頸損だより2009秋(No.111) 2009年9月26日発送

ブレス・トゥ・ヴォイス -Breath to Voice-

− 「息」から「声」へ −     連載 第5回



2007年6月9日明石において“人工呼吸器使用者の自立生活を実現するために“という市民公開講座を兵庫頸損連絡会で開催した。市民公開講座の終了後、その実行委員会が立ち上げていたメーリングリストの愛称が、”ブレス・トゥ・ヴォイス“となった。人工呼吸器使用者や高位頸髓損傷者など最重度の四肢麻痺者の自立生活を考え話し合い、情報を提供し実現していくためのメーリングリスト。ブレス・トゥ・ヴォイス(Breath to Voice)とは、息をするのもままならなかった人達が、声を上げ、大きな運動のうねりをつくっていきたいという願いから名づけられた。この市民公開講座に参加した人工呼吸器を使用する仲間は、その後何をめざし、どんな行動を取っていったのか。その後の動きを伝えていきます。【鳥屋利治】

●頸損連絡会の人工呼吸器を使用するメンバー有志で、共通する課題や呼吸器当事者に有効な情報を自分たちで共有していこうと、情報交換&交流会を今年から始め、その第2回目の集まりを吉田さんの幹事で7月に開きました。●もうひとつは、8月に埼玉県所沢市の国リハで開かれたリハ工カンファレンスに2泊3日で米田さんが当事者セッションのプログラムで発表報告しました。以上の2つの話題を今回レポートします。

第2回頸損連人工呼吸器使用者情報交換&交流会レポート

大阪頸損連絡会事務局員 吉田 憲司

皆様、暑い最中をいかがお過ごしでしょうか。
この時期体温調節できない頸損の方には辛い日々が続いていると、水分補給を欠かさずくれぐれも熱中症にならないようお気をつけください。
さて、頸損と世間ではひとくくりに言われていますが、受傷の仕方も箇所も違えば症状も全く異なり、また自らのおかれている立場、環境も間違えば個々で抱えている問題も人それぞれです。人工呼吸器使用者にも人工呼吸器の特有の悩みというものがありまして、これがなかなか人にうまく伝わらず話せない事も多いのです。そこで今年1月の大阪頸損連大新年会の話し合いで今後、呼吸器ユーザーだけの集まりをやってみないかと発足したのが人工呼吸器使用者情報交換&交流会でした。先日その第2回目の集まりがありました。

日時:7月26日(日) 13:30〜16:30
場所:西宮市総合福祉センター

メンバーは前回同様、井上さん、池田さん、米田さんと私(吉田)、サポーターは鳥屋さん、藤田さん、神吉(カメラ)さんです。はじめに近況報告。前回集まりから今回までの出来事を各人に話してもらいました。特に波乱もなく無難な出だしでした。

【米田さん】
・4月神戸学院大学で講義。
・5月全国頸損連総会岐阜大会に参加。
・6月明石看護学校で講義。

【井上さん】
・新神戸オリエンタル劇場でコント観賞。
・落語家ディナーショー参加。
・ベッド上の生活から、車いすの生活に移行するための部屋の模様替え、リハセンターに車いす見学。

【池田さん】
・事業所との様々な問題があり、ストレスによってメンタル的に不調で、カウンセリングを受けに通院した。
・7月末の富山への旅行準備をした。看護士や旅先でのボランティアの依頼など。

【吉田】
・利用している介護派遣事業所が過去2年で3ヶ所撤退。
・パナソニックも今年度で介護派遣サービスを撤退。
・人材確保が難しい。(現状、悪化中)

以降は事前メールでの打ち合わせにより、
@再生医療について
A外出時気をつけていること
B日常生活について
C受傷後の経緯・今後(今年後半)の目標
Dその他
の順番で話は進みます。

@再生医療について
Yahooニュースの再生医療のトピックスから最近のIPS細胞の研究成果のいくつかを紹介しながら各々、再生医療への思いを話し合いました。

◎IPS細胞、5年以内に網膜、7年後に頸損の臨床実施予定。
◎今夏、USAではES細胞を使った脊損臨床実施予定、等々。

皆さん一様に再生医療には強い関心があり、受傷前の生活に戻りたいという願いは同じでした。しかし、期待は大きいものの実用化まではまだかなりの時間がかかる事ですし、そこまで現状の維持ができるだろうかと焦りのようなものを抱えているのも伝わってきました。期待は期待としてもちながらも現状を打破するための活動や生活の改善を行っていかなくてはならないというのがその場の一致した意見でした。そして、

日本せきずい基金主催国際シンポジウム「中枢神経系の再生医学」
日程:2009年9月19日(土)
場所:秋葉原コンベンションホール

これに池田さんが参加の予定で、また次の機会に報告してくれるとの事でした。

A外出時気をつけていること
暑い時期ですので体温調整のことが話題になるかと思われましたが、外出先の人工呼吸器の電源の確保、バッテリーの話題が中心となりました。特に米田さんの「JRは電源を貸してくれなかった。」という体験談には思わず「まさか」と口にしそうな大きな衝撃がその場を支配していました。何でもJRには医療器具を車内に持ち込む際は承諾書にサインが必要、という内規があるらしく、これは他の人工呼吸器利用者の団体でも問題になっているようで近々交渉の場が設けられるそうです。

【井上さん】
呼吸器のバッテリーは外部バッテリーと内臓バッテリーを組み合わせて、持続時間が10時間持続。

【米田さん】
JRは呼吸器充電のたけの電源を貸してくれない。今後不適切な対応があった場合は、日時と対応した社員名を控えておき、あとできちっとした交渉もしていかなければならない。

【池田さん】
内臓バッテリーは30分持続、外部バッテリーは11時間持続。いつも2個持ち歩いている。重さは10kg前後

【吉田】
バッテリー持続時間は約3時間、トラブルはなく安定性はあるが、大きくて持ち運びにくい。このため行動範囲を絞り、移動中の車の中ではシガーライターから充電している。

B日常生活について
ここでは話題の端々に見え隠れしていた焦りや不安が爆発しました。ここから先は私個人(吉田)の見解として書かせてもらいます。メンバーは全員30代です。そして全員が人工呼吸器利用者であり、24時間介護を必要としています。自発呼吸ができず呼吸器が外れても自力でつけ直すことができないからです。身体の状態は現状を維持しつつも人工呼吸器利用者を取り囲む外部環境は、主に次の理由から時間の経過とともに悪化していきます。

◎介護の主体となっている親の高齢化。
◎現在の日本ではショートステイ先、受け入れ施設が全くない。(”人工呼吸器”は電話の時点で断られます。)

結果として自らの居場所がなくなるわけで、人工呼吸器利用者はここに焦りを感じています。そして別の理由もあります。人工呼吸器利用者のモデルとなるケースがまだ日本には存在しないという事です。具体的にいうと、”人工呼吸器利用者が両親の支援を受けなくても、自力あるいは公的なサービスを受けながら地域で自立して生きていく。”という生き方が社会的に確立していないのです。
自己努力、自らの経済力だけでこの問題を解決できる人工呼吸器利用者はおそらく少ないでしょう。人工呼吸器使用者情報交換&交流会が独自に立ち上がった理由もここにあります。より密に情報を交換し、お互いの問題を共有し、少しでも問題の解決に向けて意見を出し合い実践していくというのがこの交流会のねらいです。

【米田さん】
決まりきった生活を送り、外出も介助者が見つからなくてまともにできない。今後、思いきり活動できる期間は10年もないと思う。そのため焦りもあり、1日の重みを実感する。限られた時間の中で、自立した生活へ動き出したい。

【井上さん】
10年後の自分は見えていなく、10年生きられるのかどうかさえわからない。

【池田さん】
冬は肺炎になりやすくて不安がつきまとう。マッサージを1日40分、週4日行っている。これによって少し痙せいが治まった。

【吉田】
成人病、とくに糖尿病の気が出始めている。尿酸値が高い。現在は投薬して6.5。若い頃の食生活が悪く、現在になって症状として出ている。食生活を1000kcal/1日に変えた。それでも摂取量を控えなくてはならない。糖尿病は床ずれができやすく、治りにくいと思われる。

C受傷後の経緯・今後(今年後半)の目標
各人のこれまでの経過をざっと話してもらいました。それと合わせて今年後半の目標について出し合いました。以下はその要約です。

【米田さん】
4年前に受傷。11ヶ月入院後、在宅生活へ。在宅生活復帰後は自分に自信がもてなく、外に出ることが嫌だった。受傷2年目に主治医の紹介で頸損連と出会い、外に出ることの楽しみを知った。自立心が芽生えて、様々な活動をする中では、親との衝突も多々ある。
今年後半の目標としては、埼玉でのリハ工学カンファレンスへの参加、大分の温泉街の実態調査、飛行機に乗る体験を沖縄など国内の近場でまず行い、後々カナダBC州へ行こうと思う。

【井上さん】
3年前に受傷。今年4月から、室内でも車いす上の生活へと移行するための準備に取り組んでいる。
今年後半の目標としては、ゲームコントローラーの改良、車いす生活の工夫に取り組みたい。

【池田さん】
7年前に交通事故により受傷。受傷当時、ただ生きているだけでやる気がでず、死んだほうがよかったと思った。2〜3年後、ピアカウンセリングに参加し、様々な障害者と出会ったことで、苦しい思いから少しは逃れられた。その後、宮野さんらと出会い頸損連の活動にも参加するようになった。
今年後半の目標としては、7、8、9月に旅行をすること

【吉田】
 16年前にスポーツ事故(ラグビー)により受傷。1年間の入院後に在宅生活へ。当時は呼吸器使用者の情報もなく、家に引きこもっていた。受傷5年後に頸損連と出会い、様々な生活情報などを知り、気持ちが前向きになった。しかし、呼吸器使用者とは出会えなかった。2001年に職リハに行くも、毎日は通えないため、自宅で販売士や簿記2級の勉強を始めた。勉強方法は、音声入力とスキャナでパソコンに参考書のデータを取り込んで勉強した。2004年にパソコンを使って簿記試験を受験。2005年、2006年は体調不良。2007年に再度受験するが、パソコンにトラブルが発生し失敗。今年2009年6月に再度受験し、パソコンにトラブルはなく、64点獲得(合格ライン70点)。
今年後半の目標としては、11月に簿記2級を獲得し、成果を職リハの職員に見ていただきたい。

Dその他に話し合ったこと
・鳥屋さんのほうから今回の集まりで、2008年全国頸損連総会大阪大会時の配布資料である松井和子先生の寄稿文が再度配布されました。カナダBC州の呼吸器使用者の自立獲得までのこれまで経過などが書かれてあるので、ぜひもう一度各自読んで、それぞれの思いを話し合いましょう。
・今後、2007年市民公開講座時の「ブレスtoボイス」のメーリングリスト上で、情報交換を再開していきましょう。

最後に:
回を増すごとに会話の内容の密度が高まってきているようです。案外これが一番の驚きかも知れません。先にも書きましたが頸損とひとくくりに言ってみても老若男女ありますし、価値観も趣味も全く違う人達の集まりです。今回集まったメンバーにしても、同じく人工呼吸器利用者で年齢も比較的近く、何らかの会合で少しばかり話しをしたり、多少はメールのやりとりもありましたがどちらかと言えばまだまだお互いに”知らない人”です。それでいてお互いの話に共感できたり、同意できるのはなかなかすごいことと感じました。同時にお互いに抱えている問題の大きさも、いやという程理解もさせられました。それだけに交流会では皆必死でお互いの話のうちに現状を打破する解を探している、というのが今回の感想でした。
次回集まりの予定は11月26日(木)、幹事は米田さんとなっています。


リハ工カンファレンスin埼玉所沢に参加して

兵庫頸損連絡会員 米田 進一

先日8月26日、27日、28日の3日間において、埼玉県所沢市で行われた「第24回リハビリテーション工学カンファレンス」の当事者セッションというプログラムに出席し発表報告してきました。当事者が抱える様々な問題を出しあい、全国各地から集まったリハ工学協会のエンジニアの皆様とともに、それらの課題を改善していく議論がなされました。 今後、我々が望む福祉機器などの開発に大いに期待しています。


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