頸損だより2007秋(No.103) 2007年9月29日発送

「“自立”という言葉を知ってから…初心者です」


自立生活への取り組み

もう5ヶ月なのか、やっと5ヶ月なのか、どうにか一人暮らしをしている。私が始めて「自立」という言葉を知ったのは、1983年の日米障害者自立生活セミナーが大阪でも開催され、リハビリ病院を退院し、大阪で頚髄損傷者の会が産声をあげた頃でした。

すごい!アメリカでは重度の障害者が一人暮らしをしているんだと吃驚もし羨ましいと思ったのですが、現実の自分に照らせば夢のまた夢にしか過ぎないとの諦め境地で、自分とは掛け離れた感じであるなという話を聞いていました。

それから、年々「自立」という言葉をよく聞くようになり、大阪府立身障センターで一緒だった人たちの「一人暮らし始めました」という便り等を受けたりしていました。

私が自立への一歩を踏み出せなかったのは、自分自身に自信が無かったこと、経済的基盤である障害基礎年金が無かったこと、介護者探しの苦労を知っていたこと、家族の反対などでした。しかしながら、介護者(親)の高齢化等から、将来的には地域(一人)暮らしか施設暮らしを選択せざるをえない時期が必ず来る、それは常に意識していました。


無年金障害者の会の活動

今直ぐに「自立」ということではなくても、そういう方向で何かに取り組めないだろうかと、先ず取り掛かったのは、無年金状態から脱することであり、所得保障問題などの研究会やセミナーに参加し、情報を集め、自ら参加した「無年金障害者の会」の運動でした。

頚損会でも、所得保障の要望項目のひとつとして無年金者の問題が取り上げられていましたが、救済案としての「手当」を支給してもらえないかの段階であり、在日無年金障害者の方たちに対し、大阪市や神戸市が手当の支給を決定した時には、正直「先を越されてしまった」という無念さがあり、何で頚損者の中にも無年金者がいるだろうに「声を上げないんだ」というもどかしさを覚えたこともありました。


※ 学生無年金障害者訴訟は、国民皆年金を謳い国民年金制度(支給額に税金が1/3含まれている)を成立させたのに、学生を納付対象者から除外し、免除制度の無い任意加入制度に置き、その後の幾度もの改正時にも救済せず、無年金状態に留め置きしておいたことは憲法14条、25条に反するとして闘っている裁判であり、あくまで障害基礎年金の支給を求めている。


今考えれば、私自身も含め重度頚髄損傷者の中には、介護という壁、中途障害者であるという壁が大きく立ち阻んで、外に出て行くことや社会に目を向けるということに対して躊躇し諦めがあったと思う。現在では、バリアフリーやノーマライゼーションということから、ハード面ソフト面共に社会の理解度が増えて多少は外出しやすくなりました。


介護制度の変遷

介護も、公的なホームヘルパー派遣、全身性障害者介護人制度、支援費制度、障害者自立支援法と変遷し、問題はありますが他人介護を受け入れやすくなり、私自身も家族介護から、初めは着替えと車イス移乗だけでしたが、入浴介護を依頼し、外出介護を依頼、排便介護を依頼など、家族との軋轢も少しありましたが、段階的に他人介護を受け容れてきました。

支援費制度がスタートした時ぐらいから、Iさん初め幾人かの頚損の方が自立生活していると聞き、勇気ある決断に心中でエールし、私自身もいつかはと思いつつ焦らず衒わずおりました。その後、3件の学生無年金障害者訴訟での一審勝訴判決により「特別障害給付金」が支給となり、真に一人暮らしを考えるようになった。


新居での工夫

私が住居探しでポイントとしたことは、住み慣れた地域で現状の生活スタイルを維持できる場所、集合住宅の1〜2DKで玄関からベランダへ左右対称な間取りであり直で動けること、移動リフトや家電製品と引越並びにリフォーム費など予算内で収まる物件で探しました。

昨年末、機会があり現住のマンションに空室があることを知り、築年数は古いですが、福島区内で実家ともバス停3ヶ所間と近く、通院や買物等も至便であり、介護事業所も近いので決め、2DKの洋室(寝室)の出入口を広くし引き戸に替えてリフトを設置し、ベッドや車イス(電動と手動)を置き、浴室も引き戸に替えた。和室は箪笥家具等一切の置き場所でもあり、客間、ヘルパーの更衣場所としても利用している。

リフトは、明電興産鰍フ可搬式電動リフトを寝室(簡易アーチ)、風呂(湯ユニット)に設置し使用している。玄関が外開きドアの物件を探したが、予算の関係で中開きドアですが、スロープ等設置で十分使用出来ている。

介護事業所は、受給時間数の増加と介護者確保から、従前の1ヶ所から事前アプローチしていた4ヶ所に増やし、訪問看護を含め5ヶ所を利用している。大阪市の補装具と日常生活用具の助成制度で利用できるものは購入し、上下水道基本料やNHK受信料の減免、自炊等で遣り繰りしている。

私自身もC5完全麻痺の頚髄損傷者であり、衣服の着脱、排泄と入浴、寝返りや車イス移動など全介助であり、物を落としても拾えないし、失禁や起立性低血圧、健康不安もある。いろいろ心配事や気にかかること、苛立つこと、落ち込むことなど多々あるけれど、どこでラインを引くかによって、またあれやこれやと重箱の隅をつつくようなことで問題を探したり増やしたりせずに、「障害者やん、頚髄損傷者やん、車イスやん等」と、ある意味開き直って、最初の一歩が踏み出せた。

もちろん、重度障害者の一人暮らしに対して、親を初め周囲の人の反対や危惧感は多々あって四面楚歌状態でありましたが、全てのことに責任を負う覚悟を示して粘り強く説得しながら、準備も徐々に進めた。

まぁ、計画案通りには進まなかったけれど、「こうしたいんや!」と決心を押し通したからこそ今があるんだと思いますし、今後も悲喜交々のことがありえるだろう。また、先人(自立生活の先輩)の方々のお知恵をいただくときも必ずあるので、その節は宜しくご指導のほどお願い致します。


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