頸損だより2008秋(No.107) 2008年9月27日発送

大会実行委員から 〜大会裏方よもやま話〜



会員の日々の活動が実った二日間

島本 義信

5月10日・午前8時・風雨強め、こんな日は自宅でゆっくりする・・・。のが日常でしたが、どないかなるやろうと合羽を着て自宅を飛び出していました。

全国大会への関わりは、前年の12月に何も分からず誘われるまま第2回実行委員会に参加し、案内用のチラシや参加・不参加のはがき作りという、大会に向けての具体的な行動がスタートするところから始まりました。その後もずるずると(泥沼だったのか)引きずり込まれながら、委員会やメールでの情報交換(メールは900通を超えていました。)を重ねていくにつれて少しずつどんな大会になるのかということが見えてきました。

見えれば見えるほど、国内からならまだしもカナダからダン氏に来日してもらうことを知り、本当に実現するのだろうかと疑問に感じる中で、シンポジュウム会場が倍の広さになり、レセプション会場も 1.5倍と規模が大きく良い条件が整い始めました。私はとにかくみんなの土台となって参加し自分にできることをがんばる、そのことを目標として取り組み始めました。

その後、参考資料をもらい大会スケジュールを作ったことで二日間に亘って、何時、何処で、何がどうなる、ということもわからせてもらえました。ただ最後まで実行委員全員で内容のチェックができず、スケジュール上の問題点にも気付かず当日を迎え、不都合なことも多々起こってしまい申し訳なかったなぁと思っています。

今回、シンポジュウム会場のレイアウトも考えさせてもらえました。こんなことをさせておくと、水を得た魚のように少々の無理や難問もクリアーしようと思えましたし、レイアウトを作る過程で、CAD機能の新しい使用方法も発見でき楽しませてもらえました。

当日はシンポジュウム、レセプション、総会を通して受付をさせてもらいました。といってもシンポジュウムでは、受付を担当してくださった実行委員と頸損・学生ボランティアの方々の連携がとてもよくとっていただけたことと、受付での混雑緩和を気にかけてくださった、アトリュウムから会場への誘導のおかげで、私だけが受付周辺でボーっとしていました・・・。レセプションでは、シンポジュウム会場の国際交流センターからの完全撤収を見届けていたので、ホテルの受付に到着した時には半数以上の方が着席されていて、ここでもまたボーっとさせていただいていました。総会への参加者は殆ど宿泊されている方が多く、メインとなる配布資料はシンポジュウムでの受付で対応済みでしたのでスムーズに会場内へ入ってもらえているように感じました。

20名の実行委員と頸損・学生ボランティアの方々には、マニュアルや当日の説明不足の中で戸惑いながらの参加となってしまった所が多々あったと思います。みなさんのおかげで無事(?・私だけがそう思っているのかも)終えることができました。紙面をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

シンポジュウムと総会に関しては全く参加できていなかったのですが、頸損だより106号でどんな雰囲気で進められていたのかを知り、大会まで頸損連が蒔いてきた種が花を咲かせたのだと感じると同時に、今回の花の種がまた蒔き続けられていくのだろうと・・・。まさに、『 You are not alone...ひとりじゃないよ・・・ 』は、これから頸損連だけではなく世界に発信できるテーマだと気付くことができました。

個人的には、初めての外泊ができたこと、ホテルのベッドが予想以上に身体に優しく使用感もわかったので、これからは何処でも行けるなぁ。と、変な自信が付きました。今後さらに行動範囲が拡げられそうです。それもこれも、大会に引きずり込んでくださった方々のおかげだと感謝しています。

みなさんお疲れさま、ありがとうございました。


全国総会に参加して

中塔 昌宏

前年の名古屋での総会に続き二度目の参加となった今回の大阪大会では、誘導ボラという初めての経験をしてきました。当日は朝からあいにくの雨でおまけに少し肌寒くあまりいい状況ではありませんでした。会場である大阪国際交流センターに集合、各グループに別れそれぞれの持ち場に立ち、来られた会員さんに声をかけ会場まで誘導するといった具合でした。私たちのグループは学生ボラさん二人と介助者一人車椅子一人の計四人で、地下鉄谷町九丁目駅から続く地 下街から地上へ上がるエレベーターへの誘導だった為、雨風にさらされなかったのですが、他の数グループの方は数時間外での誘導で大変だったんじゃないかと思います。午後二時半を過ぎるとほぼ会場に来られたのか通過する会員さんもまばらになり、私自身お腹も空いたためその場を学生さんたちに任せ、会場に戻り急いで食事(低血糖予防)、シンポジウムに参加もすでに後半をむかえていました。(残念ながらダンさんのお話はあまり聞けませんでした。)シンポジウム終了後はなじみの方々と雑談、トイレ休憩後レセプション会場であるアウィーナ大阪へ移動、 私たちが着いた頃にはすでに大半の方々が会場入りされていました。交流会は皆さんそれぞれ楽しく盛り上がっていたようで、私個人も某氏にはめられ壇上でさらし者にされたり、飲めないお酒を勧められたりと、楽しい?時間を過ごすことが出来ました。いつもはいろんな方に支えられている自分が今回初めて支える側(ささやかなことですが)にまわるという貴重な体験をさせていただき、大変ありがたく思っています。機会があればまた参加させていただければと思っています。(私にできることがあれば)


全国頸損連絡会・大阪大会に参加して −協力会員の立場から−

樋口 万里子

全国大会も無事に終わり、2ヶ月ほど過ぎて夏真っ盛りとなった7月。鳥屋さんから“大阪大会の実行委員会でのことなど感想を自由に書いて欲しい。”とのメールが届きました。正直、私は困ってしまいました。なぜなら、実行委と呼べるほどの役割を果たせていたか、全く自信がなかったからです。

大阪大会に向けて実行委が活動を始めた頃、鳥屋さんからメンバーにならないかという誘いがありました。私は「自分でもできることがあれば頸損連の役に立ちたい」「一つの行事を作り上げる過程を頸損連の方々と一緒に経験したい」という思いから実行委になることにしました。しかし、協力会員とは名ばかりでこれまでの約4年間、主に新年会やボーリング大会などの行事に遊びに行くような形で頸損連と関わっていた私は、自分にできること、すべきことが何なのか全く分かりませんでした。

大会当日までは半年以上前から何度も実行委のメンバーが集まって念入りに計画を立案し、準備が進められていきました。委員会は当事者の方々が中心となって進められていたため、私は「でしゃばって前に出るようなことはしたくない」と思い、求められたことに対して手伝うというスタンスで参加していました。実際は全ての委員会に参加できず、大会の企画内容や目的、スケジュールの流れなどを把握することに必死となり、特別に何か役割をもって取り組むことができない不安もありました。

しかし、大会まであと3ヶ月を切った頃から、少しずつ私の考えは変わっていきました。大会までの準備はボランティア募集から始まり、協賛依頼や会場周辺のアクセス調査、会場のレイアウトなど具体的な調整、資料作り等々驚くほど検討すべきことがありました。忙しく動いているメンバーの方々を見ていると、遠慮している余裕は無く自然と自分でもできそうなことを見つけて積極的に役割を引き受けるようになりました。それからは共に作り上げるという感覚が強くなり、以前よりも一層楽しく充実した気持ちで参加できるようになっていました。

大会本番では主に実行委メンバーのサポートを行ない、人手が足りない所へ臨機応変にヘルプに行きました。アクセスボラの配置確認や宿泊される参加者の移乗介助をボラと手伝うなど、ボランティアの方々と交流することもできました。また、大会二日間を通して同じ職種の方と知り合いになったり、初めて会った当事者の方とお話するなど沢山の出会いがあり、本当に楽しみながら参加できました。そして、大会は大盛況のもと無事終了しました。

振り返れば、第一回の実行委で、実行委員長である赤尾さんから「大会を無事に終わらせるだけでなく、その過程で人との出会いや交流を楽しむ場であって欲しい」という話がありました。私はこの大会を通して、実行委のメンバーの方々をはじめ、ボランティアの方々、全国から参加された当事者の方々など多くの方と交流することができました。仕事など日常でしんどいと感じることもありますが、大会を通して色々な立場の方と接して、前向きに取り組む気持ちをもらったように思います。「何よりも気持ちが一番!」ということを学びました。有難うございました。これからもお互い頑張っていきましょう!



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