松崎有己さん追悼文 頸損だより2017冬(No.144) 2017年12月17日発送

松崎有己さん追悼文

大阪頸髄損傷者連絡会 東谷 太

 松崎君との出会いは、僕がピア大阪で働き始めて間もない頃(1994年頃)、僕もお世話になった星ヶ丘厚生年金病院の作業療法士の岡先生と松崎君と家族がピア大阪に来られたのが始まりでした。

 当時の自分は、活動し始めたばかりだったため、まだ自立支援の実践もなかった訳だけど、自立生活の良さを伝えたいという思いだけは強く持っていたし、目の前に居る松崎君を見て、自分と同じ障害の若者に自分と同じ経験をさせてはいけないという思いが溢れてきて、自立の必要性を自分の経験を通して熱く語っていました。でも、当時の松崎君は、そんな僕の思いを、まるで他人事のように受け流すようなリアクションだったため、僕の思いは空回りし大きなダメージとなって僕に返ってきました。(笑)

 それから数年後、松崎君から電話があり「福井で自立することを模索してきたけど、福井では、たとえ制度やお金があったとしても人が居なくて自立できないので、大阪で自立を考えたい。手伝ってもらえないか。」というような相談があり手伝うことになりました。とはいえ、僕は制度の説明と家探しを少し手伝った程度で、ほとんど松崎君自身のセルフマネジメントで自立生活がスタートしました。その後、時々、ピア大阪に来てくれ相談に乗る中で、(株)ユーダや中部障害者解放センターに繋がり、ちゅうぶのサポートで非定型の支給決定を受け介助体制も安定していきました。

 というような経過があるものの、僕と松崎君は特別仲が良かったわけではなく、断片的な思い出しかありませんが、やっぱり同じ頸損の仲間ということもあってオールラウンド交渉等、障大連の活動などで、彼がちゅうぶの一員として活動に参加している姿を見ると嬉しくなるし、声を掛けたくなっていました。たまに、ナビの事務所に伺った時も、大きな電動車いすでパソコンに向かって作業している松崎君を見つけると、近寄って行き、ちょっかいを出していました。(笑)

 今回、癌が発覚し連絡をもらった時、「誰かに伝えなければいけないと思った時に最初に浮かんだのが東谷さんだったので、一番に連絡させてもらいました。」と言ってくれました。

 その時、松崎君は「頸損になった時のほうがショックが大きかった。」と言ってたようにある程度吹っ切れてた様子で、むしろ僕がショックを受けているようすを楽しんでいたような気さえするほど、ことの重大さとはかけ離れて重苦しさのない普通の口調で報告してくれました。

 振返って思うことは、彼の最後の言葉にあるように中途障害者として、もがき苦しんだ時期はあったと思うものの、制度が不充分な頃から自立生活を実践し、交通まちづくりの課題への取り組みや、頸損連やちゅうぶの通信の編集等、彼の能力を活かす活動もできてきたし、彼独特のこだわりも貫き通した良い人生だったのではないかと僕は思います。ただ、それでもやっぱり早すぎる死は残念でなりません。


頸損連での松崎有己さんを偲んで

大阪頸髄損傷者連絡会 鳥屋 利治

 僕が松崎さんと出会ったのは16年前の2001年、彼が大阪頸損連絡会に顔を覗かせた時。ちょうど当時ピア大阪での東谷さんらのサポートで、彼が東住吉区で自立生活を始められた頃だった。頸損の松崎さんを僕ら大阪頸損連の仲間は親しみを込めて「まつざきっち」と呼び、活動仲間としての距離は縮まった。頸損連でのまつざきっちの活動は、会報誌「頸損だより」の編集。大阪での自立の翌年2002年には、大阪頸損連で編集部長に。気づけば今年2017年までの15年間、「頸損だより」の編集部長を務めていたことになる。「頸損だより」は年4回の発行なので、15年分で約60号分の会報誌発行作業を繰り返し頑張っておられたことになる。会員から集まった原稿を編集し、ページを割り付け、そして版下原本を印刷するセルフ社と受け渡し。僕自身も、まつざきっちの自立生活している家に、よく原稿を運んだりしていたことを走馬燈のように思い出す。「頸損だより」の創刊1983年から今年で34年。そのうちの後半の約半分15年間、まつざきっちが携わっていたことになる。地道で継続力のある話だ。会への彼の貢献度はとても大きい。

 まつざきっちと僕のこの長い関わりの中で、今年4月上旬、随分久しぶりに彼から電話をもらった。ガンの告知を受けたという。余命は1年と言われていると淡々と話してくれた。彼からは、少しの間は落ち込んだが今は気持ちも落ち着いたので、今後編集作業が難しくなること伝えたかったと。この10分間ほどの、久々の電話での会話から、結果的には1ヶ月半ほどしか時間はなかった。彼らしく、自身が自立生活してきた場で最後の日まで生き抜いた。振り返ると、2001年から16年間、僕ら障害者を取り巻く社会状況も大きく変遷してきた。全身性障害者介護人派遣事業から、支援費、自立支援法、総合支援法、差別解消法、そして障害者権利条約の批准へと。この間、ともに当事者として歩んできた仲間のひとり、まつざきっちとの早すぎる別れを惜しんでいる。哀悼の意を込めて、心より「今までありがとう」。そしてこれからも僕たちの活動を見守っていてほしい。

 最後に、2002年当時、まつざきっちが「頸損だよりNo.81号」に寄稿してくれた彼自身の自立生活について紹介したい。
自立生活あれこれ 松崎 有己 頸損だより2002春(No.81)


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