開講座「人工呼吸器使用者の自立生活を実現するために」を通して私たちは改めていろいろなことを学びました。そのひとつが“舌咽頭呼吸”と呼ばれる呼吸法で、気管切開をしている人工呼吸器使用者にとっては福音となるような呼吸法だったのですが、参加者の中には実際に舌咽頭呼吸をマスターすることによって気管切開から離脱することができた方もいました。そこで、今回はこの市民公開講座を振り返ると共に、兵庫頸髄損傷者連絡会の米田さんには気管切開からの離脱で何がどのように変化したか?また、これから舌咽頭呼吸に取り組む大阪頸髄損傷者連絡会事務局の吉田さんにはこれまでの経過も含めて今後の期待を寄稿して頂きました。
この特集が人工呼吸器使用者の新たな可能性を切り拓くキッカケとなれば幸いです。
暑い、暑い夏本番の今、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。中越地震の被害も日を追うごとに状況が悪化しているとメディアが報じています。一方、参議院選挙では自民党が大きく負け民主党が大きく伸びたのはご承知のとおりです。しかし、すぐに我々の生活が良くなると期待できるものではないでしょう。まず当面の目標は自立支援法の廃止です。とにかく悪法は駆逐しなければなりません。自立支援法が施行されて生活は良くなったでしょうか。急に悪くなった、と思われる方が多いのではないでしょうか。こんなに極端に生活が変化する法律はやはり悪法と呼ぶにふさわしいでしょう。とにかく廃止をして、そして、真に必要とする法律を制定していただきたい。
さて、兵庫頸損連絡会が発足して初めての市民公開講座を開催しました。市民公開講座とは何か、と思われる方もいらっしゃるでしょう。言葉はよく耳にします。自治体の広報紙などにはイベントのお知らせとしてよく載ります。それぞれ講座のテーマこそ違いますが広く一般の皆さんに参加していただき知識や教養を高めてもらおうとするものだと思います。その講座を兵庫頸損連絡会が開催しました。
「市民公開講座を開催しませんか」とのお話が関西労災病院の医師土岐先生からいただいたのが開催日の一年前でした。人工呼吸器について世界的権威者である二名の方が来日されるのを機会にその二人からお話しを聞くということでお引き受けすることになりました。最初の構想は、当事者と関係者、そして一般の方に講師の講演を聞いていただく事を考えていました。しかし、最終的には二部構成とし、当事者主体の形を取り入れた内容の講座としたのです。開催を決めてからの動きはすばやいものがありました。まず、準備を進めるために宮野事務局長を主として実行委員会を立ち上げました。それからの動きが今回の盛大なイベントにと発展して行ったのです。それには、多くの人のご支援、ご協力を得ての成り立ちであることを忘れることは出来ません。
本番の当日、6月9日(土)がやって来ました。テーマは、「人工呼吸器使用者の自立生活を実現するために」=当事者、支援者、市民がつながって考えよう=と、いうものです。事前申込みを参加の条件と決めずに多くの人に呼びかけた結果会場に入りきれない状況が生まれました。初めて行う大きなイベントの把握し切れないミスでした。
しかし、これも多くの人が関心を持ってくれているという反響であると確信し、それと同時に、これだけ多くの人が関心を持ってくれている今こそ人工呼吸器を使用していても在宅で、また地域で生活が出来るということにつなげていきたいと強く感じました。
ところで、今回の講座を開催する準備を進めていくうちに知らないことが多いのに気がつきました。セルフヘルプ活動を頸損連絡会のメインテーマとして当事者運動を進めている私自身、当事者として知識不足、認識不足を恥ずかしく思いました。今までにも人工呼吸器使用者と会の行事や学習会で直接話しも聞きました。そうであるのに、準備を進めていくうちに自分達の周りに人工呼吸器を使用して日常生活を送られている仲間が多くいることがわかりました。そして、人工呼吸器を使用しているというだけで日常生活を過ごす中で様々な問題があることを知りました。しかし、その問題というのは知識不足、認識不足から来ているものもあり、今回のように広く地域の皆さんとふれあう時間を持つことで解決できる事も多いというのもわかりました。講座は大盛況に終えることが出来ましたが、これで生活が楽になったのではありません。これからが本当の生活を賭けた活動がはじまります。ボランティアで参加された高校生が次回も声をかけてくださいね、と言ってくれました。何度も死ぬ思いをして遠く鹿児島から参加していただいた迫里深さんを始め、体調も万全でないが、と言って参加していただいた人工呼吸器使用者の皆さんには心から感謝します。
今回のテーマである、「人工呼吸器使用者の自立生活を実現するために」=当事者、支援者、市民がつながって考えよう=は、自立生活を実現することが当面の目標ですが、実現した生活が楽しく、不安無く持続できることを目指すことが次ぎの目標となり、我々はその目標に向って活動を進めて行きたいと思います。
終わりになりましたが、開催 するにあたり助成金をいただいた木口ひょうご地域振興財団、協賛いただいた各企業、後援いただいた兵庫県、明石市、各団体、そして当日お世話になったボランティアの皆様方に厚く御礼申し上げます。
6月9日(土)、明石において兵庫頸髄損傷者連絡会主催で標題のシンポジウムを開催ました。そもそものはじまりは、関西労災病院医師の土岐明子さんから「神戸で開催される日本リハビリテーション医学会の講師を迎えて、公開講座をやってみないか」というお誘いからでした。しかし、準備を進めるうちに、想像以上にいきいきとした生活を送っている人工呼吸器を使用するひとたちとふれあう中で、ぜひ彼ら自身の声で彼ら自身の生活を語ってもらおうということになりました。おかげまで170名という多数の方にご参加いただき、立ち見が出るほどの盛況振りでした。満席のため入場をお断りしなければならなかった方にはお詫びいたします。
まず第1部では、「知ってほしい私たちの暮らしと願い −人工呼吸器使用者からのメッセージ−」というテーマで人工呼吸器を使用するひとたち肉声で語ってもらいました。メインは当会の池田英樹さん(34)の講演「呼吸器をつけて自分らしく生きる」でした。約50分間池田さんは、受傷後から人工呼吸器使用にいたった経緯と現在までの生活を、心境の変化も交えながら話され、その後約15分間彼の生活を撮したビデオが上映されました。ビデオの中の池田さんは、旅行、飲み会やギャンブルなどに積極的に出かけ、いきいきと暮らしていました。そして、最後に彼は「一度しかない人生だから、悔いのないように生きたい」と強く訴えていました。短い休憩を挟んで、「呼吸器使用者の自立への課題」というテーマで池田さんを含めた6名の人工呼吸器使用者と1名の方に語っていただきました。鹿児島県でカーブス平佐というフィットネスクラブを経営する迫里深(さとみ)さん(気管切開)は「チャンスは必ずめぐってきます。そのチャンスを見逃さない為にも、つねに情報が入るようにいろんな人とコミュニケーションをとるようにして下さい。人生楽しみましょう」(代読)と訴えました。受傷後2度目の外出がこのシンポジウムになった当会の米田進一さん(36)は「たまには一人になりたい」「(マウスピース呼吸器から離脱して)自発呼吸ができるように」と目の前の問題点を肉声で訴えました。大阪頸髄損傷者連絡会のA.T.さん(※本人希望によりイニシャル表記)(30)は「十分体制が整わない状態で、戸惑いの中追い出されるようなかたちで退院」させられる医療制度の問題点や「自分の喉につながれたカニューレを見て、ギョっとされたり怪訝な顔をされる時がよくあります」と社会での認知度の低さを訴えました。高校生で医療的ケア連絡協議会の折田涼さん(18・W-H病・マウスピース)は、スライドを交えて(代読)健常者と同じ高校生活を送っていること、大学進学を希望していること、「彼女募集中」と茶目っ気たっぷりに話してくれました。そして、その涼さんの姉と称する折田みどりさん(バクバクの会)は、家族、そして事業者の立場から医療的ケアの制度上の問題を訴えられました。参加者で唯一鼻マスク呼吸器を利用しているメインストリーム協会の藤原勝也さん(27・筋ジストロフィー)は鼻マスクに移行するときの心境や、この夏長期にわたり韓国へ旅すること、そして最後に「(人工呼吸器には」生命維持装置とかという偏見が社会に存在するが、眼鏡や補聴器と同様に生活の道具である」と力強く訴えてくれました。このように第1部では、日本の人工呼吸器使用者の不安で困難な生活実態が浮き彫りになった一方で、ぎりぎりの社会資源と情報収集力を駆使して、したたかに、しかし楽しく生きる人達の姿を紹介することができました。
昼休みを挟んだ第2部ではテーマを「呼吸器使用者の自立を支えるには −呼吸ケアの先進国からの提言−」として、2名の講師を迎えて呼吸器使用者の自立生活が“常識”の海外に学んでみました。まず一人目は、カナダで呼吸療法士・看護士をされているアイリーン・ハンレイさん「すべてのカナダ人に人工呼吸器福祉プログラムをおこなう人工呼吸器使用者と医師」というテーマで講演していただきました。ここで紹介されたブリティッシュ・コロンビア州呼吸器福祉プログラムは、人工呼吸器使用者や親・保護者、医師等が関わって作り上げられ、人工呼吸器使用者が在宅環境で安全に生活することを可能にし、現在カナダのすべての病院に対する指針として実施されています。講演の中では、このプログラム作成に携わった人工呼吸器使用者たちが、いきいきと仕事をこなし、余暇を楽しみ、家庭を持って暮らしている(家族介助ではない)姿がスライドで紹介されました。二人目はアメリカ・ニュージャージー医科歯科大学のジョン・R・バックさんに「神経筋障害の患者における呼吸リハビリテーション」というテーマで講演していただきました。ここでは気管内挿管や気管切開チューブを回避、または抜去して非侵襲的呼吸療法の紹介とそれを活用する神経筋障害患者のリハビリテーション事例が示されました。
総括的な質疑の中で、「日本でも環境さえ整えば、人工呼吸器使用者が安心して積極的に人生を楽しむことが可能になるのでしょうか?」という問に、アイリーンさんは「カナダでも短期間でここまで来たわけではないが、必ず可能になります」と力強く答えていただきました。また、国立看護大学教授の松井和子さんからは「10年前に大阪(頸髓損傷者連絡会)でアイリーンさんを招いたときには人工呼吸器使用者を訪ねることしかできませんでしたが、今日、当事者が肉声で話されているのを聞いて、日本でも確実に進歩していることを実感しました」と締めくくっていただきました。
わたしたちはこの企画を通じて、多くの人工呼吸器使用者と出会うことができました。米田さんのように外出さえしたことのなかったようなひとを講演してもらえるまでにできたことは、わたしたちのセルフヘルプ活動の成果の誇りであり、自信にもなりました。
平成17年5月19日午前4時頃、大型トラックの運転手をしていた僕は、荷物の集荷が終えたので大阪から会社に帰路する途中で事故に遭い、運転席に約1時間も挟まれていました。場所は、中国道下り線吹田入り口ETCゲートを抜けた約30b位の所で、駐停車禁止の所に停まっていたトラックの後部に衝突しました。その時の状況は一瞬だったので記憶がない所もあります。怪我しているのは間違いないのですが、目に血が入り開けられず、手足は動かないので、どうなっているか分かりませんでした。誰かに助けを求めても、高速道路の入り口という事もあり、非常カメラは後方、早朝、無人料金所と最悪な状況でした。ようやく1時間後に一台の車の人が気付き、通報してもらい救出されて千里救急救命センターへ搬送されました。出血が酷かったせいか、意識が朦朧としていたので微かに痛みを訴えていたのが、当時の記憶があるところです。
病院に搬送されてからすぐに、肩や首に激痛が走り医師に「肩と首が痛い」と告げた瞬間、睡魔に襲われて眠ってしまいました。その日は、首にギプスを巻かれ、頭には重りを吊されて固定して寝ていたみたいです。その後、記憶が曖昧なのですが、それから検査があり、頸椎の損傷が明確になり、小腸の一部が破裂しているため緊急手術が行われたようです。手術からICUに帰った夜に、包帯で目の付近まで覆われていたので、視界は閉じたまま耳だけで判断して応答していました。痛みは3時間位続き、だんだんと呼吸が苦しくなって来たので、看護士を呼び、意識がなくなってまた手術になって気管切開をし、人工呼吸器を装着したのが始まりでした。この時から2、3日は記憶がないのですが、見舞いに来ていただいた友人、親戚、会社の上司、家族に「すみません」と連呼していたそうです。
意識が回復してすぐに、声が出ていないことに気付き喉に違和感を感じました。心では「なんで声が出ないねん」と叫んでいるのに…顔の周りと頭に何か不気味なモノが着いていて、「なんやこれ?俺はどうなったんや」と口で伝えても声に出ませんでした。医師が来て、怪我の状況と経過について説明を受けた時、「容態が急変して心肺停止になり、ペースメーカーを一時装着していたんですよ。首の骨が折れていてハローベストで固定しています」と聞いた時は、夢であってほしいと願いました。ただその時は、頸椎損傷ってどんな怪我か分かっていませんでした。身体が動かず、声が出ないことに苛立ち、精神的におかしくなり、「死にたい」と思う毎日が続きました。呼吸する事も自分の力で出来ない辛さは、一度体験してみないと分からないでしょうし、出来れば体験したくないものです。喉にカニューレが入っているので、違和感のせいか唾液さえ飲み込めなくなり、口一杯になるまで唾液を溜めて吸引する癖が付きました。痰が出る度に吸引をして貰うのが嫌で、この時から「絶対に呼吸器を外して喋れる様になってやる」って誓いました。ハローベストで固定されているせいで、身体が動かないと思ったこともありました。日が経つにつれ、回診の度に「動きたい、喋りたい」と訴えて、簡単なリハビリを一般病棟に移ってから行う予定を立てました。その内容は「ストレッチ、肩上げ、座位確保」を最低3日行い、座位は30度、肩上げは30回を基準としました。
一般病棟に移ってから2日目、肺活量を計測すると120tだったので驚きました。「ホンマに虫の息やなぁ」と現実を悔やんだ日でした。2時間置きに体位変更する度に、同じ病室の隣の患者さんの顔を見れば、無理して笑ったり、声が出ていなくても息を口一杯に溜めて「元気ですか?がんばりましょう」と練習していました。ある日、呼吸器を点検しに来ていた一人の理学療法士が、呼吸リハビリに協力してもらえる事となり、さらに前向きになりました。初めは深呼吸の練習で約5〜10分、少し休憩を挟み、肩上げ(両肩を上に上げるイメージ、この時、深呼吸と同時にする)の練習を約2、30回、午前と午後に分け体調が良好な時に続けました。二週間後に肺活量を計測したら、約180tと上がっていました。途中で二回目の手術があり、呼吸リハビリも一時中断、また長い日々を過ごしました。約一ヶ月、傷口が治まってからリハビリも再開し、少しずつ呼吸のタイミングが慣れてきたので、更に肩上げを10回増やしました。月日が流れ、転院先が決まった時、お世話になった先生や、救命士に「今度来る時は、自分の声でお礼を言いに来ます」と約束しました。そして最後の計測で270tまで上がり、11月8日に転院しました。
転院してからその日に、整形科の先生と面会しました。本格的なリハビリは、ハローベストの離脱後の約2週間後に予定されました。11月11日、ハローベストの離脱手術が行われ、首の骨にはワイヤーで固定されました。ハローベストも約半年間の装着だった事もあり、かなり身体が楽で視界も広く、喜びを感じました。「これからや」と家族に励まされました。二週間後に土岐先生に初めて出会い、その日から土岐先生の患者になりました。カニューレを交換して貰い、呼吸リハビリに加え、言語のリハビリ、作業療法(OT)、運動療法(PT)のスケジュールを立てる事になりました。言語のリハビリでは、カフを入れて「あいうえお」順の発声練習を30分するのですが、呼吸器の酸素を送り出すタイミングが合わず、苛立って投げやりになっていました。横隔膜を拡げて呼吸することが難しくて、呼吸困難に何回もなって何日か休みました。カニューレを小さくする度に計測していたら、痰の量が減っているのがわかりました。PTのリハビリの効果もあるせいか、肺活量も330tまで増えていました。間にはOTでパソコンの練習を行い、操作はアームの先端にトラックボールが付いていて、頬または唇でトラックボールを動かすので、首を動かす訓練にもなりました。パソコン初心者の自分には難しかったですが、退院後に友人とメールをする約束をしていたので、頑張って覚えました。
12月中旬に土岐先生から「関係者会議を行います」と言われました。その日がやって来て、病室に関係者が集まって土岐先生が「一生身体は動きません。人工呼吸器が外れる事はないでしょう」と告知された時、親の顔も見られなくて天井に目をやりました。なんとなくそんな気もしていたせいか、落ち込むのがバカらしくなり開き直っていました。「身体は動かなくても喋れたら相手に伝わるし」と気持ちを入れ替えました。その後、カニューレのカフを入れ、約半年間も自分の声を聞いていなかったので、忘れかけていた自分の声に懐かしさを感じました。単語が話せるまでになり、親と喜びを分け合いました。それから、口から栄養を摂取するための訓練が始まり、誤飲に気を付けながら一ヶ月後に食事が出来るようになりました。おかげで体重も増えて貧血もなくなり、体調も良く、声も大きくなりました。「あとは散歩ができたら」と目標を立て、我慢の日々が続きました。
年明けの平成18年1月、新年を迎えて土岐先生に「同じ頸損の人に会って話しませんか?その人も人工呼吸器で生活していて、凄く活動的でこれからの生き方にアドバイスしてくれますよ」と会うように勧められました。退院してからの生活をすることに、いろんな事を教えて貰えれば不安も少し減るので、会う約束をして頂きました。1月中旬に池田さんと出会い、沢山のアドバイスしてくれて両親も僕も安心して話ができました。池田さんの第一印象は、「目が力強くて凄く前向きで、毎日を楽しんでいる人だなぁ〜」と思い、障害者と感じませんでした。池田さんの今までの体験談を聞いていて、数々の苦労してきた話には驚かされました。経験して初めて分かる事の大事さは、今後に凄く役立ちます。それから2月に入り、もう一度、池田さんと会う約束をしました。その間にカニューレを更に交換して肺活量を計測すると、350tと今回は少しだけ上がっていました。数日後に池田さんと会い、「退院後は自分の好きなことをやって楽しんで下さい」と応援してもらい、勇気をくれました。
2月下旬に近づき、土岐先生からある提案を出されました。「衛生面や生活面で気管切開のままでは、吸引が欠かせないのでカニューレの離脱を考えています。今後の事を想定し、自発呼吸の訓練を始めます」と、急な展開に不安になりました。聞けば関西労災でカニューレを離脱した患者はおらず、自分が「第1号?」となることに、戸惑いを隠せませんでした。まずはカニューレに栓をして呼吸が出来るか試して、何分自発呼吸する時間を計りました。2分も経たずして酸欠状態になり、休憩して再チャレンジするも2分が限界でした。夜に土岐先生の空き時間を頂いて、体調に合わせて訓練を続け、時間も5分、10分と伸びてきました。土岐先生の提案には有無を言わさない確信がありそうな自信が、「やればできる」と、この頃から感じ始めました。
3月に入り、いよいよカニューレを離脱する日が14日に決まりました。二週間後には、マウスピースか鼻マスクになるため、両方の訓練を土岐先生の立ち会いで行いました。まずは鼻マスクで練習してみたら、酸素の送量の圧が掛かり、鼻が痛くて呼吸ができませんでした。10分位練習して少し呼吸できたところで調子が悪くなり、後日に練習する事になりました。それから数日後に「鼻マスクで寝る練習もして下さい」と言われたので、ナースコールですぐ呼べるように、看護師に調整してもらいました。我慢が出来るまで装着するのですが、そう簡単には寝られず、1時間もすれば鼻の周りが痛くて外しました。慣れていないせいで、焦りつつ一時苛立っていました。自分が乗り越えて行くことに、みんな期待しているので断念はできませんでした。鼻マスクで練習して何とか寝られるまでになり、今度はマウスピースの練習をしました。マウスピースの方は思ったより早く慣れたので、昼間に使用することに決めました。
3月14日、ようやく気管切開から約10ヶ月近くも喉の中に入っていたカニューレが離脱しました。何か不思議な気持ちで思わず泣いてしまいました。「2、3日すれば喉の穴も閉じますから」と土岐先生に言われ、2日後には閉じていました。あまりに早い回復で正直驚きました。それからシャワーを浴びたのですが、以前までは喉に水を掛けられなかったのでタオルを被せていました。でも今回からは気にせず洗えるので、凄く気持ちよかったです。その後も順調で、痰の量が極端に減り、いつしか自分で痰を吐き出せるまでになりました。ここまでになることが出来たのは、諦めない事が大事と痛感しました。
退院に向け、いろんな準備が始まりました。肺活量も400tと自分ではあまり納得が出来ない数字でした。4月9日に、土岐先生達と武庫川へ桜を見に初外出しました。あいにくこの日は黄砂があり、風で視界が悪かったのですが、何とか桜が見られたので良い思い出になりました。そして平成18年4月18日、約11ヶ月の入院生活を終えて退院。
久しぶりの自宅へ戻り、一部部屋の改造もあり周りを探索していました。30分位してから、今後もお世話になる在宅医療関係の方々と面談し、受傷後の新生活が始まりました。
とりあえず自分の心の中では、「1年間は生活のリズムを覚えるためゆっくり休養」と決めていました。両親と同居することもあり、少しでも負担を減らさないと長い間苦労掛けるので‥この頃は、行く行くは一人暮らしが出来るように努力するのが一番の目標でした。でもそれまで生活していれば、状況によって新たな目標が出てきます。夏の8月頃まで、散歩さえ意識していなかったのに急に外出したい気持ちが強くなりました。一度チャレンジを試みましたが、紫外線に負けてやむを得なく断念しました。こんなに弱い身体にショックを受けましたが「来年は頑張って外出する」と目標を立てました。
自宅へ戻り1年以上が経ち、リハビリも順調に行ってきました。毎月の定期受診で、土岐先生に舌咽頭呼吸療法のやり方を教わり、さっそく試しましたが小刻みに酸素を取り込めなくて疲れました。その後リハビリの時に、なるべく練習するようにしました。毎日ではないのですが間に自分で時計を見ながら、自発呼吸の訓練を15分やる時もあります。そのお陰でマウスピースが少しの時間はずれても慌てなくなりました。人工呼吸器利用者で一番不安になる時は、器械のトラブルやバッテリーの問題があると思います。外出の時には、回路のホースやゴムチューブが外れたり破けたりする事も考えられます。必ずしも安全とは言えないのが困りますが‥その他にも問題点があると思います。
舌咽頭呼吸のやり方は、その方に合うやり方で訓練するのが良いと思います。
いろんな事をしていれば、呼吸の訓練になり自発呼吸になります。新たに目標を立てるなら、「自発呼吸がもっと長い時間できるようになりたい」かな。
僕が経験してきたことはほんの一例ですが…。まだまだ同じ内容で、チャレンジしている人や知らない人も多い中、一人でも多くの人にこういった呼吸療法が伝わればと願います。
人工呼吸器との付き合いは14年になります。すっかりトレードマークとなりつつある人工呼吸器ですが、外せるものなら今すぐにでも外し、感謝しつつも早急にリース会社に引き取ってもらいたい、そんな心境です。人工呼吸器は重たいですし、かさばります(もっとコンパクトで軽量のものもあります)。何より胸から直接気管に管を差し込んでいるので、介護を受ける際ですら行動に制限を受けます。バッテリーや痰を吸引する吸引機、それらのメンテナンスや緊急時の対応、隔週での管の交換などの管理。そして気管切開のため常時傷口が開いているためMRSAの問題や抵抗力の低下など心配事が絶えません。
そのようなわけですから、人工呼吸器を使っている人間にとって離脱(一般的には人工呼吸器の使用をやめて自力での呼吸を取り戻すことを指します。)は悲願だと言っても過言ではないでしょう。しかし、そのためのリハビリを行える施設は日本でも数えられるほどしかなく、身体的には離脱の可能性のある人がいたとしてもリハビリを受けられず、人工呼吸器の使用が長期化し、自発呼吸の仕方すら忘れてしまうケースも少なくないのです。長らく頸髄損傷患者に合ったリハビリ方法はないのか、あちこちにアンテナを張りめぐらせてきましたが物理的に可能なもの、確実に回復の可能性のあるものはなかなかありません。先ごろに始まった大阪大学での鼻の神経細胞を使った治療法の開発と今後の臨床試験の結果に期待はしながらも成果が出るまで数年はかかるでしょう。そのような状況ですから、しばらくリハビリのことは忘れていました。
6月初め、明石の生涯学習センターで行われた市民公開講座「人工呼吸器使用者の自立」に参加したときのことです。地域で生活されている人工呼吸器を利用している方々がどのような暮らしぶりをしているのか、参考になりそうなことはないかと思い参加したのですが、運悪く人工呼吸器の内蔵バッテリーの劣化が進んでいたらしく、少し遅れての参加となってしまいました。会場に入ると数多くの人工呼吸器が目に飛び込んできました。呼吸器を見慣れていても異様な光景。中でも異彩を放っていたのが上から吊り下ろしているマウスピースのようなものに時々喰いついている男性の姿でした。あれは一体何をしているのだろう?頭の中に浮かんだ疑問は講座後半のバッグ先生の講演が始まるとすぐに解けました。それは舌咽頭呼吸という呼吸法でした。とりあえず条件はクリアしている、これはぜひとも試してみたい。会場に残って情報収集をしたかったのですが、呼吸器のバッテリーのことがあったのでこの日は泣く泣く断念。家に帰ってから頚損連絡会に早速メールを書きました。すると先ほどの男性は舌咽頭呼吸の練習を始めて1年ほどの米田さんという方で、関西労災で土岐先生の指導のもと、訓練に励んでいるということを知ります。不躾ながら、とはいえ、これしか方法がないのでメールを送らせてもらい、お話を伺うことができました。米田さんからはこれまでの経過や具体的な練習の方法など話を聞くことができ、舌咽頭呼吸への意欲を強める一方、土岐先生には家族の者に電話で連絡をとってもらったところ「とりあえず診ていないと詳しいことは言えない」とのことで7月20日、尼崎の関西労災まで外来での診察に出かけることになります。
結果としてはやってやれないことはないようですが、舌咽頭呼吸練習のための前準備として、胸の切開部は閉じて鼻マスクをつけなげればならないとのことでした。もし希望するのなら呼吸に直結するだけに、入院して鼻マスクに移行していくことになります。しかし、入院期間は最低2ヶ月くらい、24時間の監視は病院側では完全には対応できないので、こちらで人をつけなければなりません。2週間程度ならともかく、2ヶ月ともなると、もともと慢性的な介護人不足のわが家にとってかなり高いハードルです。ではどうするか、今のところ目途は立っていませんが、前向きに検討したいと思っています。
とりあえず、来週もまた関西労災病院まで鼻マスクを試しに行ってきます。
(執筆時)
肺活量を増やすために、患者さん自身が自ら行う呼吸方法です。横隔膜をはじめとするお腹の筋肉ではなく、食べ物を飲み込むときに使う口・舌・喉の筋肉を使って、口に貯めた空気を肺のほうに送り込む方法です。この方法を10〜20回続けて行い、空気を肺へ送り込み、まとめて吐きます。
第一段階:舌と下顎を下げ、口腔と喉頭一杯に空気を吸います。
第二段階:口を閉じて、軟口蓋を挙上して空気をとらえます。
第三段階:下顎・舌などの口腔下部、喉頭を挙上する。
同時に舌を動かして、空気を喉頭から気管へ押し込みます。
第四段階:出来るだけ多量の空気を押し込んだ後、喉頭蓋を閉じます。
これを10〜20回繰り返し、空気を吐き出します。
一回につき60ml〜200mlの空気を肺へ送り込むことができます。
非侵襲的人工呼吸療法ケアマニュアル〜神経筋疾患のための〜
石川悠加編著 日本プランニングセンター 2004
市民公開講座を開催するにあたって、実行委員を中心に意見交換する場としてメーリングリストを開設しました。このメーリングリスト上で講座終了後に吉田憲司さんと米田進一さんとの間で舌咽頭呼吸についての質疑応答がありましたので、ご紹介します。
先日の明石の市民公開講座では久々の外出のためか、人工呼吸器のバッテリー不調のため、顔を出した程度で引き上げてしまったのですが、少しだけ聞くことができたバック先生の講演で"舌咽頭呼吸"のようなことを言っていたようなことを記憶してます。
・しゃべれる。
・燕下ができる。
その2つができていれば気管切開の必要はない、というようなことを言っていたように記憶しているのですが…。訪問看護に来ていた看護婦さんにこの話を振ったところ、面白そうな話ということで往診してくれる呼吸リハビリはないものか探してみてくれるということになりました。そういうのってどなたか聞いたことはありませんか?
関西労災病院で、気管切開からマウスピースの切り替え第1号となって1年以上経ちました。最初はマウスピースで呼吸するタイミングが難しく、マスターするまで時間がかかります。自発呼吸も20分しかできないので、まだマウスピースなしでは喋れません。僕も舌咽頭呼吸を練習していますが、まだまだですね(^_^;) 体調が良好な時にでも頑張れば効果が現れます。頑張って下さい。
なるほど、興味深い話です。
米田さんのマウスピースでの呼吸を見せてもらっていたので、舌咽頭呼吸という新しい言葉を聞いたときでもなんとなくイメージすることができました。マウスピースでの呼吸は慣れるまではたから見ていてもきついと思われますが、それだけに効果も期待できそうですね。それに気管切開をしなくて済む、その1点だけでも風邪や肺炎の可能性が低くなるでしょうから、これらのリスクを回避できるのであれば大きな改善になると思います。
呼吸リハビリの往診の件は今のところ連絡待ちですが、よい返事があればと期待しています。電話が使えるようになればなぁ…というのが希望です。
気管切開とマウスピースでは、衛生面で大きく変わってきます。気管切開では痰の吸引、カニューレ交換、傷口の消毒など…。マウスピースではその必要はありません。時間はかかりますが、希望を持った方がいいと思います。
そうですね。
それに
・吸引の必要がなくなる。
・呼吸器が外れる心配がなくなる。
(マウスピースが所定の位置から大きく外れてしまう事態があるのかどうかは分かりませんが…)
この2つの条件をクリアできたら夜間の吸引や24時間の見守りも必要なくなるのではと思うのですが、どうでしょう?できるリハビリがあるのでしたら、それだけで希望です。
ところで、お願いがあるのですが、もし具体的に呼吸リハビリの往診が可能になったとしても舌咽頭呼吸について知っているスタッフは皆無だと思います。ですので、米田さんのように実際に舌咽頭呼吸されている方がいるのならお話を聞きたいということになるでしょう。その際にうちから電話なりメールなりで舌咽頭呼吸について聞かせていただいてもよろしいでしょうか?ご迷惑でしょうが、ご検討願えませんか?
マウスピースが所定の位置から大きく外れてしまう事態は「ない」とは言えません。マウスピースに付属してアーム(固定器具)を使用して、呼吸器のホースに添え付けて微調整しなければなりません。マウスピースが自分に合わないと思われる事も想定して、鼻マスクも一つの案ですし…。僕は寝るとき鼻マスクを装着して寝ます。寝るときや誰か近くにいなくなる場合は、呼び出しコールを付けて見守りを減らしています。呼び出しコールにも種類があり、音、声、息で切り替えが出来るので安心できます。少しの時間でも進歩するのでは…。舌咽頭呼吸のリハビリにも成果が早い人、遅い人がそれぞれ違うみたいですが、僕も二ヶ月で肺活量が400t→840tに上がりました。少しでも練習する事が大事ですね(^_^;) あまり役に立てませんが、吉田さんに頑張ってもらえるなら光栄です。最近は色鉛筆を口にくわえて塗り絵の練習をしています。
完全に見守りをなくせるというわけではないのですね。それでも家族の者が近所に買い物に行ったりするくらいはできそうですね。それだけでも家族ともども精神的な負担はかなり楽になります。2年くらい前から夜寝るときマウスピースをつけているので、とくに抵抗はないと思います。夜中にかみしめているらしく、前歯のほうがすり減ってしまいました。
たった2ヶ月でそれだけの成果が上がるというのは驚異的です。今まで聞いてきた話の中で最も進歩的な話です。訪問看護の看護師の方が忙しいらしく、早く話を進めたいのになかなか連絡が取れません。1日2日でどうこうなるものではないでしょうが、じれったいです。
見守りに少しの時間でも負担が軽減すれば心も和らぎます。僕も以前から思っていた事で、最近一人の時間が増えました。親と生活して負担がかかるので、顔を見るのが辛いときもあります。自発呼吸が少しでも出来れば、1分でも多く見守りから離れられそうだし、努力に無駄はありません。
以前に言っていた訪問看護の看護師さんと連絡が取れまして、あちらも豊中の刀根山病院からの返事待ちとのことでした。関西労災ですでに舌咽頭呼吸の訓練をされている方もいると伝えたところ、こちらのスタッフと先方のスタッフとで連絡をとりながら話を進めていくとのことでしたから一度うちの方から土岐先生にメールか電話で連絡をさせてもらおうと思っていますが…。
土岐先生も協力して頂けると思います。僕が知っている人も気管から外れて、自発呼吸を1時間以上も続き、声も出せる人です。その人は僕より後に退院して頑張ってたので、僕も改めて頑張る気になりました。
前例があると後から続く人がどれほど楽になるか。ここまで道をつくってくれた米田さんや知り合いの方、そして訓練をサポートしてくれたスタッフの方々には感謝しています。うちのケースも後の人のよい参考となる成功になればと願うばかりです。これから訓練のための体制作りなわけですが、しばらくはあちこちに連絡をとりながら返事待ちになりそうです。
訓練は予想以上にきついと思われますが、頑張って下さいね。僕もリハビリでいろいろ工夫をしてみます。
土岐先生と連絡がつきました。とりあえずは関西労災病院まで行ってみるということになりました。家の、人手の、車の都合で7月20日の金曜日を予定しています。関西労災も尼崎のICを降りて直ぐですので、時間帯を間違えなければ30−40分程度で行けそうなのでラッキーでした。とりあえず行ってきます。米田さんは舌咽頭呼吸の訓練ではどのくらい頻度で通院されているのでしょう?うちの場合は人手の関係で2週間に1度ぐらいまでなら何とかなりそうかなんですが、それ以上となると少しきついです。そういうボランティアもそろそろ必要かな?
舌咽頭呼吸の訓練は毎週火曜日、金曜日で自宅に訪問リハビリの時、約30分位しています。間では、たまに自発呼吸も訓練したり、体調に合わせてメニューを変えています。独自で吹き戻しの訓練に燃えています(笑)。通院は毎月一度行ってます。
訓練はそういう感じですか。慣れるまでは1日に何時間もやらなくてはいけないのだろうかと内心ビクビクしていました。一日中呼吸に終始して他の作業ができなかったら困るな…とか思っていたのですが、考え過ぎですね。通院も月1度ぐらいなら何とかなりそうです。
舌咽頭呼吸の他に息を吐き出す訓練もしました。僕も入院中は気管切開でしたし、声どころか唾液さえ飲み込めなかった半年間を、昨日のように覚えています。看護師を呼ぶ際は、舌打ちでチッ、チッ、とか口に息を溜め込みオナラみたいにブゥ〜!って感じで呼んでました(^^;) 自分で時間調整すれば訓練にもなるでしょう。
関西労災病院に行ってきました。
土岐先生に診ていただきお話をうかがったところ、ハードルはかなり高いといった印象でした。受傷個所はCの4と5なんですが、首の動きや肩をすくめたときの動作、感覚範囲などから、やはり麻痺のレベルはC 1相当ということで肩で呼吸するのは難しいのと、マウスピースを使うにしてもそれを咥えに行くだけ首が動かせるのかが僕の場合、一番のポイントのようです。また、舌咽頭呼吸を試すにしても労災に入院して練習することが前提になるので、その場合の人手の確保などの問題もクリアするにはどうすればよいのか?マンパワーの課題も浮かび上がってきました。うちの希望としては在宅での舌咽頭呼吸の訓練なんですが、その前段階として、
気管切開から鼻マスクへの移行、そのための準備と移行期間を設ける
…があり、妹の産後でドタバタしているわが家には今すぐには対応ができないというのが今の状況のようです。まあ、一筋縄でいくとは思っていませんでしたが、とりあえず次回、来月の10日にもう一度行ってみて、鼻マスクがどういうものなのか試してみることになりました。現状で実行できるところから試してみます。
今回は2回目の通院、鼻マスクを試してみました。用意していただいた鼻マスクにアンビューバックを取り付けて手動で空気を鼻から肺に送り込むというものでしたが…。鼻マスクというだけに想像してたより大きい。(小さいものもあるそうです。)
思ったよりも簡単に準備は整いました。鼻マスクを押し付けるように固定してもらい、カニューレに蓋をしてアンビューバックを力強く押してもらったものの思ったよりも肺に空気は入りません。しかし、鼻を通り肺に空気が入る感じはそれほど違和感もなく自然な感じ。アンビューバックの圧力だけで肺に空気が入るのももっと硬いものかと思っていただけに意外といえば意外でした。土岐先生からはのどのあたりに変に力がはいっているようだ、と指摘されて気がつきました。たぶん、普段カニューレのカフを抜いた状態なので空気が抜けないように力を入れることが多く、そのクセが出ているかのではないかと思います。
現段階で改善すべき点は、
・鼻からの空気を吸い方を忘れている。
・気管に入っているカニューレの口径(8ミリ)が大きいようで空気が通る隙間が小さい。
…が挙げられます。
空気を吸い方は当日何度か試しているだけでも少し思い出したので、鼻マスクを試しているうちに思い出すものとしてカニューレの口径を6ミリ程度まで小さいものに変えていく必要があります。隔週の往診でカニューレを交換していますから、0.5ミリずつ小さいものに変えていくとしてこれから2ヶ月くらいかかります。素人考えをとしてはカニューレに穴を開けたらどうだろうと思ったりもします。大阪府立病院に入院しているときもっと声が出ないだろうかと主治医と一緒にそういうことをやったこともありました。懐かしいです。
そのようなわけで次回の通院は11月。気長に行きます。急性期からの続きで入院している間にやってしまえばもう少しスムーズに事が運んだと思うのでしょうが、私にとって14年も前の話です。そのころ鼻マスクとかいっても無理でしょうね。多分、入院は入院で、在宅は在宅なりに生活の場が移ってしまうと変えるのは難しい、改めてそう思ってしまいました。
(8月12日現在)