頸損だより2009夏(No.110) 2009年6月27日発送

ブレス・トゥ・ヴォイス -Breath to Voice-

− 「息」から「声」へ −     連載 第4回



 2007年6月9日明石において“人工呼吸器使用者の自立生活を実現するために“という市民公開講座を兵庫頸損連絡会で開催した。市民公開講座の終了後、その実行委員会が立ち上げていたメーリングリストの愛称が、”ブレス・トゥ・ヴォイス“となった。人工呼吸器使用者や高位頸髓損傷者など最重度の四肢麻痺者の自立生活を考え話し合い、情報を提供し実現していくためのメーリングリスト。ブレス・トゥ・ヴォイス(Breath to Voice)とは、息をするのもままならなかった人達が、声を上げ、大きな運動のうねりをつくっていきたいという願いから名づけられた。この市民公開講座に参加した人工呼吸器を使用する仲間は、その後何をめざし、どんな行動を取っていったのか。その後の動きを伝えていきます。【鳥屋利治】

●頸損連絡会の人工呼吸器を使用するメンバー有志で、共通する課題や呼吸器当事者に有効な情報を自分たちで共有していこうと、情報交換&交流会を4月に開きました。●もうひとつは、3月に神戸で開かれた全国頸損連と日本リハビリテーション工学協会の合同シンポジウム、テーマ「外に出ようや」のなかで、2泊3日の宿泊体験を学生ボラたちとチャレンジした米田さんが「行ってみたプロジェクト」を報告しました。以上の2つを今回レポートします。

第1回頸損連人工呼吸器使用者情報交換&交流会レポート

大阪頸損連絡会事務局員 吉田 憲司

 さかのぼること今年の1月、新年会の席で、
「聞こえない?」
「聞こえないね。」
「連絡会のイベントもいいけれど静かに話せる場所も欲しいね。」
 そんな話の流れから持ち上がったのが、第1回人工呼吸器使用者情報交換&交流会でした。
 4月12日、西宮市総合福祉センターの会議室で、主なメンバーは井上さん、池田さん、米田さんと私、吉田。オブザーバーに赤尾さん、鳥屋さんを迎え、華もなく漢だけの宴が開かれました。
 まずは市民公開講座アイリーン・ハンレイさん講演DVD を皆さんと鑑賞。次に在宅での課題(人工呼吸器使用者の視点)に移っていきます。
 近況報告と各々好きなように話し合った結果、あがってきた問題は大別すると次のような感じです。
・人工呼吸器のバッテリー
・受け入れてもらえる事業所が少ない事
・介助人の問題
・街のバリアフリー
・将来的に海外からのヘルパー受け入れの問題…等々。

 各々状況が違うので話がかみ合わなかったら、といった考えは杞憂に終わり抱える悩みは同じだと、そういう場面でもないのにホッとしました。
 最後に今後の目標について話し合ったところ、レジャーに自立に海外旅行に出会いに結婚に株と。各々個性が出ていて求めているものはそれぞれ違う。それはそれで妙に納得のいく結果でした。
 そんな感じで始まった頸損連絡会の呼吸器使用メンバーの交流会ですが、今年は今のところあと3回行う予定です。どういう方向に向かって進めていくかは、これからです。次回予定日は7月26日です。

頸損連・リハ工合同シンポジウム「行ってみたプロジェクト」講演録

兵庫頸損連絡会会員 米田 進一

 ご来場の皆様、こんにちは!私は兵庫県明石市から来ました米田進一と申します。発表の前に、一点お伝えさせて頂きます。私は会話をする時に呼吸器を使わなければ長く話せません。呼吸の乱れにより人工呼吸器のアラームが鳴る場合があり、呼吸により話が途切れてしまうため、お聞き苦しい点があると思われますが、ご理解いただければ幸いです。では私の「行ってみたプロジェクト」報告をご静聴下さい。

●自己紹介
 僕は4年前の2005年5月に、交通事故により頸椎の1番を骨折、頸髄を損傷しました。首から下の神経が麻痺しており、呼吸するための横隔膜の動きが弱いため人工呼吸器【写真】を24時間使用しなくてはいけません。呼吸器のバッテリーの持続時間は約8時間、外出時に持っていく補助のバッテリーは4時間です。外出する時は、人工呼吸器の故障やバッテリーが切れるといった、もしもの場合に備えて、手動式人工呼吸器(この商品はアンビューバックと言います)【写真】を常備しています。昼間はこの様にマウスピースを、就寝時は顔が動いても外れない様にテープを貼り、この様な鼻マスク【写真】を使用しています。

●自分の現状と生活環境
 現在、受傷前に私が購入したマンションで両親と同居しています。訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴、デイサービスを受けています。自宅では、父親が手作りの新聞立てで新聞や雑誌を読み、パソコンをする時はマウスの代わりであるトラックボールを左の頬に当てて操作しています。支援サービスについては地域によって異なりますが、私の住む明石市は、まだまだ支援制度の問題が多いと感じます。普段、両親が介護をしてくれているお陰で生活できていますが、高齢になってきた両親の身体が心配です。すぐには無理ですが、少しずつ親が介護しなくてよい方向に改善したいと考えています。

●目標・課題
 目標は自立生活をすることです。私にとっての自立生活とは何か?というと、それは、両親以外の介助を常に受けながら、自己選択、自己決定、自己責任という「かつて自分が意識しなかった」状態で生活することです。もう1つの目標は、海外旅行に行くことです。旅行は、自己選択、自己決定の連続で、まさに自立生活の凝縮版であると思います。そこで、まずは身近な旅行にチャレンジしてみようと考えました。

●宿泊チャレンジの目的と課題
 何とかして数日間の宿泊にチャレンジしたいと思っていた矢先、同じ頸髄損傷の宮野さんと私の家に神戸学院の藤田君が一ヶ月間実習として来ることを聞き、その実習期間を利用して宿泊チャレンジをすることにしました。
 宿泊チャレンジに対する課題と不安は、
@自己選択、自己決定をどこまでできるか?
A家族以外の介助を受けることができるか?
の2つでした。
 チャレンジしてみようと決めたものの、初めての試み(計画)であり、何から始めたらよいのか分からず、時間だけが経過していきました。改めて自分の周りの人が決めてくれる中で過ごしていたことに気づいた瞬間でもありました。このままではいけない、何とかしなくてはと思いましたが、気持ちだけが先走って実際の行動に結びつかず、焦るだけでした。そんな僕を見かねた藤田くんが、殆どの準備をしてくれました。しかも私の意思を尊重して準備を進めてくれるのには安心することも出来ました。おかげで何とか当日を迎えることが出来ました。本来はこれらのことをすべて自分ですることが、僕の目指す自立生活であったと考えると、反省でもあり、まだまだ自分には足りないものが多すぎると気がつけたことは大きな収穫でした。

●宿泊訓練初日(10月11日)
 午後明石駅で、初めて介助を依頼するボランティアと集合しました。JRの切符を「子供2枚と大人2枚買ってきて下さい」と言ってもキョトンとしていました。「なぜ伝わらないのだろう?」と思ったら、福祉制度による障害者割引がある事を知らなかったと知りました。介助が初めての人には事前に説明も必要であると気が付きました。
 車いすの操作では、移動する前にハンドルレバーの操作による背もたれのリクライニング機能や、車いすの大きさについても説明しました。移動するときに車いすの前を横切る人が多く、ぶつかりそうになったこともあります。介助者は車いすの後ろに居るので、障害物にぶつかるのは私が先です。自分の身を守るために周囲を見渡して、ぶつかりそうになったら介助者にすぐに伝えることが大事だと気づきました。
 駅や街の中のエレベーターによって中が狭く、レッグサポート(足乗せ台)の出ている部分を一時取り外さなければ、エレベーターの中に入れないことが多々あります。私の目線からレッグサポートが見えないので、介助者への説明はとても難しかったです。三宮の街を散策し、藤田君お薦めの韓国料理屋で石焼きビピンパを堪能しました。食事介助は女子にしてもらい新鮮でした。食後、日も暮れたので宿泊場所に戻ってきました。車いすからベッドへ、ベッドから車いすへ移乗するには、リフターが無いと大変です。かつて大分旅行の時にはリフターが無かったので、4人の介助者が体の下に敷いたシートの四隅を持って移乗させてくれましたが、お互い危険を伴う介助です。ここの宿泊施設はリフターが無かったので床走行式リフターをレンタルしました。数人の介助者がリフターを使うだけの十分なスペースがあり、このような宿泊施設は少ないと思います。

●二日目(10月12日)
 朝、移乗するためリフターを使用した時に、足がリフターの胴体に引っ掛かってしまうこともありました。介助者は僕の後ろに回りリフターを引いているので、足の方まで見る余裕がありませんでした。僕も見える範囲は注意しますが、見えない部分もあります。ボランティアは不慣れながらも一生懸命介助してくれました。体を拭いてもらって、洗面台で洗髪を行った事がないため、今回は紙おむつを使ってベッド上で行い、普段は着ない浴衣を着せてもらいました。鼻マスクの装着は最も見えない部分なので、ボランティアがどこを触っているのか、自分がどこの説明をしたのか分からず、すごく時間と気力を使いました。この経験から、次回から鏡や装着手順がわかるような写真を持参すれば問題が解消できると感じました。
 通天閣に上がって、ジャンジャン横丁で串カツを食べるというのをやってみたくて、このチャレンジに盛り込みました。地元でありその辺りに詳しい同じ人工呼吸器を使用している友人にお願いして、道案内をしてもらうことにしました。「駅の何処にはエレベーターがある」、「この道が行きやすい」と、同じ障害のある方の情報はどのガイドブックにもない生きた情報です。3連休の真ん中の日だったこともあって、通天閣タワーに上がるには2時間待ちで、残念ながら時間の余裕がなく街を展望すること出来ませんでしたが、串カツ、たこ焼きを味わい、賑やかな大阪を満喫しました。

●最終日(10月13日)
 最終日は今回のチャレンジで最大の課題である排泄を実践しました。受傷で病院に入院し、初めて排泄介助が女性の看護師だったので、とても恥ずかしかったです。しかし回を重ねる度に、排泄は人間として当たり前の行為であり、恥ずかしいとは思わなくなりました。外出先や一人暮らしなどで介助者を選んではいられないので、誰にでも手伝ってもらわないと困るのは自分です。排泄は藤田くんやボランティアの方のおかげで無事にクリアすることができました。
 午後から向かった花鳥園は、段差の無い空間で、車いすに乗っている目線でも十分楽しめ、花や鳥たちがたくさん見られて、とても有意義に過ごしました。ふくろうショーでは、観客の頭上をすれすれに飛び交う姿を見て堪能できました。宿泊チャレンジした二泊三日は達成感と充実感でいっぱいでした。

●宿泊訓練を体験して
 私の場合、介助方法の全ての説明に言葉で説明しなくてはならないため、言葉やコミュニケーションの重要性を再認識しました。事前に検討して行動すること、相手に対して伝え方を考える力が少し付いたと思います。
 3日間、体調を崩さず、予定通りの行動ができるように体調管理ができたと思います。今回のチャレンジを乗り越えたことで、自信が付き精神的に鍛えられたと思います。
 一度体験したことは、必ず次に繋がっていき、更に自信が付いていきます。「何事も実践しないとわからないということが重要だ」と感じました。

●最後に
 全身が動かず、呼吸器を使って生活している私が安心して暮らすには、24時間誰かの介助が必要です。常に支えてくれる介助者が居なければ生活できません。今回のような外泊を支えてくれる制度が整っていないために、私達の社会参加が制限されるため、そういう制度を変えるように声を上げる必要があります。外出は社会参加をする大事なリハビリだと思います。
 外に出て行けば、いろんな人に出会えて、いろんな影響を受けることができます。受傷してから出会った仲間から、「前向きに生きる」ということを学びました。外に出ないと出会えない人、つかめないチャンス、気がつかないことはたくさんあります。生きていることに疑問を抱いた時期もありましたが、今は生きていることが楽しいです。時間を気にせず、たまには夜遊びもして、自分のやりたいことをしたいです。ご来場の皆様、私達をサポートして下さい。みなさんの『力』が必要です。どうぞご協力をお願いいたします。
 これで私の「行ってみたプロジェクト」の報告を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。


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