頸損だより2007冬(No.104) 2007年12月22日発送

必殺!仕事人シリーズ(第24回)

「働く」形はいろいろ。働くなかに何が見え、生まれだすのか。

〜65歳にして現役
営業部長としてのこれまで、
そしてこれから〜

戸田 明


ベッドにもぐりこんで目をつぶると「戸田さん、長い間お世話になりました。まもなく60歳の定年を迎えます。お別れの挨拶に伺いました。」今日会社へ別れの挨拶に来られた人のことを思い出した。お得意先の方、仕入先の方、社員の方、ここ数年何人の人がこの挨拶に来られた事か‥。“そうだよなぁ。俺も65歳だもんな。“

長崎で事故に会い、友人の医者と社員に付き添われて長崎空港から伊丹空港へ、そこから救急車で大阪府立病院に入院そして手術、3ヶ月後、星が丘へ転院、あれから20年が経った。頚椎5番・6番の損傷、腰の骨を切って継ぎ足したとの事。初めは肩だけは動くが腕も指も動かなかった。もちろん肩から下はぜんぜんだった。医者からはアンコンプリートなのでこれから先の機能回復は神のみぞ知るとしかいえない、といわれ一縷の望みをこの言葉にかけたっけ。

受傷時45歳、40人ほどの会社の営業部長職に就いていた。家は3年前に買ったばかりでローンはたっぷり、妻はからだが丈夫でない、息子は中1、どうして生きていくか。今まで考えたこともない行く末、まずは今の収入を維持しなければ、その為には復職以外にない。会社は3階建の貸しビルなので改造は出来ない。車椅子で入れるか? 1階フロアだけで仕事が出来るか? トイレは近くの区民会館とスーパーで用を足せるか? 自宅は? PCや携帯、いやコピー機すらまだ普及してないし5枚複写のカーボン伝票の時代だった。何としても文字が書けるようにしなければ。左手握力0、右手握力8。筆圧がなく鉛筆はダメ、ペンがポトッと突然落ちる。ここからのリハビリだった。退院してから、妻が横に乗って南港地区で車の運転の練習。そして受傷1年後出社。するとあっちこっちに段差があるわ、駐車場が遠いわ、トイレの往復に1時間はかかるわ、7時に自宅を出て8時半に帰宅の毎日、クタクタになりますが、ここでねを上げると会社を辞めざるを得ない。それよりもビジネスはスピードが勝負の世界、はじめはそれなりに協力してくれてた社員も自分の仕事で精一杯、社内では片手で書類をめくりつつハンコを押せない。一枚づつポトッと落としたりしながら押す。束ねられない、クリップ止めが出来ない、書くスピードは遅い、よって部長のところで仕事が渋滞する。大事な商談に同行してあげられない。外に出ない営業部長なんて‥。部下は勿論のことお得意先・仕入先にも迷惑をかけてしまっている。その上、突然の痙性、失禁、失便、社内での転倒で大腿骨骨折人工股関節手術で3ヶ月入院。それぞれの人達の態度が微妙に変わってきている。このままでは辞めさせられるかも知れない。「障害者に愛の手を‥‥」ビジネスの世界では通らんわ。そうだ!コンピューターを導入しよう!コンピューターはよくわからんけど私の資料づくりやデーターが瞬時に出れば即断即決も出来るぞ。「伝票も手書きでなくなるし経営判断にも役立ちますよ」と社長を説得して導入した。まだ珍しかった携帯電話(セルラー社)も営業に持たせて営業報告を現場から報告させてライバル会社より早く指示を与えたりした。経費は随分と高くついたが効果は甚大だった。社員は「部長は中小企業なのに先取の精神があっていい事してくれるジャン、得意先でも自慢出来るシステムだ。座って怒鳴ってるだけじゃないんだ」と私の株が上がった。なんのなんの自分の首を守っただけのこと。そして結果良かっただけの事。

今でも営業活動は1日中徹底して電話を掛けまくること。会議は近くの区民センターを利用、数社で集まる業界会議はホテルで開いてもらい、いったん家に帰り妻にホテルまで車で送ってもらって会議をし、会食をしてまた迎えに来てもらっている。毎日クタクタ。火曜日と土曜日の夜に下剤をガバッと飲み翌日一日かけて排便。祝日だけしか家族と外に出れない。自分を守るため、ずるいこともやった。原価計算、販売価格の設定の独占。多くの得意先の重要人物に私名義で年6回、旬の果物を自宅に宅配させている。勿論地位保全の行為ばかりしているわけではない。業績として新製品の開発に力を入れた結果で4つの製品を会社の柱となる商品に育て上げ、利益の貢献に努めている。60歳の定年を迎えた時、専務取締役営業部長として引き続き仕事をするように言われ引き受けて今に至っている。

よく人から「戸田さんは、よく頑張ってるなぁ」と言われるけど、確かに40代50代は健常者に負けてなるものかと突っ張ってたけど今は自然体で生きている。何もセンムと言われながらも1級障害者でここまでやって来れたのは、やはり家族のおかげ、特に妻には感謝の一言。東京で知り合い「幸せにするよ」と言って大阪に連れてきたのに障害者の妻になるなんて。「だましやがって。だましやがって。このヤロウ。」と思っているだろうなぁ。そろそろ、老兵は死なず、ただ消え去るのみ。本当に障碍者にならないうちに仕事の方は卒業して、次の人生に入学しようと思っている。妻と二人楽しく‥ことわられたりして。



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