頸損だより2007秋(No.103) 2007年9月29日発送

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「あなたは人を裁けますか?」


先日、初めて女性専用車両に乗りました。駅員に誘導されるがままに乗車したらたまたまその車両が女性専用の時間帯だったので、気が付いた時にはすでにまわりは女性だらけ。男は僕と僕の介助者のAさんと頸損者のBさんのみ。ちょっと異様な光景でしたが、ここで女性専用車両の是非について語るつもりはまったくなく、ふと思ったのが「僕たちは男性扱いされてない!?」というちょっとした疑問でした。女性専用車両なのに障害者(と介助者)だけは乗車可能というのはある意味、逆差別のようにも思えますが、どうなんだろう…。障害があっても人間だから痴漢する可能性はゼロではないはずなんだけど、ま、そんなに難しく考えることではないか(笑)。いやいや、女性だらけの車両で万が一でも痴漢呼ばわりされては困るから、ここはきちんと線引きしてもらいたいところ。痴漢の冤罪について考えさせられる社会派のエンターテインメント作品が誕生しました。ある日突然痴漢の容疑で起訴された青年が無実を訴えて裁判所で闘うという周防正行監督の最新作「それでもボクはやってない」です。

一審で有罪判決を下された被告人が二審で逆転無罪を勝ち取ったという痴漢裁判の判決が掲載された新聞記事を見た監督がこの冤罪事件をモチーフにして日本の司法制度の問題点を告発するような内容になっていますが、僕にはまるで裁判員制度の導入に向けた政府広報のように思えてしまいました。映画としては正直イマイチというか映画じゃない感じ。これまで陽の当たらない世界(修行僧とか学生相撲とか社交ダンスなど)をコメディタッチで撮り続けてきた周防監督作品だけに「笑いのエンターテインメント」を期待してしまいますが、綿密に取材を重ねたであろう脚本は超シリアスな法廷劇で笑いの要素はほぼ完全に排除。日本の司法制度がいかに問題だらけで、「疑わしきは罰せず」とか「推定無罪」といった一般にもよく知られている言葉でさえも刑事裁判では起訴した検察と事情聴取をした警察の威信のために刑事は取り調べ調書を都合よく書き換えるし、検察官は最初から罪人扱いで無実を主張する被疑者の声に耳を傾けようとしない。冒頭で「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰すなかれ」という言葉が引用されますが、プライドが優先される日本の刑事裁判においてはまったく逆で、「疑わしきは有罪」であり、有罪率99.9%というのがリアルな現実。つまり、電車内であれプラットホームであれ、「この人痴漢です!」と手を掴まれたらもう最期で、その後はどんなに「やってない!」と声高に無実を叫んでも一切聞き入れてもらえません。それどころか最初から有罪は確定的で、刑事はまるで流れ作業のように被疑者に容疑を認めさせて釈放するということに力を入れてます。ワケが解らぬまま留置場に拘留され、検察庁でカタチだけの取り調べが行われ、起訴となったら法廷で裁判官の判断に委ねられる…。途中でギブアップして容疑を認める自白をしたら交通違反と同じようなもんで数万円の罰金を支払うだけで身柄は釈放されるし、不起訴=長期に渡る裁判で争う必要もなくなるんで、その方が圧倒的に楽です。おまけに1日や2日程度の拘留なら家族にも友人にも会社にも知られることはないので、今の状況を「悪夢」と割り切ることもできるかもしれません。ただ、やってもいないことを「やった」と言わなくてはならないのは納得できませんが、たとえ不本意であっても「やりました」と認めるのが結果的に賢明な判断となるのが痴漢なんですよね。正義なんて信じていたら地獄の苦しみを味わうだけ。それでも自分の誇りを賭けて否認を続けていれば真実を法廷で争うことになりますが、法廷では自分が無実であることを自ら証明しなければなりません。ところが、痴漢裁判の場合は目撃者の証言以外に証拠を提出するのは極めて難しいんだけど、「この状況では物理的に痴漢行為はできない」ということを客観的事実を並べて立証するしかないんですね。一方的にあることないことで攻撃され続け、手も足も出ないまま検察のリードで迎えた9回裏ツーアウト、この絶対絶命で敗色濃厚の局面から一発逆転のサヨナラ満塁ホームランを放つ可能性のある目撃者の重要な証言でさえも、裁判官が「この被告人は無実である」という確信に至らなければほとんど役に立たないんだから、こうなるともうどんなに手を尽くしても刑事裁判で無罪を勝ち取ることは不可能に近い。これが日本の裁判制度のリアルな現実と思うとかなり怖いです。しかも、身動きができないくらい隙間のない満員電車(この作品の場合は乗車率250%)で痴漢呼ばわりされる可能性は男なら誰でもあり得ることだけに他人事ではないから、この状況を考えただけで背筋がゾっとしますよ。有罪率が99.9%という絶望的な状況下でも頑強に「やってない」と無実を主張できるかどうかは正直僕には自信はないんで、僕なら無実でも自白してしまうかもしれません。この作品は無実の主人公が有罪になるという理不尽な裁判制度に警鐘を鳴らすことが主目的だと思いますが、だからといって主人公の無実を殊更に主張するわけではなく、被害者や検察官、刑事、弁護士、被告人それぞれの立場を俯瞰で描いているから、「自分が無実の被告人だったら…」と考えさせられると同時に「自分がもし裁判員になったら…」という裁判員制度についても考えさせられます。この作品が裁判員制度のPRに思えてしまうのも、人を裁くのは人間であるという至極当たり前の現実に改めて直面させられてしまうからかな。そして、人が人を裁くことには限界があるというのもまた事実。公正中立というのは基本的にありえないかもしれません。


痴漢アカン!(by大阪市営地下鉄)

もちろん、痴漢行為は絶対に許されるわけがなく、司法の場で断罪されなければなりませんが、被害者が女子中学生というだけで被害者感情が優先され、中立性を失っているように思える部分もあるかな。確かに痴漢の犯人を「この人痴漢です」と現行犯で捕えることはとても勇気のいる行為だろうし、泣き寝入りしている女性が多いのも事実だと思うけど、その一方で少なからず無実の罪で逮捕される男がいるのも事実。「真実は神のみぞ知る」と言うけれど、自分は神に誓って「痴漢行為なんてしていない」という絶対的真実を断言できるはず。それでも法廷は明白な証拠がなければ「疑わしきは有罪」の世界なので、圧倒的に不利な状況に追い込まれてしまう…。こんな裁判制度だと冤罪はなくならないでしょうね。事実、最近も杜撰な捜査による誤認逮捕が判明しましたが、冤罪がなくなる仕組みではないだけに、逮捕されたら終わりです。法廷は真実を明らかにする場所ではなく、「有罪か無罪か」を決める場所だということを認識させられるし、自分が「罪を犯していない」という明白な証拠を用意しなければ検察の思うがままに進行し、裁判官は「被告が罪を犯したという確固たる証拠がなければ有罪にしてはいけない」という司法制度の大原則「推定無罪」を無視するから、有罪率が99.9%になってしまいます。そのうえ検察官も「起訴したら絶対に有罪にしてやる」「無罪になるのは自分たちの恥」と考えるから、刑事裁判では無罪なんて1000件に1件という途方もない数字になるんだよね。裁判官も無罪判決を下すと地方に左遷されてしまったり…。そんなリアルな現実を見せられるともう刑事裁判になったら有罪がほぼ確定的という覚悟が必要かもしれません。明日は我が身かもしれないので、満員電車では両手を上げるとか、近くに女性がいたら移動するか背中を向けるとかして自己防衛するしかないですね。


主文:この映画を裁判員制度の広報とする。

法廷場面だけでなく、留置場での生活とか取り調べ、最初から結論ありきで高圧的な態度をとる刑事とか検察官、重箱の隅をつつきながら細部に至るまで徹底的に被告人を追い詰める裁判官、まるで「羅生門」のように食い違う証言、重要な証拠は「不見当」として提出しない警察…。すべてが綿密な取材に基づいたリアルな作品だけに、そういう意味では面白かったけど、エンターテインメントとしては娯楽性がなさすぎかな。偽証罪があるのに平気で嘘をつく証言者もいるわけだし、裁判官に改めて「どうして?」と聞かれても、その場ではイチイチ考えて行動してないから、それで痴漢と疑われたらもうどうしようもないです。満員電車の車内の状況をハッキリと覚えていたらいたで「痴漢するつもりだからまわりの状況を確認していたんだろ」と指摘されるし、覚えていないならいないで自分の無実を証明する術がない。「この人痴漢です」と腕を掴まれた瞬間から「有罪」行きの列車に乗り込んだようなもんかな。


赤尾"映画中毒"広明

「それでもボクはやってない」(’07日本)
監督:周防正行(「Shall We ダンス?」「シコふんじゃった」ほか)
出演:加瀬亮、役所広司、瀬戸朝香、山本耕史、鈴木蘭々ほか
<ストーリー>
大事な就職の面接を控えた日の朝、大勢の通勤客に混じって満員電車に乗車したフリーターの金子徹平(加瀬亮)は目的地で降車した直後に女子中学生に「痴漢したでしょ!」と袖を捉まれて現行犯逮捕されてしまった。連行された警察署で「痴漢なんてやってない」と容疑を否認した彼は手錠をかけられ、そのまま留置場に拘留されるが、その後、取り調べを行った検察官によって起訴されてしまった。無実を主張する彼は身の潔白を証明するために法廷で争うことになるが…。(ビデオレンタル中)

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