頸損だより2007冬(No.104) 2007年12月22日発送

ブレス・トゥ・ヴォイス -Breath to Voice-

− 「息」から「声」へ −     連載 第1回


今年、2007年6月9日明石において“人工呼吸器使用者の自立生活を実現するために“という市民公開講座を兵庫頸損連絡会で開催した。市民公開講座の終了後、その実行委員会が立ち上げていたメーリングリストの愛称が、”ブレス・トゥ・ヴォイス“となった。人工呼吸器使用者や高位頸髓損傷者など最重度の四肢麻痺者の自立生活を考え話し合い、情報を提供し実現していくためのメーリングリスト。ブレス・トゥ・ヴォイス(Breath to Voice)とは、息をするのもままならなかった人達が、声を上げ、大きな運動のうねりをつくっていきたいという願いから名付けられた。この市民公開講座に参加した人工呼吸器使用者は、その後何をめざし、どんな行動を取っていったのか。その後の動きを伝えていきたい。

【鳥屋利治】

●市民公開講座、開催までの約半年間

関西労災病院土岐先生からの話がきっかけとなって開催することになった市民公開講座。その市民公開講座の開催に向けて、私たち実行委員が何人もの人工呼吸器使用者を訪問した。結果的に、そこで出会った何人かの呼吸器使用者が市民公開講座のシンポジストとなった。


●市民公開講座を終えて、そこからが始まりである

大盛況の市民公開講座を終えて皆がホッとした。しかし、それで終わりなのではない。市民公開講座をきっかけにそこから始まるのである。講座で出会った呼吸器使用者同士が連絡しあい、連携しあって動きだした。


●呼吸器を使っていても、まずは街へ繰り出そう
■7月のとある土曜。神戸三宮のビアホールに4人の呼吸器使用者含む10数人が“炎の飲み会”を行った。今でも呼吸器使用者が飲み屋で普通に飲んでる姿をあまり見ないなか、4人もの呼吸器使用者がビアホールで飲んでる光景は圧巻だった。週末に飲みに行く、こんなあたりまえの行動さえ呼吸器使用者にとってはチャレンジでもあった。

■8月には“カラオケ大会”。以前から、どうしても思いっきり歌いたいという男がいた。呼吸器の池田英樹氏である。呼吸器を使いながら歌うのは難しい。呼吸器の呼吸に合わせて息を吐き、歌わなければいけないからだ。それでも歌うんだ!歌いたいんじゃ!の思いが行動を実現していく。呼吸器を使っているからといって、何もあきらめない。世の中のみんなが普通にやっていることを、ハナからあきらめずに、少しずつでもチャレンジしていく。

■その後、何度か行った“ボウリング大会”。自分の手で投げるだけがボウリングじゃあない。道具、投球台を工夫したり、介助者とペアになって互いのイキが合ってることを競うのもいい。とにかく何でもやってみることが大事なのである。写真左は大阪頸損・京都頸損の合同ボウリング大会。呼吸器使用者同士“炎のボウリング対決“。

■10月には“バーベキュー大会”。明石海峡の潮風に吹かれながら、呼吸器のバッテリーのことや日常のこと、いろんなことが呼吸器のメンバー同士で話しもできた。写真右。



呼吸器を使用して初めての外泊体験記

米田 進一

■頸損連絡会全国代表者会議大阪合宿参加のお誘い

今思えば、6月に市民公開講座に参加して以来、何かに外出の回数や範囲などが昨年より比べ、大きく進歩した自分に満足しています。行ける喜び、参加している実感は家の中では表れません。ボーリングやカラオケ、BBQや飲み会など目的があるから「行きたい」と思う気持ちが自分を動かしていると感じます。その中でも一番大変なのはカラオケでした。「歌を歌えるのか?」と不安でしたが、CDを聞いて口に合わせてテンポに付いていく練習をしたり、それが呼吸訓練になる良い勉強になりました。

このカラオケに参加した時も「楽しみたい」と思ったから行けたし、呼吸器があっても歌えるのは自分でも驚きました。息継ぎのタイミングに歌うのは決して簡単には出来なかったし、辛くても達成したくて歌えた達成感は凄く嬉しいです。カラオケが終わり解散する前に「合宿に参加しませんか?」と言われた時は、正直戸惑いを隠すことが出来ませんでした。退院して以来、外泊の経験もしていなかったので不安がありました。でもこういう機会は、この先、生きていく上で経験もしていればいろんな要所で難関を突破する良いタイミングでした。旅行など当分は考えてもなかったですし、家族も同じ思いだったかもしれません。この場では「行きます」と素直に返事が出来ませんでした。


■打ち明けと説得

家に帰り合宿の件を話すと、家族は「またいつでも行けるし慌てる事ないやろ?」と予想通りの返事が返ってきました。元々家族と自分の意見は正反対で何をするにしても「何処に何しに行くの?」「呼吸器があるから危ない」とか言われることが苦痛でした。親だから心配してくれている事は痛いほどよく分かっているのですが、それを当たり前のようにする自分が逃げている感じが嫌で「絶対に合宿に行くぞ」と説得を始めました。なかなか納得してもらえないので、最後の手段として、宮野事務局長に説得依頼をする事になり、数日後に家まで来て頂き、家族が納得するまで話をして頂きました。参加は両親同行で参加となり当日を迎えるだけとなりました。


■当日にハプニング

いよいよ大阪に向けて出発しました。介護タクシーでおよそ2時間位で現地に到着しましたが、その間、高速の出口を間違えたのですが「スムーズに行かないのも良い経験」と車内を和まして気を落ち着かせていました。少し緊張していたので誰か見つけるまで不安になりました。施設の部屋には会長がいらしたので気が楽になりました。数分後には大勢の方々がお越しになられ、新メンバーの僕は尚更緊張を隠せずにいました。会議が始まってからすぐに自己紹介となり、自分の番になったのですがはっきり言って覚えていません。夕食のため部屋に戻った時、「鼻マスクを忘れた」と母親に言われた時は「寝られない」の言葉しか思いませんでした。僕は就寝時の時だけ鼻マスクにしているので、マウスピースでは口が開くため諦めました。会議が終了して少し皆さんと会話した後、家族も疲れていたようなので先に部屋に戻りました。一応眠剤を飲んで寝るつもりでいましたが、やっぱり起きてて次の日を迎えました。う〜ん、これも良い経験なのかも‥


■これからの課題として

両親も自分も宿泊体験が出来たことに、凄く自信がついたのではと思います。人工呼吸器使用者の問題点と言いますと、バッテリー、ホースの亀裂、鼻マスクなど持ち込み物のチェックを外出前に「もう一度」していればと思い出すようになりました。人間ですから忘れることもあります。誰かに任せることばかりではなくて、自分のために行動するのであれば出来ることは自分でする事にしていきたいです。いずれは自立する事を目標としているのですが、全てのことにはまだまだ把握できていませんし、経験不足なことばかりです。でも、人工呼吸器使用者の人でも自立している人が沢山います。自分の人生ですから悔いのないように頑張ることも良い思い出になると信じています。障害があってもできることをこれからもチャレンジしていきたいですね。簡単に諦めずやってみてそれで成功すれば自信につながる喜びに変わります。呼吸器使用者の人の中にもまだ外出も未体験な人も沢山おられると思いますが、一歩の選択で人生が変わる人も多いでしょう。まず一歩から時間をかけて道を自分で進むのが大事です。人生は自分で決めるものです。何もしない人生より何かする人生の方が楽しいですから。



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