大阪頸髄損傷者連絡会主催・春のフォーラム

「マイ・ライフ、マイ・ブレス
- My Life, My Breath -」

〜頸髄損傷による人工呼吸器使用者からの発信〜

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現在うちの一週間は六人の市のヘルパーと四人の介護人、その合間を家族が埋める形でどうにか回っています。ですが呼吸器の存在は24時間の監視を必要とし家族への介護の負担は常にピークの状態です。それでも右も左もわからぬまま在宅に入った時よりいくらかは改善しました。




8年前、病院からそろそろ在宅に移ることを考えてはどうか?と切り出されたのが始まりでした。そのころようやく頭を固定する金具を外したころで萎えきった首は支え無しではがどちらかに倒れてしまう状況で本当につれて帰れるのか?まるで青写真の描けないまま両親は在宅に移る準備を始めたそうです。住吉の府立病院から吹田の自宅へ帰るため近くの病院を片っ端から当ってみるものの呼吸器を理由に断られどうにか攝津医誠会病院と相川病院のふたつで三ヶ月を限度に預かってもらえることになりましたが今後のショートステイ先は見つかりません。94年3月から攝津医誠会病院に転院してその間に家を改装して必要な市の手続きを済ませてしまい6月23日に家に帰りました。




家での悩みはどうやって人を集めるか、教育するか、割り振るか、一週間の介護サイクルを維持していくのかそれにかかりきりになってしまったこと。24時間介護のうちの多くをしめる監視の部分を家族中心に時間は少ない実働の部分を介護人を充てるのが基本方針にもかかわらず満足のいく頭数が揃いませんでした。空いたところは家族が埋めるため二重の負担になります。悪循環に陥れば家族が倒れかねない、しかしショートステイ先はない、介護サイクルの維持が死活問題となっていました。

行政の在宅向けのサービスでヘルパーを利用していますが吸引、医療行為はしてはいけない、清拭などの身体介護も家族の補助が原則で任せきりにはできません。とかく制限が多いのが難点ですが時間通り来てくれる心強い存在です。




今後の希望としては介護人の教育、派遣、引継ぎのフォローまでする人材派遣業務と一週間の介護サイクルをコーディネートしてくれる役職、これらを当事者である障害者の主導で制度化すれば少なくとも現場も知らない医師会や厚生労働省がいまだに解釈通知を出しつづけている介護保険よりもはるかにまともな障害福祉制度ができるはずです。

しかしそれも家族主体の在宅介護が続けられたらの話、この八年がもう八年やれるか?かなり懐疑的です。たとえショートステイ先があったとしても在宅の基盤がなければ意味がありません。やはり生活の場としての呼吸器利用者でも入所できるグループホーム事業を国なり大阪府なりに始めてもらうしかないと思っています。


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