頸損だより2008冬(No.108) 2008年12月20日発送

シリーズ・自立生活あれこれ 第17回

「なるようになる」

大阪頸髄損傷者連絡会会員 竹内康弘


昨年の10月から大阪市東淀川区内にある賃貸マンションで自立生活をスタートさせた竹内康弘さんは昭和40年3月生まれの現在43歳。頸髄損傷となったのは22年前の昭和61年1月で、自動車運転中の交通事故でした。約1年半の入院・リハビリを経てから実家で両親と3人の在宅生活を始めましたが、レベルはC5なので少し手は動くものの、日常生活のほとんどは両親の介助によって成立してました。当時から趣味を楽しみながら生活してましたが、あるキッカケ、ある人との再会によって具体的に自立生活を考えるようになった竹内さんはそれから2年後には頭に描いた“自立”を現実のものにしました。そんな竹内さんを訪ねて、自立しようと思ったキッカケとか現実に自立生活をスタートさせるまでのエピソード、現在の暮らしぶりとか今後について、今、自立を考えている人たちへのメッセージなどを聞いてきました。

―自立のキッカケは?

最初に“自立”を考えたのは約2年前の平成18年の冬。受傷当時に星ヶ丘厚生年金病院で一緒だった頸損連の渕上さんと新年会で再会し、同じようなレベルの彼自身が現在自立生活をしていて、彼から「全然大丈夫やで」と言われたのがキッカケでした。その前に高齢の母親が一時期歩行困難になるほど膝を悪くしたこともあり、自立を考え始めたところでもあったのですが、それから家でいろいろとあって、彼との再会後のやり取りを通して「なんとかなるだろう」という気持ちになり、「自立やるよ」と宣言した昨年の4月から具体的に自立に向けた行動を始めました。

―自立生活を始めるまで

親元で生活していたときは月60時間しかヘルパーを利用してなかったので、まずは制度面で自立に必要な支給決定時間数の行政交渉を開始し、自立生活センタースクラムに勤務する渕上さんの協力を得て、地元の東淀川区内で物件探しを始めましたが、かなり苦戦しました。大手を含めて4軒くらいの不動産屋に飛び込みで足を運んで探してもらいましたが、9割以上が階段があるなど物理的に入居不可能な物件ばかりで、手付金を払って契約までこぎつけながら突然大家から「不安がある」「隣の部屋が火事になって死なれたら困る」などという理由で理不尽にドタキャンされたりとかもしながら、8月にようやく入居できそうな家が見つかり、それからフローリングとか段差解消などの住宅改修を施して、10月から入居を開始し、同月に301時間の支給決定が出て自立生活を始めることができました。

―不安は?

実家にいるときとほとんど変わらない生活ペースなので、これといって不安はありませんでした。

―現在の生活は?

甲子園での野球観戦とか好きなアーティスト(大塚愛、矢井田瞳)のライブに行ったりしながら楽しんでいます。実家にいるときからよく行ってましたが、やっぱり帰りが遅くなると親がうるさくて…。でも、自立したことで帰る時間を気にしなくてもよくなったし、遅くに帰宅してから就寝準備などをしてるうちに深夜1時になったとしても、ヘルパーはそのまま隣の部屋で寝泊まりするなんてこともできるので、以前よりも行きやすくなりました。

自立したといってもライフスタイルの基本的なところは以前とそれほど変わってませんが、どこかに出かけたりする時に「自分は自由だ」と感じます。この秋はセリーグのクライマックスシリーズにも行こうと計画中です(笑)。

―今後は?

渕上さんからは「自立できるよ」と多くの人に伝えてほしいと言われてますが、今はなかなか…。仕事も今のところはとくに考えていません。とにかく今はまず褥瘡を早く治したいです。

―自立を考えてる人たちへのメッセージ

「大丈夫!」
「なんとかなる!」
「なるようになる!」
「なるようにしかならない!」
「この僕ができたからみなさんにもできますよ!」

<インタビューを終えて>

親の介助によって生活が成り立っている頸損者にとっては親の高齢化に伴って、いずれ自立を考えなければいけない時期が否応なく訪れますが、竹内さんの場合も親が膝を悪くしたことでまず自立を考えました。その後は同じようなレベルの頸損者からエンパワメントされることで具体的に動き出すようになったわけですが、自立に向けた準備を進めていく中で、きっとつねに竹内さんの根本にあったのは「なんとかなる」「なるようにしかならない!」という精神だったと思います。聞きようによってはまるで投げやりなようにも受け取れる言葉ですが、実はその開き直りの精神こそ、自立生活を営むうえで最も大事なのかもしれません。実際に自立生活を始めたら、事前にシミュレーションしていなかったようなハプニングやアクシデントが日常生活の中で多々起こるでしょう。それに対応するための術は身に付けておいたほうが確かに安心だろうけど、でも、それ以上の想定外の出来事だって起こりうるわけで、それが「生活する」ということだから、その場その場の状況に応じた知恵と工夫が求められます。それさえあればあらゆる困難もなんとかなるだろうし、もっといえばどういう状況にあっても最終的には「なるようにしかならない」わけです。あれこれと不安なことばかり考えていたらキリがないし、それではいつまで経っても前に進めません。たとえ、それがどういう結果であれ、いろいろと考える前に「大丈夫」と自分に言い聞かせ、行動する…そうすることで実際になんとかしてきた竹内さんの言葉だから、説得力がありました。沖縄の方言に「なんくるないさー」(=なんとかなる)という、とても前向きな言葉がありますが、自立生活を営む上ではもちろんのこと、自立に踏み切る上でもそれはすごく大事な精神(気持ち)かもしれません。

自立を考えている人たちへのメッセージにもあるように、合い言葉は「なんとかなる」「なるようにしかならない」ですね。

取材日:8月12日
(聞き手:赤尾広明)

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