みなさん、お待たせしました!今回の特集は、タコヤキボーイズ・地球の歩き方シリーズ第3弾〜韓国ソウル&コヤン編〜として、9月に開催されたDPI World Assembly in KOREA(DPI世界会議・韓国大会)への参加と現地当事者との交流の様子をこのツアーに参加したメンバーの手記を交え、タコヤキボーイズ三男坊−あなたの心の恋人−宮野がナビゲーターとして報告します。そうそう、今回のツアーにはタコヤキボーイズとどうしても地球を歩きたい!ということで、D(出羽さん)・N(西村さん)・A(赤尾さん)なる強力な遺伝子ユニットが注入され…いやいや加わってくれましたので、さらに進化した爆笑珍道中をお届けいたします。
●準備に抜かりナシ!
さて、タコヤキボーイズ(以下、TB)の旅といえば「行き当たりバッタリ」が定番です(威張って言うな)。DPI世界会議・韓国大会に参加することが決定し動きだしたのは、DPI日本会議が韓国大会ツアーの申込を締め切り、韓国大会開催の1ヶ月と少し前となった7月末のこと。しかしながら、そこは百戦錬磨のTB次男坊(鳥屋さん)と三男坊。行くと決めてからの情報収集と各手配に関しては抜かりありません。航空機や宿泊ホテルが確保できるかは運を天に任せて(笑)各準備を進めていきました。
今回も航空券の手配はTB御用達の親切旅行会社「H.I.S.バリアフリートラベルデスク」(URL:http://www.his-j.com/tyo/barrierfree/barrierfree_index.htm)に。ただ、今回焦ったのは障害当事者6名+介助者10名のTB史上初となる団体旅行であるため、全員分の座席を確保できるかハラハラしました。またホテルも現地の状況がわからないだけに、ドアの間口や段差等、本当に電動車いすで入ることができるのか?宿泊費についても韓国通貨単位のwon(ウォン)を円に換算するといくらになるのか?を現地の知り合いを通じて調べていくのに結構手間取りました。
DPI韓国事務局との連絡調整も時間のかかる作業でしたね。日本語ができるスタッフが応対してくれるのですが、本当に通じているのか?と思うくらいこちらの尋ねた内容と回答が違っていたり、やはり文化の違いからなのか回答が来るまでにやたらと時間がかかるなど、鳥屋さんも大変悩んでおりました(笑) 最終的には韓国事務局のご尽力により、空港からホテルへの移動、ホテルから世界会議会場への移動に関しては問題クリアとなりました、感謝です。H.I.S.での航空券も、全員のパスポート内容取りまとめと海外傷害保険の加入申込が完了し入金を終えたのは、出国10日前のことでした。もちろん全員同じ便です。
さぁ、それでは出発です!今回の旅の詳細およびスケジュールは以下の通り。
○DPI世界会議への参加 ○世界の障害当事者との交流 ○現地の障害当事者との交流 ○現在の韓国バリアフリー事情の調査(街や交通機関等のバリアフリー状況) ○初めての海外団体旅行体験 |
総勢16名(障害当事者6名、介助者8名、ボランティア2名) |
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関西空港では恒例のスッタモンダの問答が繰り広げられていました(笑) いつものようにH.I.S.を通じて「ひらそるシート(障害の程度、車いすの寸法・重量や航空機内での要望を書く書類)」の内容を伝えていたにもかかわらず、チェックカウンターでは「車いすの寸法と重量を教えてください。」と全員に質問がきました。さらに「ここで機内用車いすに乗り替えてください。」とまで。カチンときたので「全員搭乗ゲートまで自分の車いすで移動します。」と憮然として答える。加えて渡韓メンバーに「自分の電動車いすのことを詳しく確実に伝えてください。」とお願いしてようやく第1段階がクリア。
搭乗時間が近づき、ゲートで皆それなりに対応してもらっているのを見て安心したのも束の間、仁川空港の天候不順により到着時間が30分以上遅れるというアナウンスが…
揺れる航空機に不安を抑えながら仁川空港に到着。この珍道中、どうなるのかな…
さて、我々が参加するDPI世界会議に少し触れておきたいと思います。まずDPIとはDisabled Peoples' Internationalの略であり、日本語では「障害者インターナショナル」といいます。1981年、国際障害者年を機に、身体、知的、精神など、障害の種別を超えて自らの声をもって活動する障害当事者団体として設立され、「すべての障害者の機会均等」と「障害者組織の発展と支援による権利の獲得」を目的として活動する組織です。そしてDPI世界会議とは「障害者にとって重要な関心事であるテーマについて討議をするために開催しているものだそうです。(DPI日本会議HPより引用)
韓国大会にはDPI日本会議のメンバーもスタッフとして参加されていたので、受付や会場内で困ったことがあれば助けていただきました。DPI JAPANのスタッフには丁寧な対応をしていただき本当に感謝しています。
2007年9月5日から始まった「DPI世界会議・韓国大会」に兵庫、大阪両支部のメンバー6名と、介助者、ボランティアを含めた総勢16名が参加した。会場は高陽市に在るKINTEXという国際大会にふさわしい大きくて立派な建物である。私たちは二日目からの参加で初日の雰囲気はわからなかったが、後日聞くところによると受付を含む会場はかなり混雑していたようだ。
9月6日、朝7時30分ホテル発会場行きの直通バスに乗り1時間30分の移動時間。乗客は我々の他に台湾、パキスタンからの大会参加者ばかり。道中は皆さん熟睡されていてお疲れの様子。高速道路は通勤の車だろうかいっぱいで韓国が今発展している姿がうかがえる。車窓からは田の中に建てられたビニールハウスが波のように見える。種類はわからないが野菜が作られているとの事。会場に着くが時間が早いのか人影もまばら。誰か知っている人と出会わないかと建物の中をうろうろするが誰とも出会わない。朝食を取っていなかったのでどこかで食料調達をと思い見渡すと売店とカフェテリアがあり売店(ファ ミリーマート)でおにぎりとサンドイッチを買い食べているとどんどん人が増えてきた。各ホテルごとにバスが迎えに行っていたようだ。事務局の発表によると71カ国2700名の参加だそうだ。車椅子の人だけでなくあらゆる障害を持った人が集まっている。民族衣装の雰囲気から見てアフリカから来られているのだろうとなんとなくわかるが話しかける勇気と自信はない。ソウルCILのパク・チャノさんが発表するというので自立生活の分科会に参加した。他にも数名の方が発表されていた。発表者が日本に研修に来て学んだことを自国で実践しているという報告を聞き我々の生活が多くの人の手本となっていると思うと身が引き締まる思いがした。分科会を聞く頃には会場は参加者で埋め尽くされた。各国が出しているブースを見てまわると知る顔が見える。AJUの山田さん、三澤さん、今西さん、東京支部の今村さん、DPI日本会議の尾上さん、金さん、もっともっと出会ったかも知れない。外国で出会うと新鮮に感じるのは失礼なことだろうか。
私自身は韓国に行くのは2回目である。
1回目は兵庫県で全国大会を開催したときだ。韓国の頸損者を招待して現状を話してもらうといった企画で大会前に打合せで渡韓した。パク・チャノさんとはそのときお世話になったソウルCILの代表者だ。今回の渡韓は大会に招待した友人との再会も目的の一つ。再会は実現し楽しい一時を過ごすことが出来た。
外国に行き感じることは多い。言葉もその一つ。もっと話すことが出来たらいっぱい聞く事ができるのにと思う。そして日本の生活や環境とつい比べてしまう。歩道をオートバイがかなりのスピードで走る。もちろん韓国でも違反だそうだが通勤帯の混雑時は許してもらえるそうだ。横断歩道の信号はすべてではないが青に変わったとたんに点滅状態になりすぐ赤に変わる。車椅子では渡りきれない。日本では子供に青信号の点滅は渡ってはいけない、と教える。所変わればすべてが変わる。こういう事も現地に行かないとわからない。
今回はウォン高で円と交換しても余裕は無い。ホテルで交換するなら1万円が7万5千ウォン。2年前は1万円が9万8千ウォン、これでかなりのウォン高がわかる。しかし、日本でも円高だからといって日常の生活に大きな変化は見られないのと同じで、韓国でも国内では大きくは変化のない生活を送っているように見受けられる。
韓国といえばキムチと誰もが答えるだろう。そのとおりで、現地で食べるキムチはうまい。料理というものはそういう物だろう。と、いっぱしのツウになったようにうなずく。しかし、辛い。なかなか馴染めない。韓国人で辛いのが食べられない人はどうするのかと聞く。辛くない料理も有るよ、と、…愚問だった。
今回、DPIの世界大会ということで近くではあるが外国に行った。国際大会に参加するのも初めてのことであったが、各国で取り組まれている障害者施策にお国事情のある中で一つ一つクリアしながら問題解決をしているリーダーの発表を聞き、我々も問題解決に向って一歩一歩確実に取り組む必要があることを学ぶ良い機会だった。
第7回DPI世界会議韓国大会は「私たちの権利、私たちの条約、そして全ての人のために」をテーマに、世界中の障害当事者が熱心な討論を繰り広げられました。日本からも300名以上の参加者が集まり、分科会やILサミット、女性障害者サミット、日韓差別禁止法セミナーなどで活発な議論が交わされました。我々もIL関連の分科会に参加して世界の当事者の自立生活運動への取り組みや、各国の状況を聞く機会を得られたことは大きな収穫でした。近年、交通弱者移動便宜増進法なる交通バリアフリー法制定に続き、「障害者の差別禁止及び権利救済等に関する法律」という障害者差別禁止法を制定させた韓国の障害当事者が自国の開催とあって多数参加しており、初対面ながら多くの方と楽しくコミュニケーションができました。国連で障害者権利条約が採択されたこともあり、各国でも国内法の整備や批准に向け取り組んでいる様子がよく伝わり、日本も続きたいと強く感じることができた世界会議でした。(by宮野)
DPI韓国大会に参加するために4泊5日で韓国に行ってきました。僕には初めての海外旅行なので、参加すると決意するまでに数ヶ月要しましたし、参加すると決めてからもパスポートの取得やら何やらで正直気が重かったのですが、でも、結論を先にいうと参加してすごく良かったです。いや、参加しなければものすごく後悔していたでしょうね。そのくらい楽しくて感慨深い経験ができたもん。旅の最後に訪れた、あの悲劇さえなければ…。
いろいろあった韓国旅行の出来事から極私的ベスト3を挙げてみました。
韓国に到着して2日目はあいにくの雨で気温が18度ぐらいまで下がったんですが、そんなことは知らずに半袖のTシャツ1枚で会場に向かった僕は寒さのあまり現地で震えが止まらなくなりました。DPIのスタッフに片言の英語で毛布を借りて膝掛けにしましたが、焼け石に水。これが日本であればすぐに帰宅するところですが、異国の地ゆえに一人でホテルに帰るにも方法が分からず、寒さと闘いながら必死に耐えました。そして、ホテルに戻るなりすぐに暖房をつけて毛布をかぶって寝ましたが、20時頃だったかな。行動を共にする仲間から「そろそろご飯食べに行こか?」というお誘いが…。その頃には震えは治まってましたが、まだ2日目で先が長いのでここは無理をせず、大事をとってそのまま寝たんですね。ところが、僕にとって今回の旅の最大の楽しみ!?でもあった本場韓国のお肉料理がその日の夕食のメニューで、しかも、そのサムギョプサルがメチャメチャうまかったらしく、後で写真を見たら、これがまたみんなうまそうに頬張りながら食べてるんだ!写真に映る彼らの満面の笑みに一瞬殺意が…というのはもちろん冗談ですが、泣くに泣けないほど後悔したのは言うまでもありません。
僕たちが宿泊したホテルは韓国でも古い街らしく、歩道はデコボコだらけで歩車道の境界線は段差ばかり。あまりにバリアフルで体がしんどいから、日本と同じような感覚で車道を走ろうとしたんだけど、この車道がまた危険極まりなく、さすがは車優先社会だけあって車が猛スピードでビュンビュン飛ばしてるんですね。しかも、大型バスが路肩スレスレを走るもんだから、車道の端で待機していてもバスは容赦なく突っ込んできます。当然避けてくれるだろうと思っていたら大間違い。避けてくれそうにないようなスピードで向かって来るから、こちらから避けないとヤバイくらい。おまけに、青信号がビックリするほど短いので、大急ぎで渡らないと信号が切り替わった瞬間にすぐに動き出す車が一斉に突っ込んでくるんだ。せっかちな大阪人は信号無視にも慣れっこなのに、韓国ではちゃんと信号を守らないと車に轢かれるかもしれません(苦笑)。実際マジで轢かれそうになったもん(ふぅ)。そんな車道は命取りなので仕方なくデコボコの歩道を通りましたが、脳天までズンズンと響くような段差の強い衝撃と、体が左右に揺れるくらいの悪路のせいで首が痛くて痛くて、数日間ずっと泣きそうでした。
初めての海外旅行で不安材料はたくさんありましたが、体調を崩した以外は最終日まで万事順調…だったんです。関空に到着した後、しばしお別れしていた愛車と搭乗口でご対面した瞬間、「やっと家に帰れるー」という安堵感でホっとしたんですが、次の瞬間すぐに青ざめました。電源スイッチをオンにしてもまったく反応がないんです。ちゃんとケーブルを接続したのにまったく反応がないんです。何度か電源を入れ直してみてもまったく反応がないんです。携帯で車椅子業者に連絡して状況を伝え、言われるままに操作してみてもまったく反応がないんです。とりあえず帰国手続きを済ませてから航空会社の担当者と話し合いをしましたが、車椅子が動かないことにはどうにもならないので、結局、車椅子だけ関空に置いたまま僕は帰路につきました。19時30分には関空到着の予定が30分ほど遅れ、挙げ句は車椅子が故障で動かないという「まさか!」のアクシデントで帰宅が予定より1時間30分以上遅くなりましたが、安堵感はすぐに吹っ飛んで、代わりに疲れがどっと押し寄せて来るという悪夢のような想定外のオチ。これにはさすがに泣きましたが、それから数日間、修理が完了するまでまったく身動きが取れなくなったことが僕的には最大の痛手でした(失笑)。これが旅の疲れならまだ心地良かったんだろうけど、これからしばらく外出できなくなるという精神的なショックはメチャメチャ大きかったです。
ま、そんなハプニングもありましたが、様々な国の様々な人種、肌の色の人たちと数日間過ごせたのは貴重な経験ですし、韓国のバリアフリー状況を直に感じることができたのも収穫かな。71カ国2700名の人たちが同じ場所に集まる機会というのもそうそうないので、また僕の中で“旅欲”が覚醒しました。
「泣くに泣けない→泣きそう→泣く」で終わった4泊5日の韓国旅行でしたが、それでも「また行きたい」と思える楽しい旅でした。大好きなお肉をあまり食べる機会がなかったことが唯一心残りですが…。とにかく食物は「安いうまい辛い」の三拍子+真っ赤!次回はぜひ焼肉をたらふく食べたいところです(笑)。
9月5日から9日まで僕は韓国へ行ってきました。DPI世界会議の韓国大会が行われると知り行くことを決めました。しかし、結局会議には参加せず、観光旅行となりましたが。
僕は頚損になってからの海外旅行は二度目になります。一度目はハワイでしたが、すべて用意された状態で付いて行ったという感じでした。しかし今回は兵庫のメンバーと合同でチケットやホテルなどの手配をすることになりました。車椅子だけでも6台で付き添いもあわせると10数名になりました。チケットの手配やホテルの手配が一番大変だったと思います。それに韓国の仁川空港についてからホテルまでのリフト付きのタクシーなども。
韓国についてからは雨が降っており夜に到着したこともあって、タクシーに乗っていてもあまり景色は見えなかったです。しかし、韓国の道路事情は聞いていた以上に悪く車の中でもよく揺れました。しかし橋や横断歩道などは綺麗にライトアップされていました。ホテルに着きみんなで夜のご飯を近所で食べようとなり移動しましたが、僕は行く途中に横断歩道を渡ろうと歩道から車道の段差を降りたとき、段差がきつくてステップのボルトが片方折れてしまいました。とりあえず横断歩道を渡りましたが、代えのボルトなど持っていないし折れているボルトの破片も取ることができません。僕の付き添いできてくれた人に近くにコンビニがあるとのことでガムテープを買ってきてもらい、近くに落ちていた針金とで応急処置をしました。これでなんとか自走はできるようになりました。結局近くにあった店で晩のご飯は済ませました。
二日目は会議に参加するメンバーと観光するメンバーに別れて行動しました。しかし、この日も朝から雨が降っていたので建物の中で観光できるようなところを探し結局はタクシーでロッテ免税店に行きました。でも売ってるものが高いので買い物はしませんでした。昼はそのビルの中の食堂街でプルコギを食べました。とても量が多くおいしかったです。
夕方にはホテルへ戻りました。会議に参加したメンバーも帰ってきて夜のご飯を食べに行くとのことでしたが、僕はその日、ホテルに出前をとりました。韓国に行って食べたかったジャージャー麺とチャンポンにしました。量が多く二人で食べてもキツイくらいでした。
三日目は天気もよくなり、歩いて仁寺洞(インサドン)というところまでみんなで歩いていきました。しかし、道が悪くて車椅子で歩くのが大変でした。手動を押している人は特に大変そうでした。それに車道へ出ると車も遠慮なくスピードを出してるので怖かったです。仁寺洞に着いてから買い物を楽しみました。ここでお土産も買いました。途中でコーヒーを飲んで一服した後、帰りも歩いていきましたが途中で雲?宮(ウンヒョングン) という故宮があり立ち寄って見学もしました。その日の夜は韓国に住むメンバーの招待で大学路(テハンノ)という通りに行き、夜のご飯を一緒に食べました。とても楽しいひと時を送ることができました。
四日目は昼から、また違う韓国のメンバーと合流してお昼ご飯を食べました。そのあと昌徳宮(チャンドックン)という世界遺産に登録されている故宮を見学しました。土地はとても大きく自然も多いすばらしいところでした。しかし、道はやはりボコボコで上り下りが多かったですが(^_^;)
見終わった後は二手に別れて仁寺洞とホテルへ帰るメンバーになりました。そして再び夕方になって合流して大学路に行き夕食にしました。僕はその後、仁川に住む韓国人の友達が大学路まで会いに来てくれたので、近くの駅まで迎えに行きました。そして初めての出会いに喜びながらビールを飲みました。
最終日は昼過ぎで自由時間があったので、タクシーで東大門市場に行きました。タクシーで5分ほど走ったら着いたので歩いて行ったらよかったと思いました。ここでも少しお土産を買いました。そして美味しいと噂のバナナ牛乳も飲みました。東大門市場からは歩いて帰ることにしました。歩いていると露店で売っている人がたくさんいました。見て回るだけで楽しかったです。ホテルに戻り、みんな集合して大型のリフト付きバス二台にみんな乗り込んで仁川空港へ向かいました。行く途中、道が混んでおり韓川をゆっくり見ながら行くことができました。空港でも待ち合わせしている人と会うことができました。この人もメールやチャットでしか話したことがなかったので、会えてとてもうれしかったです。搭乗手続きを終えて飛行機に乗り、離陸予定時刻より遅れて関空へ向かいました。
今回の韓国旅行を一言でまとめると「とても疲れた!」ですね。…といっても別に悪い意味ではありません。日本で準備万端と思っていても、実際に行ってみないとわからないことも多かったし、順調にことが運ぶとは限りませんでした。天候はもちろん、思いがけないトラブルにも巻き込まれる可能性もありましたしね。しかし、念願の韓国に行けた事や韓国の障害のあるメンバー達とも出会えたので、とても意義ある旅でした。今回の旅先の出来事を次にいかして、再び新たな旅に出たいと思います。
「DPI世界会議が韓国で開催されるので参加してみませんか?」とお誘いいただいた時、「介助者が見つかりさえすれば是非とも参加させていただきます」と韓流ドラマの大ファンの私は二つ返事で参加する事にしました。
それは秘かに夢を描いていたからかもしれません。例えば有名な「冬のソナタ」のロケ地に行けばヨン様に逢えるかも?とか、「チャングムの誓い」の宮殿に行けば誰か俳優に逢えるかも?また何処か街路で……等々。僅かな期待を抱いたからです。そんなこんなと浮き立つ心のうちに仁川(インチョン)国際空港に到着しました。そこで私がまず目を見張ったのは、いろんな国の人々が行き交い、韓国の若い男女がドラマに出て来る人達と同様に美しい事でした。向かうホテル迄の道筋でも高いビル、煌くネオンサイン、韓国を閉鎖的な国と思っていた私のイメージは、国際的な明るい国と一変しました。
そしてわくわくしながらBIWONホテルへ着き、次の日からの日程を計画中、事が起こりました。私の足そのものの電動式車椅子にアクシデントが生じ、「ああっ、これから四日間ホテル監禁か?折角、頼んで来ていただいた介助者の方にも申し訳ないなぁ」と一抹の不安が過りました。
ところがその夜の内に同行した心強い仲間とソウルCILの人達との連携プレーのもとに手動式車椅子をソウルCILから借りられる事になり、皆様への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
御陰様でドラマ「チャングムの誓い」の中の宮殿(昌徳宮:チャンドックン)を見学すると言う念願が果たせました。また買い物に行った市場(仁寺洞:インサドン)で昼食を摂ろうとした時のことですが、お酒を飲みながらのんびり食事をしていたおじさん達が席を広く確保してくださったり、取り皿を余分にもらって下さったり自分達が食べている物を味見する様に下さったり、言葉は通じなかったけれどニコニコしながらまるで大阪のおっちゃんおばちゃんを思い出す様な世話をして下さったのには国境を越えた人の心の温かさを感じました。まだまだ書けば尽きませんが…。
DPI世界会議の名のもとに私の人生の1ページに綴る事が出来た感慨無量の有意義な旅をさせていただきました。重ねて感謝致します。ピア・カウンセラーとしてクライアントとセッションをする時、私は良く「一人じゃないのよ。仲間が沢山いるよ」と言って来ましたがまさにこの度は身を以って世界に心を一つにする仲間がいることを経験しましたので、確信を持ってこれからも語り告げて行きたいと思いました。
末筆にはなりましたが、懸命に介助してくださった介助者の皆様方へも心から感謝を致します。本当にありがとうございました。
DPI世界会議には計2日間参加しました。参加1日目は雨と寒さに苦しめられ、頸損にとっては過酷な一日でしたが、2日目はうって変わって日差しがジリジリと痛いくらいの晴天に恵まれました。やはり雨男は、世界会議参加前日の朝3時まで宮野の部屋で人の安眠を妨げた挙げ句、当日会場まで運んでくれるシャトルバスに乗り遅れたTB次男坊であったことが証明されましたね。
わずか2日間の参加ではあったけれど、様々な国の様々な障害当事者に出会えたことは貴重な経験となりました。雰囲気を味わうだけでも十分意味はあったと思いますが、今回の旅を通訳ボランティアとしてサポートしてくれたキム・インホさん、また同じボランティアとして参加してくれた穏土史佳さんも持ち前の英語力で通訳をしてくれたおかげで、予想以上にコミュニケーションも成り立ちました。なによりも“つながり”が広がることを目的としている我々にとっては強力な援護射撃となりましたね。
また、会場では全国総会・兵庫大会の時にお世話になったキム・ジュンウさん、キム・ヒョンシンさん、大野真理さん(パク・チャノさんの奥さん)に出会うことができ、近況を報告し合うという嬉しい場面もありました。
日本を離れた地で顔を会わせば笑顔が自然とこぼれる仲間がいるっていうのは嬉しいことですよね。活動を通じて知り合ったにせよ、あらためて出会いの大切さを知ることができました。そして、普段、外国の方と顔を会わすと気恥ずかしさで何も話せなくなりますが、世界会議の会場では“障害”という共通の課題を持った人たちばかりであるので、言葉が話せる話せないに関係なく、気兼ねなくお互いが歩み寄ろうとする風景をいくつも見ました。まさに障害こそがコミュニケーションであるということですね。みんな笑顔で挨拶を交わす、心地良い時間を過ごすことができました。こういう“つながり”ができるから地球を歩き回ることは楽しいのでしょうね。
自立生活資源センター「Dew-To-Sea(露積成海:ノーゾックソング)」グループとの交流食事会も楽しいものでした。KINTEXを後に地下鉄ソウルメトロ4号線「恵化(ヘファ)」駅まで移動し、大学路(テハンノ)という大学生などでにぎわう通りにある居酒屋?で交流会をおこなったのですが、この大学路というところは日本でいうと「下北沢(これまたわかりにくい!)」のような小劇と食の街といったところでしょうか。韓国の若者食文化を体感するにはもってこいの場所でした(笑) センターのボスであるジュン・ジュンシクさん(通称:リトルプリンス)、ヒョンジョンさん、ミヨンさん、ミヨンさんの双子の妹チェ・ミンスさんらノーゾックソングのメンバーが本当に温かくもてなしてくれました。ちなみにノーゾックソングというのは「露が集まって海を成す」という言葉で、ゆっくり飽きたり怠けたりしないで何かをやりこなすという意味があるそうです。たしかにみなさん穏やかでそれでいて信念を持った強さが感じられる方たちばかりでした。
「TB行くところ宴あり」とはよく言ったもので、スンデポックム(豚の腸にもち米や春雨や豚の血などを詰めたものと野菜を炒めた料理)というチョー辛い料理をみんなでつつきながら眞露(ジンロ)を酌み交わせば、たちまち親旧(チング:長い付き合いの友だちのこと)に早変わり。西村さんの流暢なハングル通訳もあって和やかで笑いの絶えない宴となりました。ただ一人、待望の焼肉料理でなかったことが切なかった赤尾さんを除いては(笑)
ソウル4日目にして初めて全員揃っての観光をおこなった。この観光をサポートしてくれたのは兵庫大会でもお世話になったアン・ソンビンさんとキム・ジェホさんです。兵庫大会では三戸呂邸に宿泊したこともあり、ソンビンさんと三戸呂さんの再会シーンは感慨深いほどコテコテのものでした(笑)
まずは腹ごしらえにと、赤尾さん待望の肉料理サムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉)を目指して地元の大衆食堂へ。計8台の車いすの大移動でしたが、さすがにソウルの悪路に慣れた感じのTB feat. D・N・A。その中でもひときわ目を輝かせながら足取り軽く進んでいくのは、誰でもない赤尾隊長(笑) そんなに焦らなくてもお肉は逃げないって!店内では地元の人たちも驚くぐらい整然と並んでIt’s a launch time!! とにかく楽しい!韓国定番料理のサムギョプサルもソルロンタン(牛の肉・骨を長時間煮込んで作る、乳白色のシンプルなスープ)を頼むと卓上にはキムチや調味料や葉菜類の器がところ狭しと並ぶことになる。中でも危険なものが青唐辛子。これで3度目の対面となるが、TB介助陣は皆コイツにヒドイ目に遭わされている(笑) 警戒しているJAPANメンバーを尻目にソンビンさんとジェホさんは何もないような顔をしてポリポリと…二人が眩しく見えた…(笑)
さて、お腹を満たした後は昌徳宮(チャンドックン)の見学だ。障害者および介助者は一応無料ということ。時間帯が合っていたこともあり、1日4回あるという日本語ガイドツアーに参加することにした。昌徳宮はユネスコ世界文化遺産として登録されており、1405年に建設、文禄・慶長の役(1592〜1598)で豊臣秀吉の侵略によりソウルの全ての宮殿が焼失。光海君時代(1608〜1623)に再建され、最も長い期間実質的な朝鮮の正宮として使われていた、とガイドさんが説明してくれた。古宮や門などの瓦に三蔵法師一行がモチーフである獣人像が飾り付けされているとも教えてくれたので、その理由に興味を覚えたのですが、何故三蔵法師一行なのか?は説明してくれませんでした(笑)
昌徳宮内は車いすで見学できるようにスロープ等が設置されていますが、奥に進んでいくと勾配のキツイ舗装されていない坂が多々あります。TB一行も苦労しながら難所の数々をクリアする中、一人だけキレイなガイドさんにデレデレだったのは、紛れもない我らが赤尾隊長だったのです(笑) ↓証拠写真
仁政門(インジョンムン)や仁政殿(インジョンジョン)といった国の重要行事がおこなわれた歴史的建築物を堪能した後は、仁寺洞(インサドン)を散策し、その後大学路でブーニーさんと合流して夕食会をおこなった。参鶏湯(サンゲタン)は美味くテンションも上がったが、明日帰国することを考えると切なくも感じた夜だったのでした。
今回の旅では計3台の電動車いすが壊れるというハプニングもありましたが、16名のメンバーが誰一人体調を崩すことなく旅を終えることができたことに意味があったと思います。地下鉄やバスを利用して、確実に進化している韓国を感じることができ、どこへ行ってももてなしてくれる“人の情”というものに感謝する旅であったと思います。
最後に少しご紹介しておきたいのですが、今回シャワーチェアや電動リフトをレンタルするのに「ハンボッ財団」に大変お世話になりました。この財団は他にも旅のコーディネートや移動車両の手配等、韓国を旅行する際には何でも協力してくださると聞いています。日本語が話せるスタッフもいるので、もし韓国へ行くなら相談してみてはいかがでしょうか。きっと快適でペープルロヨ(お腹いっぱい)な旅が送れると思いますよ(笑) (by宮野)