2005年度活動日誌、活動予定ページをご覧ください。
まるで季節が逆戻りしたかのように肌寒かった5月12日。いよいよ国会で本格的な審議が始まった障害者自立支援法に「待った」をかけるべく、東京の日比谷公園に全国から9000名以上の障害当事者とその家族、支援者らが集まりました。午前10時からJD(日本障害者協議会)主催の「障害者自立支援法をみんなで考えるフォーラム」が日比谷公会堂と日比谷野音の2ヶ所で行われ、各障害者団体から熱のこもったアピールがありましたが、午後2時からは障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動が行われ、厚生労働省前に結集した障害者によって「私たちは闘うぞ!」「私たちのことを私たち抜きに決めるな!」「義務的経費に上限を設けるな!」といった不安と怒りと決意をぶつけるシュプレヒコールをした後、国会請願に向けてのデモがスタートしました。
出来が悪いのに仕上がりは早いこの障害者自立支援法案の慎重かつ継続した審議と公聴会を求めるために行なわれたデモですが、とにかく一人でも多くの方に私たち障害者の声を聴いてほしい。「地域で暮らしたい」という私たちの切実な“魂の叫び”が国会に届くことを願うばかりですが、そのために今後も我々障害者のパワーで国会、社会を動かしていかなくてはなりません。
この闘いはまだまだ続くと思いますし、全国各地でさまざまな取り組みが予定されてるんで、みんなで力を合わせて障害者の地域生活の確立、そして、安心して暮らせる未来を切り拓くために最後の最後まで闘っていきましょう。
各都道府県庁所在地を中心に、ビラまき・アピール活動、都道府県への申し入れ行動を全国一斉に展開しました。大阪頸損連はNPOあるるの行動に合流して、京橋でビラまきなどアピール活動を16時半から2時間ほど行いました。この京橋行動には全体で60名程の仲間が集まりました。
今年の全国総会in兵庫大会が先日5/7〜8、明石大橋のたもと舞子ビラで大盛況のうちに終えることができました。レセプションでは全体で140名を超える参加だったようです。地元兵庫を盛り上げようと集まられた近隣の皆さん、遠路はるばる集まられた皆さん、お馴染みの方に、初参加の方、皆さんお疲れ様でした。そして何より今大会の半年も前から大会実行委員会を結成し、準備に奔走された兵庫頸損連の皆さんに敬意を表します。
この兵庫大会には幾つかの目玉企画がありました。その1)誰もが参加しやすい参加費の大幅プライスダウン! その2)国際交流として韓国頸損者メンバーの招待。その3)総会時に支部トピックのプロジェクターを使った活動事例報告。そして、より身近なテーマを話題提供するために会員特別報告として「褥そう対策とシーティングについて」の報告。 その4)大会全終了後にオプションツアーとして希望者に神戸観光のご案内をする。
これらの企画を実現させ、大会開催を目標に頸損連絡会の活動をより活発に、セルフヘルプの活動の輪を広げていくためにと力をこめた結果、本当に多くの皆さんに参加いただけました。ありがとうございました。今後の兵庫の活動にも注目度5つ★です。大会シンポジウムの様子などは、またあらためて報告します。
以下、多数ご協力頂きましたボランティアの皆さんに、兵庫頸損連代表の三戸呂氏から一言お礼のあいさつです。
さる、5月7日、8日と二日間にわたり頸損連絡会の全国大会が神戸で行われました。参加された会員の皆さんからは大変有意義な大会であったと喜んでいただきました。その陰では多くのボランティアの方にお世話になり強力なご支援があったことは言うまでもありません。二日間で延べ106名の方にお世話になりました。関っていただいた多くの方のお陰で大会が成功裡に終えられたことに実行委員一同感謝いたしております。本当にありがとうございました。今後も何かとお世話になると思いますがそのときもよろしくお願いいたします。皆様のご健康とご活躍をお祈りし、先ずはお礼のご挨拶とさせていただきます。
5月14日星ヶ丘厚生年金病院で大阪頚損連絡会主催のミニフォーラムパート4が行われました。
会場はいつもと違い病院内新館2階会議室。午後2時を少し過ぎたあたりで、延澤さん司会進行によるミニフォーラム開始です。最初に鳥屋さんが大阪頸損の活動説明、「街に出よう」等を紹介、プロジェクターを使って写真で車椅子での電車の乗り降りや全国総会のゲストとして招いた韓国の頸損の方を紹介しました。
続いて、すごく緊張していた松宮正直さんの経験談です。役員として彼を見ていると明るくて、感じが良くて、気持ちのいい人なのにやっぱり障害を受け入れるまでに時間を必要とするんだなと少し複雑な思いで聞いていました。なぜなら彼は僕も目標だからです。障害者としてのコンプレックスが抜けていないんです僕。でも、免許を採るための教習所探しや彼女ができたこと、職業訓練校受験勉強など話を聞いているとやっぱり松宮君は松宮君でした。
少し休憩を挟んで、大西陽子さんの経験談です。彼女は受傷前は訪問看護婦として母親として妻としてボランティアなどに寝る間も惜しんで動いていたそうですが、受傷して看護する側から看護される側に代わって「神様が私にゆっくりする時間を来れた」という表現をしておられてびっくりしました。もっと恨んだり嫉んたりしてもバチは当たらないようなお話しでしたが、そう思うのは僕がまだまだ小さいからですね。
大西さんの壮絶な話が終わって、今日のパネラー2人に質問タイムです。
質問:「障害を受け入れるまでにどれぐらいかかりましたか?」
答え:大西さん「受傷して、家族、とくに夫との絆がより深まりました。」と聞いて会場が少し笑い交じりに和みました。
最後に交流会、皆さんの前では話せないことや質問できないことも、お茶やケーキを食べながら個人個人話をするとやっぱりいろんな話が出てきます。当事者もそうですが、家族もまだまだ障害を受けるられない状態であること、金銭的な不安、行政の態度など話し始めればきりがないです。
今回感じたことは自分がそこをだいぶ前に通ったからといって余裕で聞いているとダメなんだと思いました。今そこで、大変な思いをしている人は、いくら当事者が大丈夫と言っても、「はいそうですか」と聞ける話ではない。ということを肝に銘じてこれからの活動に参加していきたいと思います。
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