大阪頸損連絡会主催 2002会員ミニ勉強会シリーズVol.4

「介助者の入った生活」を語り合う勉強会

講演録追加(03.3.26)

詳細・写真追加(02.11.20)


2002年11月16日(土)、大阪市長居障害者スポーツセンターにおいて、2002会員ミニ勉強会シリーズVol.4「『介助者の入った生活』を語り合う勉強会」が行われました。介助者による自立生活を実践している4人のパネリストの皆さんからの報告のあと、質疑応答が行われ、参加者の皆さんからさまざまな質問が出されていました。また、(財)新産業創造研究機構の協力により新開発された環境制御装置のデモンストレーションも行われました。

会場の様子
会場の様子
質疑応答
質疑応答
環境制御装置
環境制御装置

当日の資料より

  1. プロフィール
    • 1952年奈良市に生まれる。
      1971年3月、奈良県立王寺工業高校卒業。

      4月、株式会社神戸製鋼所(茨木工場)入社。
      1975年4月、オートバイ事故により、大阪市の行岡病院に入院。
      首を骨折し、全身麻痺となる。
      受傷名「第5/6頸椎脱臼骨折による頸髄損傷」
      1978年5月、退院。実家に戻り、両親の介護にて療養生活開始。
      1996年1月、障害者問題研究会に参加。

      4月、市内のアパートに転居して自立生活を開始。

      7月、市営住宅に入居。
      1998年6月、地域生活支援センター「創ゆう」副代表になる。
      2001年9月、「創ゆう」退会。
      2002年6月、サポート24に参加。現在に至る。
  2. 介助者を使うために利用している制度について
    • ホームヘルパー、全身性障害者介護人派遣事業、24時間巡回サービス、訪問看護、訪問入浴、送迎入浴、
  3. 介助者の入った生活をするようになったきっかけ
    • 父親が病気入院したことで将来が不安になり、自立を決意し、自宅を出てから。
  4. 介助者の入った生活の良い点
    • 両親の介護の負担がなくなった。
  5. 介助者の入った生活の不便な点
    • 他人に生活の全てを覗かれているような気持ちになる。
  6. 今後の展望、希望、目標
    • 重度の障害者でも自立できることをたくさんの人に知ってもらう。
      同じ住宅内に住む障害者と連携して地域とのコミュニケーションを図ること。
  1. プロフィール(介助者も入った生活暦)
    • B(25歳) 受障暦13年。
      介助を利用して10年。
      一人暮らしをはじめて三ヶ月。
  2. 介助者を使う為に利用している制度
    • ホームヘルパー=週18時間。  全身性=月153時間。
  3. 介助の入った生活をするようになったきっかけ
    • 退院後、お風呂介助にホームヘルパーを利用するようになり、三年ぐらい前にガイドヘルパーも利用するようになった。その後、大阪市に引越し、全身性・ホームヘルパーを利用する。
  4. 介助の入った生活のよい点
    • 自分の好きなように出来る。
  5. 介助の入った生活の不便な点
    • 一人暮らしを始めて三ヶ月なので生活のペースがつかめないのが・・・。
  6. 今後の展望、希望、目標
    • ・・・。
  1. <プロフィール>
    • C 守口市在住。
      1980年10月
      高3の体育の授業中に跳び箱から転落、首の骨を骨折。大阪回生病院に入院。「第5・6頚椎脱臼骨折による頚髄損傷」と診断。
      1982年3月
      星ヶ丘厚生年金病院に入院。リハビリを受ける。
      1983年7月
      退院。在宅生活に入る。
      1986年12月
      車椅子住宅に姉妹3人で入居。(守口市)
      1995年5月
      自動車運転免許を取得。
      1996年1月
      一人暮らしを開始と同時に、訪問看護、ホームヘルパー利用開始。

      4月
      大阪市身体障害者職業リハビリテーションセンター(平野区)に通い始める。
      1997年3月ガイドヘルパー、配食サービス利用開始。
      11月
      (株)ジャストミートコーポレーションに在宅社員として入社。現在に至る。
  2. <利用している制度>
    • 守口市派遣のホーム・ガイドヘルパー、全身性・・・制度が無いので、姉(実姉・兄嫁)を市登録ヘルパーとして利用。
    • 訪問看護ステーション。(週2回)
  3. <きっかけ>
    • 姉の結婚と妹の独立。
  4. <良い点>
    • 身内の身体的・精神的負担と私自身の精神的負担が軽減された事。
    • 身内も登録ヘルパーとして入る事で、私自身の精神的負担が軽減された事。
  5. <不便な点>
    • 同じ事を頼んでも、同じようにはしてもらえない事。介助者の性格や、考え方で随分違いが出る。
  6. <今後の展望・希望・目標>
    • 希望
      • 利用者自己負担を軽減してほしい。
        所得に応じての負担額がおお過ぎる。
        ホーム・ガイド・・・現在負担額 1時間650円
        週 14・5時間利用  ひと月 約4万円負担。

        他に 訪問看護利用料 ひと月 3200円。
        配食サービス
        ひと月 7000円前後。
      • 祝祭日も利用できるようにしてほしい。ハッピーマンデーのお陰で利用できない時が多い。
        生きるために必要なサービスなので、利用者負担を少なくしてほしいものです。
    以上
  1. プロフィール
    • 1950年(S25年)兵庫県篠山市に生まれる
      79年(S54年)社会人ラグビーの試合中に頸髄を損傷する
      81年(S56年)兵庫県和田山町にある療護施設『真生園』に入所する
      82年(S57年)『真生園』を退所し、大阪府堺市にある府立身障センター付属病院にリハビリのため入院する
      84年(S59年)府立身障センターを退院し篠山市に戻る
      85年(S60年)全国頸髄損傷者連絡会に入会する
      87年(S62年)大阪頸髄損傷者連絡会会長に就任する
      92年(H4年)旧篠山町社会福祉協議会に採用される
      大阪頸髄損傷者連絡会会長を退任する
      95年(H7年)旧篠山町社会福祉協議会を退職する
      兵庫県立総合リハビリテーションセンター中央病院にリハビリのため入院する
      96年(H8年)中央病院を退院し、自立生活訓練センターに入所する
      2001年(H13年)兵庫頸髄損傷者連絡会設立準備室代表に就任する
      02年(H14年)自立生活訓練センターを退所し、明石市大久保町で自立生活に入る
  2. 介助者を派遣するために利用している制度
    • 全身性介護人派遣制度(120時間/月)
      巡回型ヘルパー(30分/日)
      入浴ヘルパー(1.5時間/日×3日/週)
      ガイドヘルパー派遣事業(必要分)
  3. 介助者の入った生活をするようになったきっかけ
    • 母親の介助で在宅生活をしていたが、母が亡くなり施設入所も考えたが仕事も続けたかったので、友人や、役場の保健師(婦)さんの自主的な協力で在宅生活を続けた。しかし、役場も無視できなくなり施設への入所準備が本人不在のまま進められていた。施設の空き待ちのため、県立リハセンター中央病院に入院しリハビリを受ける事になった。8ヶ月の入院を終え県立リハセンター内にある自立生活訓練センターに入所し、退所後の生活を考えているとき幸運にも現在の住宅に入ることが出来た。
  4. 介助者の入った生活の良い点
    • 多くの人と知り合いになれること。
      規則正しい生活が出来ること。
  5. 介助者の入った生活の不便な点
    • 時間に拘束されること。(規則正しい生活の裏)
  6. 今後の展望、希望、目標
    • 来年度の制度変更による問題点がクリアできるかどうかにより、現在の生活が変わることの不安。
      また、介助者の新たな開拓も含め、派遣事業が出来るよう事業所設立も新たな目標になる。
  7. 一言
    • 一人暮らし、自立生活は今転換期に来ていると思います。拠点となる住宅をいかに見つけるかが最初の壁になります。そして、介助者を見つける手段です。自薦登録が原則の介護人派遣制度では、自分で介護人を見つけることになります。見つからなければ生活が出来ないのです。これはおかしなこいとです。
      もう一度自分の生活を見直してみませんか。
大阪頸損連絡会 会員ミニ勉強会
介助者の入った生活
本日のプログラム
13:30ごあいさつ
13:35パネリストによる発表
A さん
B さん
14:20休憩
14:30パネリストによる発表
C さん
D さん
15:20休憩(ティータイム)
15:30みんなでトーク&ディスカッション
16:30感想用紙記入
16:40勉強会終了
16:50交流会
17:50交流会終了

主な予定内容


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