特集:大阪頸損&京都頸損合同交流会の歴史 Part1 頸損だより2018春夏合併号

2021/04/07
 
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頸損だより2018春夏合併号(No.145・146) 2018年7月8日発送

大阪頸損&京都頸損
合同交流会の歴史
Part1


 隣の支部である京都頸損連と2000 年から合同行事を年一回開催。この合同交流会は2000年から始まり2017年まで18年間続いています。
 現在ネット社会の時代で情報もある程度はわかりますが、外出で当事者同士の直接の情報交換ができる重要な企画と考えています。
 今回と次回の2回の特集で頸損だよりや事務局通信で掲載した記事を紹介します。
 Part1は2000年から2007年の掲載記事紹介。(2005年は掲載記事無し)
 また大阪頸損連の鳥屋利治さんから「大阪・京都合同交流のあゆみ」を語っていただいています。
 Part2は2008年から2017年の掲載記事紹介予定です。
 この特集で興味を持った方は、ぜひ合同交流会に参加してみては!

[編集:岩本 泰嘉]


「大阪・京都合同交流のあゆみ」

大阪頸髄損傷者連絡会 鳥屋 利治

 大阪頸損連と京都頸損連の合同交流企画を年に1回取り組んで早18年になるとか。振り返れば2000年の第1回開催。この時の時代背景的には、介護保険制度の始まった年で、障害者の介助制度としては「支援費制度」「自立支援法」も始まってなかった時代だ。つまり、みんなが今のように当たり前にヘルパー利用で外出していたわけではない時代だった。当然のことながら頸損連の企画行事をサポートしてくれるのも、企画に車椅子当事者が出かけるのもボランティアの皆さんのサポートが大きかった。大阪頸損連でもボランティア部に登録の皆さんの活躍が頸損連活動の大きな下支えとなった。ボランティアが会員である当事者を送迎したり、あるいは当事者自身が運転する車で当事者を送迎したり。行事への参加を電話連絡網で呼びかけることで当事者同士がつながり合い、家に閉じこもらず、とにかく外へ出かけること、ピアつまり当事者仲間とふれあうこと、これが当事者の社会参加そして自立へと向かう会活動だと取り組んでいた。エンパワメントそのもとと言える。
 そんな2000年当初、関西では大阪頸損連と京都頸損連がそれぞれの地域で、それぞれが既に20年にも及ぶ取り組みをしていたが、年に一度は協働して行事を企画し、支部間の交流も定期的に始めるようになった。第1回大阪・京都合同交流企画は、花博記念公園鶴見緑地での交流「ピクニックdeピクピク」を開催。関西らしいネーミングだ。晴天の爽やかな風の吹く中、皆で円になってピクニック気分でランチ交流した。翌年の2001年は、「ボウリングdeピンピン」を京都のボウリング場で開催。ボウリング投球台を事前に大阪頸損連と京都頸損連とで共同で手作り制作するところから始めた。その後も、ボッチャ大会やバーベキュー大会、たこ焼きパーティーなど、毎年大阪頸損連、京都頸損連と交互に企画を練り続けてきた。
 気がつけばそこから18年が経つ。世代交代やそれぞれの会に携わる顔ぶれも入れ替わりがありながら、これまで毎年続いてきた。当事者が毎年声かけあってエンパワメントの取り組みを18年も続けてきたことはもの凄いことだと思う。企画執行されてきた大阪・京都の皆さんにはただただ敬意を表したい。そして会の皆さんもそういった企画に今後も参加していってほしいと思う。


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