頸損だより2010夏(No.114) 2010年6月20日発送

頚損ピアサロンVol.2

−当事者だから、伝えられることがある−



 2009年12月23日(木)に、城北学習センターで頸損ピアサロンを開催しました。
 平野功さんによる「教員への復職、そうしてグライダーへの挑戦」というテーマでお話をうかがいました。参加者は21人。スライドを見ながら、職場でのエピソードや趣味のグライダーの話しを聞くことができ、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。当日の様子をレポートしますので、今回参加できなかった方も楽しんで読んでみて下さい。           【録音テープ起こし:川畑勲/編集:鳥屋利治】

●話し手:平野功さん

 京都市内で中学校の教員をしています。年は50歳で、頸損歴は13年、37歳の時に怪我をしまして、原因はハンググライダーです。家族は今のところ妻と子供一人で、なんとが子供は生まれていたので、現在は高校二年生です。

趣味のハンググライダー
 怪我をする前からハンググライダーを飛んでいました。完全に空中に上がって安定してきたら足を入れてチャックしてしまってなるべく風の抵抗を減らすのです。風が何も無かったらをそのまま落ちて行くのですが、上昇気流をつかまえて高いところに上がっていきます。トンビが回っているのと一緒で上昇気流というのはどこにでもあるというのではなく、筒状でぽこぽこと上がっていくので、その筒の中に収まっていないと上がっていかないです。はみ出してしまうと落ちてしまいます。それにほかの機体とかも来ますので、自分だけでなくほかのたくさんの機体がぶつからないようにしながら、お互いに見ながら上げていくのです。
 僕も一回空中接触したことがありますが、グライダーが少し曲がりまして命からがらその時は下りて来られました。

ハンググライダーの事故
 96年の夏休みに車山というところで大会がありました。普通グライダーが空中で壊れると、パラシュートを開いておりてきます。僕の場合はあまり前を気にせず上昇気流を探して飛んでいて、ハッという声が聞えたので前を見てみるとお互い同じところに向かい合っていました。そんな時は、飛行機も船も同じで、決まってないとお互いよける方が同じだったらぶつかるので、右によけるのです。その時僕たちはたまたまよけたのですが、僕のアルミの骨組みの部分と相手のワイヤーがぶつかって、僕の方は骨組みが曲がって、相手の方はワイヤーに当たったのですが切れなかったので良かったです。僕の場合は曲がっただけで、まだコントロールが出来たので、一瞬パラシュートをひらこうと思ったのですが、下がペンション街で落ちたら大変だなと思って、何とかコントロール出来るのだったらこのままランディング場まで行こうと思い、ランディング場まで行って、着地の時にガーンといったはずみで最終的にポキッと折れました。あの時は大会で点をとろうと欲張り過ぎたのです。もっと早くにランディング場に向かっていたら良かったのですけれど、ちょっと頑張り過ぎて、そこに不時着するしかないかなあと思った時によく見ると岩がごろごろしていて、ランディングの姿勢というのは立った姿勢なので普通は足を折ることが多いのですが、その時は準備をしていなかったので寝たままの姿勢で降りるしかなく、時速30キロぐらいで頭が岩にガチャンとぶつかって、ヘルメットの頭の部分はグシャとなっていました。僕の場合は5番がグシャとなっているので 4番と6番と真ん中の5番が固定できるように、腰から骨をとってきて前方固定でその三つをくっつける状態で止めてあります。今はこんなふうに自由に首が動きますが、最初のころは、なかなか 動かすのが怖かったです。

入院生活
 長野県で2カ月ほどそこで入院し、その後京都に病院があれば良かったのですが、大阪の星ヶ丘厚生年金病院で入院しました。そこで僕は大阪頸損連絡会と知り合うことになったのです。大阪のリフター補助をしてもらったので大阪との縁は切れないなと思い、いまだに大阪と京都の両方の会員になっています。
 兵庫県立リハビリテーションセンターに9カ月ほどいましたが、そこの訓練課で三戸呂さんと同じ部屋になり、三戸呂さんに色々な所に連れてってもらうようになって、あちこちに出られるようになりました。
 それまでは本当にベッド中心の生活だったので、さあこの後どうなるかなと心配なのが三つありました。1つめは、また家族と一緒に家に戻って生活が出来るかな、2つめが、仕事のこともあったので復職出来るかなと、3つめが、もう一度空を飛べるかなというその3つが心配事でありました。

ツインバスケット
 自立生活訓練をしながら三戸呂さんなどに影響を受けた一つは、ツインバスケット、キャロットというチームに入りました。バスケットの関係であちこちに遠征に行ったり、それから全国大会に行ったりするので飛行機に乗れるようになったり、訓練課にいる間は 3年間ぐらい長崎に行ったり新潟に行ったりとあちこちに行きました。最後に岡山に行った時には、車に乗れるようになっていたので車で行きました。ここに入ったおかげで、あちこちいけるようになり、チームの中には働いている人もおり、そういう刺激もあったなと思います。
 今は、肘の靱帯を痛めてしまったのでもうやっていません。それでもここでの出会いが大きかったなあと思います。

退院後の生活
 僕の場合は教員をやっていて、4年間休職が出来(これは県によって違う)、4年間まるまる休んで復職しようと考えました。通勤のこともあるので、何とか車の運転も出来るようにと練習させてもらって、復職しましたが、復職の前に家のほうを何とか住めるようにしないといけませんでした。僕の場合は前に住んでいた家が京都で土地が狭く20坪あったら広い方かなと思います。そんな家だったので1階がほとんどガレージみたいなもので 2階がリビング 3階に部屋があるという、なかなか住むのには大変だったので、生命保険を使い、新築を建てました。玄関が三枚扉で、開けたらリフターがありエレベーターと段差解消機で500万円ぐらいかかりました。

 一応訓練センターの時にベッドの乗り移りを練習したのですが、下りる方はまだ出来るのですが、登るときは何回も落ちたりしていました。もともと3人で寝る寝室にしていたのですが、僕は、夏は冷房ガンガンかけるし、冬は暖房ガンガンかけるので、そうなると子供の身体に良くないということで、子供とかみさんは 2階のほうへ逃げてしまって家庭内別居みたいな感じでこの部屋は僕一人で使っています。

 床に落ちたらどうするかというと、おーい、おーいと大きな声で叫ぶしかないです。落ちそうになっても叫ぶのですが、叫んでいるうちにずるずると落ちて行って、そんなことが何回もあったので、今はベッドに乗る時はリフターを使って、車いすに乗るのはなんとかまだ自分で出来ています。
 後トイレの時はズボンを脱いだりするのでどっちもリフターを使っています。排便は1人でしていますが、どうしても出ないときはかみさんに頼んで摘便をしてもらいます。

 パソコンは、昔はパットがないとダメでした。マウスでは使いにくいのでノートパソコンを使っていたのですが、でもノートパソコンは高く、グライダーのソフトを動かすのにノートパソコンのCPUでは限界があるのでデスクトップを買うことにしたのですが、どうしてそれに移行できたかというと、このキーボードです。普通のキーボードとは違ってノートパソコンと同じようなキーボードとなっていまして、結構探したのですがいくつかあって、これだったらデスクトップに移行できるなあと思って買いました。

教職への復帰
 僕の場合は、復職した時には同じように、8:30から 5:00ぐらいまでの勤務だったのですが、今は夜間学級と不登校の生徒集めた学校になっているので、勤務時間が 12:10 から8:40と勤務時間が昼からになっています。
 今は、京都市立の中学校で働いています。学校に入る時に経済的な問題とか在日韓国朝鮮人の方々が強制的に連れて来られ、勉強出来ず、小学校中学校を卒業できてないという方々がまだまだいまして、そのような50〜60歳、最高80歳ぐらいの方も、もう一度勉強したいと通ってきます。

 本来は6年勤務ぐらいで移動させられるのですが、4年目で怪我をして以来14年ぐらいこの学校に勤めております。だから僕は3校目なのですが、ここで退職を迎えるかなと思っています。
 この学校の便利なところは、吹き抜けがあって、2台車が止まっているのですが、この2台とも車いすの人間が使っています。全国的にも一校に二人の車いすの人間が務めている学校はないかなあと思っています。もう一人は、レベル的には脊髄損傷です。

 僕は、数学と理科両方免許を持っていて、もともと理科ばかり教えていたのですが、この学校が小規模校になってきて、数学と理科を教えるようになりました。

 学校は車を止めているところから、段差がなく夜間の生徒さんたちが足腰の弱い人たちが多いので、2階や3階に体育館や音楽教室などがあるので、前から要望して、やっとエレベーターをつけてもらい僕はすごく助かっています。エレベーター前の段差にもスロープをつけてくれたので、エレベーターを使えば、僕も何とか移動出来るようになりました。
 職員室も、そのままスッと行けます。机ともう一つとなりにパソコンを置く机と2台の机を使わせてもらっています。

 授業ですが、PowerPointを使っています。3学年で10人ぐらいです。白板や、電動のスクリーン、プロジェクターやスピーカーやスキャナーや、ペンタブレットなどもある環境で授業をしています。
 黒板を使うよりもコンピューターを使う方がはるかに便利なのですね。一つは書いたり消したりしなくていい。1クラスだといいのですが 4クラスも受け持つとなると、書いたり消したり結構大変なのです。後は絵や写真などを張り付けたり動かしたり出来るので、コンピューターを使う方が逆に便利な部分が多いです。しかも一次関数のグラフなどだと動いてくれるので、比例定数のAの部分がだんだん下がっていってゼロになったらまたマイナスになるとどうなるのだろうかというのが一目瞭然で分かるので、そうするとイメージがつかみやすいです。

 採点は何とかペンを持ってやっていますが、成績などはパソコンに入力しています。今は生徒の数が少なくスキャナーします(以前はコピーしていました)。それだと人に頼まなくても置きさえすればいいので助かります。紙もいらないし、PDAファイルにしておくと一目見るだけでどこが悪かったのかが、すぐに分かるので便利になっています。僕は必要なので使っていますが、必要なくてもコンピューターを使うと便利です。

 授業は、10人ぐらいなのでコの字型にならんで授業をしています。最近のプロジェクターがいいので前の電気だけを消せばしっかり映してくれます。学校は2部の関係もあるのでボランティアの学生さんとか支援員とかが来てくれるので授業そのものは前の一般の学生を教える時よりやりやすいし助かっています。

教師を挫折
 じつは、教師に一度挫折したことがあるのですね。昼の生徒は荒れてくると大変で、一つのクラスだったのですけれど、授業中立ち歩いたり教室を出ていたり階段をあがっていったりすると追いかけられないのです。あの時だけは僕も登校拒否になりましたね。またあんな事が起こるのか。例えば、いらないものを出していても取り上げることも出来ないし、相手に話し合う関係が出来ていたらいいのですけど、関係がこじれてくると逃げ回ったりするとどうしようもないです。そういう時期があって挫折したのです。
 ストレス解消に何かしなければいけないなと、グライダーの滑空場に初めて行きました。それでも土日飛んでスッキリしても、月曜を迎えると気持ちが重たくなって、感覚がないのに朝おなかが痛くなりました。自分も経験したので今の子供たちの気持ちもわかるかなと思います。

再びハンググライダー
 休職中の平日はおとなしくしていて、土日の休みに合わせて気分転換するためにグライダーに行きました。その時のことがあったので今でも通えるかなと思っています。今の忙しさで往復約250キロの土日行けるかなあというと少ししんどい時もありますが、行く習慣や、仲間も出来ていたので、今でも続けているのかなと思っています。そう考えると僕としては挫折したのは悔しいこともありますが、何かの巡り合わせがあったのかなと思っています。

学校での生活
 うちの学校は教育特区で作っている学校です。不登校の学生が転校してくるという形になります。夜間学級もあるので、人数的には 10人ぐらいに抑えて夜間学級との交流を深めていこうとしています。この時は3人ほど入学してきました。
 僕は、中間部の主任をしています。責任が重くなり、どうしていくかということを考えるようになると大変でしたが、やっぱりやりがいがあります。

 現場としては車いすの人間が来たことで、もしかしたらマイナスの部分があるではないのかとか、一人分働けないのではないか?と言われる部分がありました。
 前の職場では、僕は理科と数学を教えるようにしていたのですけど、理科はまるまる講師が来てくれ、その分1名プラスになっているし、僕がいるおかげで人数が増えたかなあと思っています。本当のことを言ったらそういうことをしてもらわないと厳しいかなあとも思います。
 こちらの学校に来てからは、パタッと色んなサポートが切られてしまいました。僕としては困ったのですが、今は理科も教えるようになってきています。人数も含めてアットホーム的な雰囲気です。

 面白い試みとしては、着付け教室を開き和服や浴衣を着て皆で祇園祭に行こうということがあり、僕もはっぴを着さされ祇園祭にも連れて行かれました。無理だと言っていたのですが、行けるところまで行こうと引っ張ってくれる教師が今年入ったので助かっています。言ってくれると僕も出やすいので頑張ってみようかなという気になります。
 実は今年初めて宿泊学習で淡路島にも行きました。マイクロバスの前の席に僕が座りました。もちろんリフターがないので車いすのところから後ろと前を抱えてもらって車に乗りました。遠足だと車いすが二人いるのでリフト付きのバスを借りるのですが値段が高いですね。淡路島では皆楽しそうにしていました。この時は10人中9人が参加で、一人だけこられなかったのですけれど、それまで不登校だった人たちがよく頑張っているなあと思いました。

 夜と昼のコラボでは、例えば調理実習などでは、チヂミや焼きギョウザや中華粥を作ったり、去年は水餃子を作ったりしました。おばちゃんたちが昼の生徒にいろいろ教えてあげたりして、凄く楽しみにしています。このような交流があるのがこの学校の特徴だと思います。だから全国的に夜間学級があるところや不登校の子も集める学級などもありますが、両方が交流している学校はうちぐらいだと思います。1から考えるのは大変でしたが一緒にやる取り組みをしていて交流を深めています。

やっぱり、グライダー
 先ほど言った挫折を味わった時に行き出して、今で4年ぐらいになります。今はきれいに整備されて、車や車いすでも行きやすいです。
 たいがいグライダーは、練習生が前に乗って教官が後ろに乗ってくれます。最初の体験搭乗の時は、教官が全部やってくれるので最初は遊覧飛行のつもりで乗ってもらえばかまいません。慣れてくると、本当はきちんと検査を受けて練習許可書をもらって練習を積み重ねるのですが、なかなか頸損の場合は航空身体検査に通らないので、体験搭乗をやらしてもらっているような感じです。
 僕は離陸のところからスティックを動かして上昇して着陸するところまでしています。ただ後ろにあるラダーという向きを変えるやつが足で操作をするのでこれは無理なので後ろの教官がやってくれています。これもワイヤーが通っていますからこのワイヤーに何かをくっつけて、車のアクセルブレーキみたいに、左手で操作をしながら右手でスティックを持てば一人で操作出来ます。
 手の効く人は、日本では少ないですが一人で飛んでいる人が何人かいます。上から見ると狭いのですが中は意外と広いです。移乗には抱えてもらって乗るパターンと、リフターを使って乗るパターンがあります。
 エンジンをかけているときは前に教官がいて、僕は後ろですからその時は全部教官にやってもらわないといけないので、普段は上昇気流をつかまえるためになかなか景色を堪能するまで行かないのですが、この時は遊覧飛行みたいに楽しめました。今となってはグライダーしか出来ないので、こういう形で伊吹山を見られたことは嬉しかったです。

 ケビンさんとは、たまたま僕がグライダーを始めたころに会いました。彼がカナダでグライダーをやっていて、その話しをしたのですが、カナダはやっぱり組織がしっかりしているので、フリーダムズウイングスというのが、車いすの人たちのクラブでグライダーも持っています。

 今まで、体験搭乗にも何人か来てくれていますが、会員になってくれたのは愛知の二人だけです。カナダみたいではないですけれど人数が増えてくればいいなと思います。

●シュミレーター体験中の小川さん↓

●平野さんへの質問コーナー☆
(川畑):グライダーの体験搭乗とかの費用はどのくらいかかるのですか?
(平野):体験はそこまで行ければ、一回3000円です。グライダーは一機1000万円弱〜2000万円ぐらいです。格納庫とか計器とかをたすと 2500万円ぐらいします。それを一人50万円ずつ出し皆でオーナーになります。僕も50万円を払っています。オーナーになっていると優先的に乗せてくれるのでメリットがあります。それはあくまでオーナーになったというだけで、なってない人もたくさんいるし、クラブで買ったり大学で買ったりしたりしています。普通10分までが3000円で、上昇気流をつかまえて長く飛んでいると追加料金が要ります。

(鳥屋): 1年間のなかでどのくらいの時期が体験出来るものですか?
(平野):ほぼ毎週やっていますが、天候によって休みになります。雪が降っていても飛べる状態でしたら 飛んでいます。
(鳥屋):行きたいと思った人は平野さんに連絡を取って一緒に行ったらいいのですか?
(平野):行けたら一緒に行ってもいいし、別に問い合わせて自分たちだけで行ってもいいし、ホームページに参加表明をするというところがあるので、そこに練習日程が書いてあればまず大丈夫です。体験搭乗は、あまりたくさん人が来ると申し訳ないけれども断ることもあります。

(大西):フライトに10分ぐらいかけるけれど、待ち時間は沢山あるのですか?
(平野):あります。結局順番に乗るので例えば30人が練習に来ていたとすると 30回飛べると一人一回、それが60回だったら 2回飛べますね。ただたくさん飛べるということは条件があまり良くなくて、滞空出来なかったから上がったけどすぐに降りてくるということです。
上昇気流をつかまえて 30分から1時間飛んでいると楽しいです。1時間も飛んでいると下から無線が入ってそろそろ時間ですよと言われるのでぼちぼち降りなければいけないかなと思いますが、僕の場合、50分ぐらい飛んでいることが何回かあります。

(鳥屋):身体の状態によって体験も乗るのが難しいとかありますか?
(平野):体験は大丈夫ですが、例えばワイヤーで引っ張るときに後ろにGがかかるので、車の加速どころではなく急加速で頭のところにささえがありますが、あまり不安定だと難しいかもしれません。電動でもたれている場合でも、もたれているところがあるので大丈夫だと思います。あまり座高が高すぎると頭が当たるので、腰を前に引くとかして調整します。
(石川):事故とかの危険性はないのですか?
(平野):僕もハンググライダーで事故をしていますので、事故が皆無かというとそうでもないですが、それをいかに回避するかということが大事です。ここのクラブはまだ一度も事故を起こしたことがありません。例えばよくあるのが、引っ張っているときにテンションをかけ過ぎると 索切れといって切れてしまうのです。それが上空まで上がっていると余裕をもって降りて来られるのですが、上がっている途中だとどうするかというとそういう時のために練習もするのですね。切れた時に慌てると落ちてしまうので機首を下げたり、まっすぐ行ったり、余裕があると周り込んだりして降ろすのですが、そういう時の緊急の動作も練習します。でないと一人では飛ばしてくれません。もちろんそれまでは後ろに教官がいるので、大概の事は教官がやってくれ後ろに責任者がいるので安心出来ます。

(石川):30分から 1時間ぐらい飛んでいると寒くないですか?またそれに耐えるのは大丈夫でしょうか?
(平野):寒いです。上空に上がるほど寒いのですが、しかし風が直接あたるわけではないので、ただ風は入って来るようになっているので、足元とかは冷えないように何とかしなければいけないのですけど、寒くなってきたら降りるしかないですね。でも1時間ぐらいでしたら防寒具などを用意していたらだいたい大丈夫ですね。1000m上がるたびに6°c温度が下がるといわれています。

(鳥屋):学校の先生の仕事は、準備時間とか授業以外のところがたくさんあると思うのですが、生活の中に食い込んだりすることはありませんか?
(平野):食い込んだりしています。テスト前になったら家でやらざるをえないので、テスト問題作りに土日がつぶれるとか、帰ってから寝るまで、次の授業の内容をPowerPointに打ち込んでおかないといけないので、それをしておかないと次の授業が出来ないので夜中の2:00ぐらいまでかかり、それが排便の日と重なると大変で 5:00ぐらいまでかかるので、排便の日は悲惨ですね。仕事などに行っていると僕の場合は下剤を飲んで9時間ぐらいで出すのがちょうどいいのですが、12時間を超えると出にくくて止まりにくい、めちゃくちゃ時間がかかってしまいます。仕事に出ると12時間以上たってしまうので、朝行く前に飲んで仕事から帰って来てからやるとなると時間がずれてしまいます。まだ何とかなっているのでいいですが、排便をするのに早くて2時間、遅くて5時間、シャワー浴を入れると 7時間ぐらいかかってしまいます。排便がいつ出来るのかなと思うのが週2回あるので大変です。いつもではないけれどテストの前の日とか採点をつけるとなると大変ですね。


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