頸損だより2009冬(No.112) 2009年12月26日発送
東大阪地域交流会レポート
延澤庸行
2009年11月21日(土)の14:00〜16:30に、東大阪市民会館4階第4会議室にて、東大阪地域交流会を行いました。会場となった東大阪市民会館は、近鉄奈良線河内永和駅のすぐそばにあります。当日は、東大阪在住で今年大阪頸損連に入会された小田和夫さん、生田貴美子さん、山田正人さん、同じく東大阪在住で長らく大阪頸損連の会員である平井一郎さん、岡本進さん、そして、お父さんが受傷後人工呼吸器を使用しながら現在入院中という方のご家族(娘さん)、関谷クリニックPTの肥塚先生、恵生会病院PTの西田先生、鳥屋、延澤が参加しました。今回、東大阪地域交流会を開催することになった経緯は、7月19日(日)にさかのぼります。この日、鳥屋と延澤で、今回の地域交流会にも参加してくださった小田和夫さんに会いに行きました。この時は協力会員の小山さんと小田さんのご家族とともに、小田さんの自宅近くの喫茶店で小田さんにお会いしました。2時間ほどお話をさせていただいたのですが、東大阪在住の頸損連会員が数名いるので、鳥屋さんから、秋頃の気候のいい時に皆に声掛けして集まりましょうという提案があり、今回の地域交流会が実現しました。今回会場となった東大阪市民会館は、山田正人さんが予約等の手配をしてくれました。週間天気予報では雨になっている状態が続いていたのですが、当日は雨が降ることもなく、よい天気に恵まれました。山田さん、鳥屋さん、延澤の3人がそろったところで、会館の入口が分かりにくいということもあり、外で来られる方を待つことにしました。鳥屋さんと山田さんには飲み物やお菓子を買いに行ってもらうことになり、延澤が入り口外で待つことになったのですが、その時点で岡本さんが来られていたので、岡本さんと延澤で、青空のもと、心地よい(ちょっと寒かったかも?)風に吹かれながら、しばし談笑していました。そうこうしているうちに鳥屋さんと山田さんが買い物から帰って来られ、生田さんが来られ、建物の中に入ることになりました。会議室では全員が近くで話ができるように長テーブルを3つ引っ付けて正方形状態にし、皆でテーブルを囲んで話をすることにしました。小田さんが到着され、飲み物やお菓子をテーブルに並べ、交流会を開始しました。少し遅れて平井さんも到着されました。鳥屋さんと延澤は東大阪に詳しくないため、まず、皆さんが東大阪のどの辺に住んでおられるのかを教えていただこうということで、ホワイトボードに東大阪の大まかな地図を書きながら、皆さんがどこに住んでおられるのかをお聞きしつつ、自己紹介や受傷後のお話を聞かせていただくことになりました。ホワイトボード記入役は、鳥屋さんの介助で来ていた青年が担当してくれました。地名とかで結構難しそうな漢字が出てくるのですが、彼はその漢字をしっかり書けていたため、参加者からは『おおっ!』という感嘆のどよめきがたびたび起こっていました。漢字は読めても書けないという人が増えている中(私もまさにそのパターンですが)、なかなかたいしたもんだと感心しました。
テーブルの周りに並んだ順番で、まずは岡本さんからお話を聞くことになりました。道路や鉄道を地図に書き込みながら、岡本さんが住んでおられるであろう場所に赤丸を入れてもらい、受傷後の岡本さんの話を聞かせてもらいました。過骨の影響で関節が曲がりにくいことや褥瘡に気を付けないといけないということ、作業所を引き継いで潰れそうになったこともあったけれども代表として現在も続けておられるということを、おやじギャグを織り交ぜながら話をしてもらいました。続いて鳥屋さんの番だったのですが、今回は東大阪在住の方がメインということなので、頸損連の紹介等、簡単に自己紹介をすませて、小田さんにバトンタッチしました。小田さんにも住んでおられる場所をお聞きし、受傷歴や受傷後のことをお聞きしました。小田さんは怪我をされる前はヘルパーをされていたということもあり、怪我をされた時には自分が頸損になったと思われたそうです。それでも前向きな性格をされているので、退院して自宅に戻られてからは家に閉じこもっていてはいけないと、コーラスや絵画教室に通っておられるとのことでした。受傷後1年数ヶ月でこの行動力や考え方の切り替えは素晴らしいと思います。続いては、今回会場の手配等活躍してくれた山田さんに話を聞きました。山田さんは2トントラックの運転手をしておられて、荷物を運搬中に福井県で10トントラックと正面衝突をして頸損になられたそうなんですが、事故の状況を聞いて、改めて交通事故の怖さを痛感しました。2トントラックを運転していた山田さんが頸損で10トントラックの運転手が死亡だったそうなんですが、そんなこともあるんやと別の意味で驚きがありました。舞洲でのバーベキュー&宿泊体験や四国頸損訪問にも参加されており、今後の活躍が期待される若手登場といった印象でした。続いて、肥塚先生に今回の交流会の話を聞かれて参加してくださった恵生会病院PTの西田先生に自己紹介をしていただき、西田先生の友人でお父さんが頸損になられて現在人工呼吸器を使用しながら入院中という方の娘さんに簡単に自己紹介をしていただきました。引き続き生田さんに話を聞いたのですが、生田さんは交通事故後の医者の対応がちゃんとしていなかったということから症状が悪化したようです。病院に一泊しただけですぐに自宅に戻られたそうなんですが、激しい痛みが続き、全く眠れなかったそうです。痛みがマシになった時には楽になったと思われたそうなんですが、その代わりに動いていたところが動かなくなり、動かないということはこんなに不便なんだということを痛感されたと言っておられました。中心性脊髄損傷ということで自宅では家事等もされているそうですが、なかなか大変だとのことでした。生田さんは頸損だよりの防寒対策特集を読まれたのがきっかけで、防寒対策として寝袋を購入して利用するようになったそうです。頸損だよりの記事が実際に役に立っていることを直接感じ、嬉しく思いました。続いては平井さんの話だったのですが、平井さんは今回集まったメンバーの中では一番頸損歴が長く(28年目)、いろんな話を聞かせてもらいました。昔はタッピングと言ってお腹を叩いてその刺激で膀胱が収縮することを利用して排尿するというやり方をしていたのですが、そのやり方から自己導尿ができるようにするために入院をされたことや、大阪職業リハビリテーションセンターでCADの講師補佐をされているので、就業機会を得るために職リハにも来てくださいというCMもしてもらいました。最後に延澤が簡単に自己紹介をした後、長年頸損脊損のリハビリにかかわっておられる肥塚先生にも自己紹介をしていただきました。
一通り自己紹介がすんだ後、何か困っていることや聞きたいことがあればということで意見交換をしました。小田さんから、痰が絡んでもそのうちどこかに消えてしまうので、胃に入ってしまっているのか、なくなるからそれでいいかと思っているのですがという話があったのですが、肥塚先生から、なくなって消えてしまうことはないので、ちゃんと出しておかないと肺炎になる危険があるから気を付けないといけないという忠告がありました。平井さん、肥塚先生、延澤から咳の仕方や痰の出し方の方法等、いくつかやり方の説明があり、小田さんからは、痰がなくなって消えてしまうからいいと思っていたけど危険なんだということが分かって良かったと言っていただきました。生田さんからは車椅子を作る時のトラブルや対応の悪さについての話があり、肥塚先生から色々とアドバイスがありました。生田さんにも、当日いろんな車椅子を見たり話を聞いたりできて良かったと言っていただきました。
終了時間も近づいてきたため、次回は春頃に、屋内ではなく屋外で花見でもしながら話ができる場所があればいいなということになり、地域交流会という意味からも、東大阪の地元でいい場所を選んでもらうことにして、山田さん、岡本さんを中心に場所や日程の調節をしてもらうことになりました。
今回の地域交流会をきっかけに、東大阪方面でも地域に根差した関係作りやネットワークができるといいなと思います。
皆さんも、自分の住んでいる地域での交流やネットワーク作りをされると、いろんな有益な情報が得られると思いますので、積極的に実施、参加されてみてはいかがでしょうか。きっかけ作りが必要な場合は、遠慮なく頸損連に言ってください。
☆〜参加された方からのコメント〜☆
大阪頸損連絡会 小田 和夫
11月21日(土)鳥屋様の計らいで、東大阪在住の方々との交流の会を設けて下さいました。場所は東大阪市民会館4Fで2時から始まり、まずは、自己紹介からと言う事で、各々、体験談等を兼ねて話を聞かせて頂きましたが、同じ頚損でも色々と違いがある様で、例えば私はC6で腕は肩のあたりまで上がりますが、人により其々の様です。会場に来て下さった方々は私より若くして、20代でこの障害を抱えた方が多く、私は60になっておりますし、しようがないなと思いましたが、もし私がもっと若い頃に障害を抱えてしまって居たら、そう簡単に受け入れなかったと想います。そう想うと私は幸せだと想います。
今回、集まって下さった方々の他にも東大阪に、頚損で一人で生活している方も居られると想います、もし機会があれば連絡会にお誘い出来れば良いかなと想います。
大阪頚髄損傷者連絡会に入らせて貰う事によって、良き友、良き仲間と廻り会った事を嬉しく思います。
大阪頸損連絡会 生田 貴美子
初めての参加楽しかったです。女性が他にいなかったのが残念でしたが。皆さん楽しい(*^.^*)人達でしたね。参考になる事やアドバイス頂いたりして勉強になりました。
常々娘に年老いてもベットの生活になっても・車椅子で外に連れて行ってと話していました。次回の参加楽しみにしています。(o^∀^o)