2.全国総会・大阪大会を振り返って 頸損だより2018秋冬合併号(No.147・148)

2020/07/15
 
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頸損だより2018秋冬合併号(No.147・148)

2.全国総会・大阪大会を振り返って

PDF 23-2018年 全国総会・大阪大会を振り返って

大阪頸髄損傷者連絡会
大会実行委員長 赤尾広明

 振り返ればあっという間に過ぎ去った1年でした。すべてのはじまりは2017年の6月11日に発足した全国総会大阪大会実行委員会。この日に行われたキックオフ会議から全国頸髄損傷者連絡会総会大阪大会(以下:大阪大会)に向けての準備がスタートしたのです。
 月1回のペースで会議を積み重ね、お互いに意見を出し合いながら、大阪らしい“おもてなし”満載の大阪大会にしようという意気込みでシンポジウムのテーマ立案からレセプションの余興内容検討、協賛企業や学生ボランティアの声かけ、会場となるホテルとの打ち合わせ、会場までのアクセス調査、配布資料の作成やボランティアのマニュアル作り等々、それぞれがそれぞれの力をフルに発揮できるように役割を分担し、大阪大会経験者も初参加者も緊張しながら本番当日を迎えました。その結果、多くの方に楽しんでいただくことができたように思います。

大阪大会の中でも初日のシンポジウムは力を入れました。実は2014年の兵庫大会で「頸損になってからの人生のロードマップ作り」という壮大な構想が浮上し、受傷後の過程で多くの人が直面する課題や難題を解決に導くためのネットワークがあれば役立つのではないかと話し合っていたのですが、今回、シンポジウムのテーマとして「人生のリカバリー」を掲げたのはそんな構想が発端にあったのですよね。人生は頸髄損傷になって終わるのではなく、そこから先も長く続くわけですが、いかなる問題に直面してもすぐそばにエキスパートがいればクリアできるかもしれません。障害を負った人生を気持ち少しでも前向きにリカバリーするためには本人の意識改革だけでなく支援者のサポートも不可欠だと僕は思うのです。自分自身も障害を宣告された瞬間は絶望的で激しく落ち込み、劇的な変化を受け入れられませんでした。でも、心境が大きく変容するきっかけがあって現在の自分があります。その過程では家族や友人知人の存在は大きく、逆に支援者がいなければ今でも自分の殻に閉じこもったまま孤立し、惰性で生きているだけだったかもしれません。
皆それぞれ立場や状況も異なる頸損者から受傷当時のエピソードを交えながら障害受容のきっかけをお話いただいたことで、皆それぞれ違って当たり前だけど、皆それぞれの物語一つ一つが心に響きました。これからも頸損者をサポートしていくにあたって、もっと身近に感じられる存在として寄り添いながら、地域生活に必要な情報提供および共有ができるネットワークの構築に努めていきたいと改めて実感した2日間でした。
 参加してくださった皆様にはこの場を借りてお礼申し上げます。
 ありがとうございました。


大阪頸髄損傷者連絡会
統括責任者 島本義信

○大会準備
 2017年3月の代表者会議で手を挙げて6月にキックオフ会を開き大会に向けて準備をスタートしました。個人的には10年前の大会の準備中に頸損連に入会し、よくわからないまま実行委員スタッフに引きずり込まれ(!?笑)シンポジウム会場のレイアウトや受付など、できることを手伝っていた記憶があります。

 今大会では兵庫頸損のメンバーの協力を得て、キックオフ会の翌月から実行委員会を月に1度のペースでスタートしましたが、大会直前の3・4月には毎週集まるハードなスケジュールになってしまいました。準備でやるべきことについては10年前の資料があり参考にすることができたのでとても助かりました。ここ数年の全国大会では、1日目がシンポジウム、総会、レセプションで、2日目はゆっくり観光などを楽しむ企画となっていました。今回は初日にシンポジウムとレセプションでたっぷり楽しんでいただき、翌日に総会と観光を企画しハードですが楽しい時間を過ごしてほしいとの思いを込めて準備をしました。
 大会の参加者をどのようにお迎えするかを検討すると同時に、参加費の検討も重要で多くの方の協力を得てリーズナブルな会場や宿泊先に決めることができました。シンポジウムの会場費用を確保するために、助成申請を3件分提出し決定が出るまではドキドキもので、結果は2勝1敗の成績でした。複数の助成が不可だったので2勝のうち1勝は泣く泣く辞退することになりましたが、それでも会場費を賄うことができとても助かりました。助成申請先については大阪市社協の助成金情報から、ひとつずつどんな目的や地域が助成の対象になっているのか、過去の事例などを参考に応募先をさがしました。
 ボランティアの募集は医療系・福祉系の大学や専門学校に2月から声掛けを始め、実際に学校へ足を運び、学生たちに直接募集しに行く中で出会えた学生の参加者が多く、行動して知ってもらうことの大切さをあらためて再確認しました。この繋がりをこれからも続けて、頸損者のことを少しでも学生たちに知ってもらい社会に仕事にいかせてもらえるような関係を保とう考えています。

○大会当日
 全国大会のテーマは「人生を回復するための頸損連の役割」で、大会初日のシンポジウムには予想を上回る167名の参加があり、参加者の中にはHPやFBの情報から来場された方もおられ多様な発信があるんだと感じました。

 交流会レセプションにも120名の参加がありました。レセプションと言えばコスプレ、コルプレと言えば大阪大会との期待を裏切らないいでたちの実行委員が、歌やダンスでおもてなしの気持ちをあらわし良いひと時を過ごしていただけたのではと感じています。

 翌日の総会では各支部からの活動報告や予算について承認され、同時に全国頸髄損傷者連絡会の会長、事務局長が世代交代し新会長には東京の鴨治さん、新事務局長には兵庫の宮野さんの就任も承認されました。午後のオプション企画にも37名の参加者があり、17時にみなさん帰路につかれましたとの報告をもらい、2018年度の全国大会が終了しました。

 後日談ですが女性の集いも13名の当事者が集り普段話せないことが話せてすごく良かった、今回参加したかったができなかった、との声が多くよせられたことから、これから大阪頸損連の中でも女性障害者に関する課題整理や声を出せる場の設定など、ゆっくりと目標を持って進めていきたい。との報告もありました。

○終わりに
 参加者への事前のレスポンスの悪さなど、至らない所は多々あったかと思いますが、大きなトラブルやアクシデントがなかったのは何よりで、実行委員スタッフ一同、安堵感と同時に感謝の気持ちでいっぱいです。大会にかかわってくださった皆様には、この場を借りて心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
 次回は九州大会が予定されています。大阪からもガンガンみんなでおしかけませんか…?!


大阪頸髄損傷者連絡会
アクセス担当 杉本真一

 大阪大会を振り返ってということで、一言で感想を述べさせて頂くと、「『あつ』という間に2日間が終わってしまった…」に尽きます。それだけ、大会期間中に大きなトラブルもなく、順調に推移できた表れだと思います。約1年間に渡り準備してきた甲斐がありました。
 今回、私はアクセス担当でしたが、第2部のシンポジュウムのコーディネーターを務めることになったため、そのシナリオ作成等に傾注してしまい、アクセス担当の作業については、兵庫頸損連の宮野さんを筆頭に、メンバーに頼りきりになってしまいました。本当に申し訳ございませんでした。
 さて、まずアクセス担当グループは大会開催にあたり主要ターミナルのアクセス調査を行いました。なお、私は新大阪駅及び難波駅の調査担当となりました。
 まず、新大阪駅では新幹線の改札口から地下鉄御堂筋線までのルートを確認しましたが、以前にはなかった新しいルートも増設されており、車椅子利用者にとってあまり評判の良くなかった新大阪駅も少しずつですが改善されていることが実感できました。
 また、難波駅においても御堂筋線から千日前線への乗り換えがエレベーター1回ということで、スムーズなアクセスが可能となっていました。

 ただ、今回はアクセスメンバーの人数の関係上、どうしても両駅に誘導係を配置することができませんでした。参加者にご迷惑をお掛けすることになり、重ねてお詫び申し上げます。
 最後に、今回も学生ボランティアには非常に暑い中、会場までのアクセス誘導をして頂きました。この場をお借りして深く感謝申し上げたいと思います。本当に有難うございました。


大阪頸髄損傷者連絡会
受付担当 石川真樹

 僕は小さい頃から目立つとか仕切るとかは苦手なタイプで、実行委員とかになった記憶もないのです、学生の時は、その他大勢に紛れて隙を見つけてサボってたかな。47年生きてきて大規模な催しの実行委員を初めてする事になり、右も左もわからずで、実行委員会に半分くらいは参加させて貰ったのですが、最後まで流れがつかめず迷いっぱなしでした。
 受付担当になったものの担当が一人で、細かいイメージが全然湧かないし、相談しようにも何を誰に相談していいものかも分からず、貰ったスケジュール表とにらめっこしながら、少ない脳みそをフル回転させていたら低血糖と貧血がひどくなりフラフラに。目に見えぬプレッシャーに押し潰されていたのでしょうね、きっと。なので大会直前はしんどくて、実行委員会も休みがちになってしまって、でも当日はもう開き直って走り回りました。ボランティアの方々が慣れていて、ちゃんとやってくださったので事なきを得ました。
 学生ボランティア80人分の電車賃を精算する係でもあって、最近は電子マネーで

 電車賃を払うので、皆お釣りを持ってなくて超大量の小銭と千円札に振り回されました。いつもの大阪頸損の学習会とかでは受付した事あるのですが、そんなに複雑ではないので…。
 今回はコースが5つも6つもあったので複雑でややこしかったです。
 僕は会計担当なので、2日目は受付終わってからホテルへの残金支払いのお金をゆうちょ銀行を探しておろしに行ったり、最後のオプション企画迄バタバタでした。
 結局最後まで会場の中に入れずに終わってしまったのが残念ですね。


大阪頸髄損傷者連絡会
設営担当 岩本泰嘉

 今から10年前の2008年5月に大阪大会があるのでWordとExcelを使えるのであれば少し手伝ってもらえないかと打診があり、自宅で暇を持て余していたので、承諾したのを思い出しました。それから少しずつ大阪頸損連の手伝いを始め、振り返れば8年前から大阪頸損連の役員会部員メンバーを務めています。
 10年ぶりに全国総会大阪大会を開催するにあたり、おのずと実行委員メンバーになった訳ですが、何から始めたらよいのか見当もつかず大阪頸損連の実行委員メンバーも経験した人はごくわずかで、兵庫頸損連の方々が協力していただいたのはすごく助かりました。約1年間にわたり実行委員会の会議を何度もおこない、当初は経験した方がいるので何とかなるさ!と楽観的に考えていました。その後、役割の担当を振り分けて進んでいきましたがどんな大会になるのか見えていませんでしたが、年末あたりから見えてきて事の重大さを知りました。
僕は主にシンポジウム会場・レセプション会場・全国総会会場の設営担当になりましたが、10年前の資料から図面があったので、それを参考にフリーソフトのCADをもがき続ける事1ヶ月で何とか素人としては使いこなせる様になりました。その後、ホテルの会場調査に行き、会場内やロビーなどの寸法を測り、シンポジウムの会場は10年前と比べると今回は狭いので車いすと介助者の一枠寸法を最小限にして、講演するスペースや通路幅、一般客席や協賛企業展示スペースなど余裕を持って作成すると、想定していた人数では足りない事が分かりその後何回も修正し、またホテル側にもメールや電話で情報交換を重ねていき、図面作成の期日を参加締め切り1週間後に決めていたので、次の作業に取り掛かる事が出来ると思いきや、その後も次々と参加者が増える次第。増える事は大阪大会をするにあたり喜ばしい事なのですが、大会4日前にようやく図面作成ができすごく苦労しました。

 当日シンポジウムの設営には兵庫頸損連の島本卓さんにも手伝っていただき、僕は参加者座席のブロックマーキング(床に養生テープを貼って区切る)をするにあたり、ホテル側がある程度一マスずつマーキングテープを貼っていて下さっていたのですごく助かりました。その後のレセプション会場や2日後の全国総会会場も図面どおりにテーブル・机・イスを配置していただいたので助かりました。

 初日のシンポジウムには167名の参加があり、会場内誘導など学生ボランティアに手伝っていただきましたが、僕は指示の仕方に慣れていなかったので、その点は反省しました。その後のレセプションや全国総会も大きなトラブルがなかったのは何よりで、2日間の大会はあっという間に終わり、余裕がなかったのが悔やまれました。
 大会にかかわっていただいた皆様には、この場をお借りして感謝申し上げます。有難うございました。


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