2008年度活動日誌、活動予定ページをご覧ください。
9/23この頸損ピアサロンは、当事者から当事者への語りかけ、そして聞き合おうという企画。今回第1回目は会員の猿木さんをお招きし、お話をうかがいました。猿木さんは学生当時、関西学院大アメフトチーム「ファイターズ」の名クォーターバックで甲子園ボウル5連覇を引っぱっていたスター選手でした。試合中の事故で頸損となり、そこから第二の闘いの人生が始まりました。闘いのない人生はつまらない、そのとおりの生き方をされてきました。受傷後に税理士の資格を取り今も開業され活躍されています。そして同時に車椅子でアメフトのコーチをされていた頃もあり、またこの数年は無年金障害者問題への取り組みも精力的にされています。そんな猿木さんから、約30年前の受傷当時の話からこれまでの道のりを、聞き手役A.T.さん(※本人希望によりイニシャル表記)の進行で聞かせていただきました。22年前にNHKドラマ人間模様「妹」で猿木さん役を演じる当時若き柳葉敏郎さんの出ているシーンをスクリーンで一部紹介すると、会場からは「懐かしい…」などの声も聞かれました。終了後、久しぶりの交流会も行った秋のとある一日でした。【鳥屋】
朝から雨。しかも本降り。昨日の天気予報は昼ごろから降り出すようなニュアンスだったので、これほどの天候の崩れは予想外だった。朝早くに宮野君から中止の電話が入る。兵庫のバーベキュー大会は雨に祟られることが多い。一昨年も本日同様本格的な雨で中止となった。一体雨男はどこの誰やら。思い当たる顔が一、二名浮かんだりはするのだが。
一応メーリングリストや電話で中止の案内を流したが、知らずに現地に向かう人がいるかもしれないので、会場の『ココナッツ・ガーデン大蔵海岸』に向かう。十一時過ぎに最寄の朝霧駅に着くとボランティアの神戸学院代の学生が五名集まっていた。他の会員スタッフは来ていない。宮野君に電話をすると、明石に急遽部屋を確保したので、そこで集まって簡単な懇談会を開くことになったとのこと。こちらに向かっている一名を除いて、スタッフや雨の中集まった参加者はそこに集合しているらしい。ほどなくその一名、脳天気なくせに雲を呼ぶ雨男その一、兵庫頸損連会長三戸呂さんが到着。改札前と駐車場前の二手に分かれて十二時まで待機することになった。私はボランティア三名と一緒に駐車場前に向かう。
雨はさらに強くなってきたがバーベキュー会場は営業中で、結構な人数が楽しんでいる声が私達のいる外にまで聞こえていた。隣接する駐車場にも時々車が入ってきて、食材などを運び出していく。駐車場入口付近で十二時まで待ったが結局参加者と思しき車は確認できず、改札に戻る。改札組と一緒にホームに向かう途中、電動車いすの男性とすれ違い、気付いた三戸呂さんが尋ねてみるとバーベキュー参加者だった。一緒に明石に向かうことになった木村さんというその方は、チラシを見て大阪から参加してくれた。
一駅先の明石で下車し、駅前の商業施設である『アスピア明石』へ。この中に今回急遽会場となった会議室がある『あかし男女共同参画センター』が入っている。兵庫頸損連の行事ではよく利用する施設である。ちょうど昼時なので、まずは同じくアスピア明石内にある讃岐うどん店に寄ると、先に集まっていたメンバーが食事をしていた。その中に――やっぱりいた。見た目は晴れやかな頭が雲を誘う雨男その二、大阪頸損連事務局長鳥屋君が。今日の中止はこの雨男二人のせいということにしておこう。
食べ終わって出て行くメンバーと入れ替わりで取った昼食後、遅れて私達も会議室に入ると、ちょうど懇談会が始まったばかりのようで、自己紹介の最中だった。それにしても大勢集まっている。ボランティアや介助者を含めると、三十人ほどいるだろうか。私達がうどん店に着いたときにはすでに会場に入っていた参加者も結構いたようだ。雨にもかかわらずこれだけの人が足を運んでくれたことに素直に驚いた。裏を返せばスタッフの中止の案内が不徹底だったことの表れでもあるのだが。
今回の参加者で特筆すべき方は生越さん。鳥取は倉吉から特急列車で朝早くに発って明石まで来てくれた。雨天中止が残念だとお声をかけると、皆さんとお話できてよかったと笑顔で応えてくれた。その他、宮野君同様兵庫の山間部から参加してくれた多田さんや、初参加の山本さん、もちろん池田さん、米田さん、Tさんといった人工呼吸器使用者もしっかり顔を揃えている。とくに米田さんは、食材調達など準備に奔走してくれただけに、中止になったことは返す返す残念なのだが、参加者やボランティアさんの学生さんが楽しそうに懇談している会場を見ていると、これはこれでよかったかなとも思えてきた。
一方で、中止の報を知って参加を取りやめ、今回の即席懇談会に加われなかった方には申し訳ない気持ちもある。こんな集まりがあるのなら行けばよかったとお思いの方もおられるはずだ。中止の場合どう対応するかを事前に決めておくことが、今後の課題となるだろう。ともあれ、次回は晴れてほしい。以上、二〇〇八年十月五日の出来事であった。
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