頸損だより2008夏(No.106) 2008年7月26日発送

ブレス・トゥ・ヴォイス -Breath to Voice-

− 「息」から「声」へ −     連載 第3回


昨年、2007年6月9日明石において“人工呼吸器使用者の自立生活を実現するために“という市民公開講座を兵庫頸損連絡会で開催した。市民公開講座の終了後、その実行委員会が立ち上げていたメーリングリストの愛称が、”ブレス・トゥ・ヴォイス“となった。人工呼吸器使用者や高位頸髓損傷者など最重度の四肢麻痺者の自立生活を考え話し合い、情報を提供し実現していくためのメーリングリスト。ブレス・トゥ・ヴォイス(Breath to Voice)とは、息をするのもままならなかった人達が、声を上げ、大きな運動のうねりをつくっていきたいという願いから名付けられた。この市民公開講座に参加した人工呼吸器を使用する仲間は、その後何をめざし、どんな行動を取っていったのか。その後の動きを伝えていく。

【鳥屋利治】

●受傷後はじめての宿泊を家族介護のもとで、昨年10月大阪府堺市の「ビッグ・アイ」にて全国頸損連絡会代表者会議の合宿という場で体験し、今度はその約3ヶ月後の12月、家族の付き添いでもなければヘルパーによる付き添いでもない、学生ボランティアのサポートで大分別府の旅にチャレンジした米田さん。今回はその別府行きまでの経過と、旅の様子をレポートする。

人工呼吸器使用者だってなんとか行けました〜

兵庫頸髄損傷者連絡会会員 米田 進一

◆「大分県へ行きましょうよ!」

11月下旬のある日、いつもの自分の時間にパソコンでメールチェックをしていた時、宮野事務局長から自宅へ来られるとの連絡が来ました。12月にする忘年会の話をするため、場所は皆さんが集まれそうな大阪ぐらいだろうと簡単に思っていました。数日後に自宅に宮野さんが来られ、世間話を終え本題へ‥「米田さん、大分へ行きましょうよ!」と。一瞬、聞き間違いかな?と思い、「大分って言いましたか?」と聞き直し、ハッキリ「大分です!」と言われました。自分は大阪で新年会をするものと思っていたので、日帰りだけ考えていました。大分県だと泊まりになるので、どうしようか悩みました。たぶん両親は「無理!」と言うか、「行けません」と言うだろうし、今回は断念するしかないと思いました。詳しく話を聞いていたら、「学生ボランティアさんを付き添いに考えている」とか。それも3、4人も手配済みらしく、さすがに抜かりなしと感じました。泊まりになるといろいろな準備があるので、僕も簡単には返事が出ず「行きたいのはいつでも思っていますが、練習でもしてもらえたら親も少しは納得すると思います。」と返事を濁す感じで返しました。確かに準備が大変と言うことはわかっていた。呼吸器のトラブルとかアーム(補助具)の設定、鼻マスクの付け方、着替え等、結構大変である。両親も2年半以上も僕の介護をしてきても、スムーズに設定できない時もあり、短時間で覚えられるのか不安もありました。でも覚えてもらわないと行けないし、何が何でも行きたいし、身を預ける気持ちが強くなりました。数日後に宮野さんが連れてこられたボランティアさん2人と挨拶を交わした後、宮野さんが体調不良でそのまま帰宅されたので、時間もあまりないので早速、いろんな要所の説明しながら練習が始まりました。親からすれば経験不足と思うが、これも今後生活をするための訓練と思う。さすがに全部は覚えられないので、役割分担することにしました。やはりアームが難しいみたいなので、あまり触れないように車椅子から外さない方法ですることに決定しました。あとは鼻マスクの付け方である。以前、大阪府堺市の合宿に参加した時は、一番肝心な鼻マスクを忘れて寝られなかった失敗があるので、今回は点呼みたいに荷物の確認をしました。時間も気がつけば午後19時を回っていたので、次回は数日後に練習することにしました。あとの2人も間に来てもらい介助の練習を数時間してくれました。やはり若いので飲み込みが早く、思っていたよりも細かくメモをして僕も少し気持ちが楽になってきました。“あと数回練習していざ大分へ”気持ちも大分に向いている。ある日に、神戸学院大の先生二人も見学実習に来られました。今後、学校で実習資料に使用する写真も撮れて喜んでいました。介護内容や器械の扱い方もほとんど覚えてもらったので、あとは当日を迎えるだけとなりました。


◆「わがままだけどわかってほしいこの想い」

両親や周りの人たちの想いは違うだろう…心配なのは凄くわかっているし、眠れない日が近づくにつれて、口調も荒くなってしまう。けど分かってほしい…自分のやりたいことや行きたい所、食べたいモノや見たい物くらい自分で決めたい!んです。これも今後には大いに役立つ経験と思う。人を使うことの難しさは親子では分からないと思うだろう。いつでも人がいるわけでもないし、人間はいつどうなるかわからないですから。普段言えないのでこの場を借りて言いたいと思います。ごめんなさい…わがままで


◆「いざ大分へ」

午前8時頃に目が覚め、天気はあいにくの雨でした。とりあえず朝食を済ませ、着替えの準備に掛かった。10時頃にボランティアの藤田君(二年生)が家まで来てくれました。藤田君は、このボランティアではリーダー的存在である。藤田君を含め、後の三人は一年生でみんな熱い若者である。JR明石駅まで雨が降っているので介護タクシーで行き、JR明石駅でボランティアの山口君、岡田君と合流しました。山口君は、テニス部で場を盛り上げるムードメーカーである。岡田君は、大人しく見えて結構喋り好きな面白い子である。第一の難関でもあるエレベーターで、脚のステップを取り外すのも難なくクリアしました。大阪頸損会事務局の鳥屋さんとも明石駅で合流して、一緒にJR姫路駅に行く約束をしていました。とりあえず母親も、JR姫路駅まで見送ると言って聞かないので、仕方なく付き添いしてもらった。JR姫路駅に到着した。午後12時29分発の新幹線まで時間があるので、ここで昼食を採りました。ここでラスト一人の甲良君が合流し、ボランティアメンバーが全員そろった。甲良君はバレー部で、山口君ととても仲良しである。数分後、三戸呂さんと介助員さん、宮野さんと介助員さんが遅れて到着した。合計10人の団体移動の旅。宮野さんの見栄えは「コワ〜イ兄ちゃん?(笑)」10分前になり新幹線のホームへ移動開始。母親も「気をつけてよ」と何度も声を掛けてくるのが辛かった。「うん!大丈夫やから」と言って、新幹線が到着して次々にスロープで乗り始めた。僕の番になり「行ってきます」と母親に言った。席に着くと母親が手を振り続けるので思わず泣きそうになりました。出発したので笑顔で「見送りありがとう」と心で思い、しばしの母との別れ。さぁ、気持ちを入れ替え、約4時間後には別府に着く予定である。岡田君や藤田君と前半交代で介護してもらい、あっという間にJR小倉駅に着きました。早速写真でも撮ろうとしたら“カメラがない“…(やっぱり忘れてたのね!)仕方がないので誰かに撮ってもらいながら進むことにした。エレベーターを利用したが少し狭く、脚のステップを外して降りました。次の特急の時間まで余裕があるので、自由行動になりました。周辺を探索していると、地元の土産物が中心に円を作り、試食が出来る物も有り、僕は出来たてのお餅を戴きました。〈やっぱり出来たては違う!〉「山口君、イカ飯3杯目だけど大丈夫?」と心配するほどの食欲にはアッパレでした(笑)特急に乗り換え目指すは別府駅。進行方向と逆向きに座ったせいか、カーブになる度に凄い傾斜となり、大丈夫かいな?と思っていた。だんだん薄暗くなり、雨も小雨になり、何とか無事に別府駅に到着。「別府〜↑」とアナウンスの微妙なトーンに自分だけウケてしまいました(笑)明石に比べ、別府市の方が少し暖かい気がしました。改札口の外には、九州頸損連のお二人(末永さん、深川さん)が出迎えてくれました。雨なので介護車両も用意してあり、鳥屋さんと同じ車両に乗り込みホテルの場所へ行きました。チェックインを先に済ませ、ついでに荷物も置いてもらいにお願いしました。その間に心配している親に電話を掛け、「無事に着いたから」と報告終了!場所移動して交流会場に向かいました。


◆「楽しんだ一夜の思い出」

車を降りてアーケードを進むと、夢喰夢叶(MUKUMUKU)というお店に招かれました。聞けばCILおおいたの米倉さんが経営しているお店でした。車椅子も沢山入れそうで、凄く落ち着きそうな良い感じでした。挨拶も簡単に済ませ、乾杯の合図で宴が始まった。料理もスゴイ!!新鮮な関アジ&関サバが光って見えている。味も最高に美味しい。他にも馬刺しやとり天プラ、牡蠣や海老など豪勢なものでした。僕も楽しくなってきたので『吸い飲み』でお酒が進む一方、ボランティアのみんなに感謝していました。よくここまで出来たのはみんなのおかげですから。あと一日宜しくお願いします。話が弾み少し遅れてCILおおいたのスタッフで若杉さんとも交流が持てた。こちらの人たちは関西人よりも暖かい気もするのはなんで?と聞きたかったぐらいである。食事が終わり二次会へ!アーケードを目指して車椅子団体が夜の街へ!三戸呂さんが元気になってきたのは気のせいか?宮野さん、鳥屋さんもすっかりご機嫌で「さすがタコヤキボーイズ」としみじみ思った。スナック街に入ると共に人も多くなって凄い賑やかになってきました。約10分位してお店のあるビルへ着き、エレベーターで3階へ上がりました。お店は思ったよりも車椅子が入り、半分以上が車椅子軍団が制覇していた。初めての異様な光景に驚きを隠せられませんでした。カラオケも始まり、さらに盛り上がりました。みなさんとても上手い(拍手)ただ残念なのはボランティアのみんなが未成年だったので、お酒がダメなことを考えてなかったことです。みんなお疲れ様です!とりあえず時間の流れが早く、もう午後23時40分を廻っていたので、ここで一度解散することにしました。僕とみんなと鳥屋さんがホテルに帰ることにしました。三戸呂さんと宮野さんと九州連さんたちは、また次の店へと行くのでした(タフですなぁ)

雨が降り出してきたので、何人かホテルへ傘を取りに行ってもらい、鳥屋さんと山口君と僕の三人で、ゆっくりホテルに向かいました。途中で鳥屋さんの電動車椅子のバッテリーが切れた為、山口君が手際よく交換するのは上出来だった。大通りの道を帰っていくと、藤田君が傘を持って来てくれてホテルまで誘導してくれました。「亀の井ホテル」に到着。ここが本日宿泊するホテルです。とりあえず4人部屋と6人部屋のどちらかを選ぶので、なるべく車椅子が動きやすく近くに置ける4人部屋にした。一番端っこにすることがちょうど良いとみんな承諾してくれました。6人部屋もすごく広かった。まだ眠れそうになかったので、ホテルの前のコンビニに買い出しに行きました。おつまみにお菓子、当然お酒にお茶などいろいろ買ってホテルに戻りました。6人部屋で6人が輪になり、今日一日を振り返って各々の感想を述べました。「みんなで助け合ったからここまで来られた」と僕は感謝して言いました。みんなも疲れていると思ったので早く戻ろうとした時、4人が帰ってきました。顔も真っ赤っかで(笑)かなり飲んでいる様子がすぐわかる。

みんな揃ったところで記念撮影を撮り、就寝の準備が『本日のメインイベント』でした。みんな大丈夫だよね?と言わなくても各々が率先して役割を果たしていく。移動の時は念には念を入れて、三戸呂さんの介助員さんと宮野さんの介助員さんにも助けてもらい、無事にベッドへ移れました。最難関突破した瞬間でした!あとは鼻マスクのみなのでゆっくり確認しながら装着しました。100%の仕事をしてくれた気がします。後は寝るだけです。「お疲れ様!ありがとう。ゆっくりと言えないけど休んで下さい。お先に眠りにつきますね。」と言って寝ました。


◆「帰還まで宜しくお願いします」

朝は隣の部屋の宿泊客が、部屋の扉をたたく音で目が覚めた。数分後にみんな起きたと思ったら甲良君だけで、藤田君と山口君は銭湯に行ってきたみたいで、甲良君は残念がっていた。早速着替えて車椅子に移動して朝食へ行きました。本日晴天なり!今日はCILおおいたの事務所の見学に行きました。中にはいると十分なスペースで間取りも良く、トイレも各種障害でも対応できる構造には驚きました。お風呂場も段差の少ない構造でした。凄く勉強になり、「また来たい」と想い事務所を後にしました。初めて来たのに不思議な感じがする別府市が好きになりました。別府駅の前に銅像〈油屋熊八翁〉が(笑)。大分観光の父らしく、偉大な人物の銅像の前で記念撮影をしました。ここで九州頸損会の人たちとお別れしました。お土産を沢山買って、ここで家に電話した。もう帰るのかと早かった一日に寂しさを感じました。出発の時間まであとわずか。またあの「別府〜↑」を聞きにくるぞと誓い特急に乗り込みました。みんな少し疲れていたのか、JR小倉駅まで仮眠を取っていました。新幹線の時間まで自由行動をすることにして探索を始めました。鳥屋さんが「タコ焼きたべませんか?」の一声にみんな賛成し、アツアツを食べ満足しました。山口君は、やはりイカ飯を買っていました(笑)。新幹線乗り場へ移動するも、またエレベーターでステップを外し上で付けました。ここでみんなに感想を一言。「今回の旅で凄く自信が付きました。経験を積めばいろんなことをしたくなるものですね」と本当に心から言えました。新幹線に乗り込み、二日間を振り返ってみれば大きなトラブルもなく本当に楽しい旅になりました。JR姫路駅に着くと、三戸呂さん、宮野さん達とここでお別れしました。あとの6人で一緒に明石駅まで帰りました。明石駅に着くと母が出迎えに来てくれました。ここでみんなとお別れして、我が家に帰ってきたのでした。


◆「最後に」

ボランティアさんを付き添いして外出した初めての大分旅行!!一ヶ月の内、一人平均4、5時間の練習だけでトラブルやミスもなく、よく頑張ってくれました。人工呼吸器使用者を介助するプレッシャーも凄くあったと思いますが、各々の判断でも活躍してくれたことに深く感謝します。 この先もこのような旅があれば、また助けて下さい。宜しくお願いします。神戸学院大学の藤田君、甲良君、岡田君、山口君、みなさん本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。



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